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神社のあった町と、異性装たちの美意識

僕のかよった保育園は、神社のなかにあった。境内は園庭と共有されていて、神社の本殿に足を踏み入れることはできなかったが、そのまわりは園児たちの遊び場だった。
そこですごした日々の記憶は、ほとんど消え失せてしまった。それでもいま、逆光のなかで光り輝くほこりのように、それらが不思議とかけがいのないものに思えてくる。たとえばそれは熱心に手でこねてつくった泥団子、石垣のしたにあった小さなくぼみ、狛犬にまたがったときの感触、水飲み場の水道のタイルの色であったりした。

そのころ僕は粗暴で落ち着きに欠けていた。満たされないものがあったのか。あるいははじめての集団生活で、ほかのこどもたちとの接し方がわかっていなかったのかもしれない。
保育園があったのは古い集落の一角で、細く入り組んだ道がひび割れのように延びていた。周辺が住宅開発されていくなかで、そのあたりはむかしのままの場所として整備されずにとり残されていた。

いつだったか女物の肌襦袢(はだじゅばん)を着て、ふらふら歩いている人を見た。肌襦袢というのは、着物の下に身に着ける肌着のことだ。それを着ているのは男の人で、僕の記憶にあるのはそのうしろ姿だ。いくら保育園のころだといっても、もちろんすでに着物を着て暮らす時代ではなかった。
幼いころなので、それがいつなのか、だれだったのか、という記憶はない。ただ薄いピンク色の襦袢をひらひらさせて、集落の曲がりくねった道を歩いている姿だけが、古ぼけた写真のようにして記憶に残っている。それが奇妙な姿には映ったが、同時に不思議な美しさがあった。

身体的性別とは異なる衣装を身にまとうこと。すなわち異性装である。ただし、その理由はいろいろだろう。たんに遊びということもあれば、みずからの性別にいたたまれない違和感を覚えている場合もある。
いずれにしても異性装の状態が心地よかったり、気持ちが高揚する。そうした嗜好の背景には、既存の服装規範や文化規範から解放されたい、規制から自由でありたいという革命者の心性があるのかもしれない。

セクシャル・マイノリティーということで、ずっと以前だけれど身近にこんな話があった。まったく別のふたつの話だけれど、立場が反対なのですこし紹介してみよう。

ひとつは知人の男性から聞いたものだ。仮に増田君としておこう。彼はある女性のことが好きになって、何度かふたりで食事にいった。聞けばかなりの美形で、しかも頭がよくて話が面白い。服装や仕種にどこかユニセックスっぽいところあって、それも魅力だったという。
ところが、恋愛ということでは、どうにもつかみどころのない彼女の態度に、増田君は翻弄されてしまった。頻繁に連絡がくるわけではなく、会えないときがつづいても彼女にはそれがストレスにはならないようだ。結局、恋は実らなかった。
相手の女性のことを僕は知らないし、彼女が恋愛対象がどうであったのかもわからない。しかし、増田君の話では、どうも男性との恋愛に興味がないようにみえたということだ。

この話を聞いたとき、僕はある女性から聞いた彼女自身の物語を思いだした。20代のころの話である。彼女の名前は響子さんとしておく。

響子さんの性自認は女性だ。したがって、彼女は自分の性別が女性であることに違和感はない。ただし女の子っぽい感じではなかった。中学生のころは、まぁ自分はそんな感じなんだろう、と思っていたけれど、しだいに周囲との違いに意識がむきはじめた。
「そのころ、いろんな性自認があることを知ったんです。からだが女性でも、女性を好きになることがあるんだと」
とはいえ、高校生になると、響子さんに彼氏ができた。できたけれど、あまり距離が縮まっていかない。
周囲の友だちは彼氏ができるとウキウキして、いつも連絡をとっていたいとか、すこしでも時間があれば会いたいという気持ちになるようだ。でも、響子さんにはそういう気持ちがわきあがってこない。別に連絡がなくても、会わなくても平気だった。
大学にはいって、同性愛者が集まるSNS上のコミュニティに参加してみた。そこで同じ境遇の人たちと話すうちに、
「自分は男性ではなく、女性が好きなんだ」
ということに、あらためて気づいたという。
それは確信に満ちたもので、それ以来気持ちがすっきりした。もう偽らなくてもいいと思うと、やっと居心地を見つけだしたのだ。

響子さんがいまどうしているのかは知らない。ただ、僕が興味をもったのは、彼女の性的嗜好よりも、彼女のもつ芸術的あるいは美的センスだった。とりたてて高価な服を着ているわけではなかったが、いつもボーイッシュな服装をしていて、そこには独自のセンスが感じられた。
響子さんは絵を描いていて、一度見せてもらったことがある。シルクスクリーンという孔版のプレスアートだった。写真を素材にした独特の表現に、僕はかなり衝撃をうけた。さらに演劇もやっていたらしいが、結局、その舞台を見ることはなかった。長身で細身だった彼女が、パンツ姿で優雅に舞台を駆ける姿を、僕は夢想するだけだった。

異性装と芸術・芸能ということでは、宝塚歌劇などは女性のみの歌劇で、男役の女性が存在する。反対に、歌舞伎は伝統的に男性のみで演じられ、女性役として女形と呼ばれる役者を必要とした。中国の京劇や越劇、あるいはエリザベス朝演劇とも呼ばれるイギリス・ルネサンス演劇も舞台上に立つのは基本的に男性のみで、異性装の演劇として知られる。

このように特異な様式美をもつ世界では、古代から異性装の例が見られた。いっぽうで、ヨーロッパ中世では宗教的規範や社会秩序を乱す者として、異性装者には厳しく刑罰が処されてきた歴史もある。中国でも性的な枠組みを逸脱する異性装者を「服妖」と呼び、不吉な存在として忌避された。
独善的な為政者は、奇異なるものを敵と見做しがちだ。にもかかわらず、演劇や絵画の世界では、既存の規範を転倒させ超越していくことで倒錯を愉しんできた。

まれにセクシャル・マイノリティーだという人から、占い相談をうけることがある。あえてそれを口にしない場合もあるだろう。もとより愛情という視点に立てば、同性愛と異性愛とを特別に区別する理由はなにもない。実際に話を聞けば、異性愛と変わりはない。

ただ、そんな相談を受けたときに、幼いころの記憶がふと頭をよぎることがある。曲がりくねった細い道を、薄紅の肌襦袢を着て歩いていた男の姿だ。もちろんあの男性が異性装者だったとか、セクシャル・マイノリティーだったという証はなにもない。
けれども、その後ろ姿には、常識からはみだしたような、どこか自由で解き放たれた気配があった。理解できないものにふと美しさを見いだしてしまった、その驚きが、幼い僕のなかに忘れがたいかたちで焼きついたのかもしれない。
いまでも、マイノリティーとされる世界が生みだす、常識を超えた、独自の、ときに神がかり的な美的感覚の世界にふれることがある。そういうときには、少なからぬ憧憬とともに、ある種の困難さをそこに垣間見たりもする。


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