【BCM 001】第66信:日常が情報収集になるまで ③ ― 不動産調査の原体験
与信管理事務局(BCM)の001だ。
前信(第65信)で、社長個人宅への仮差押えの話をした。世田谷の自宅を事前に見に行き、土地と建物の推定価格を概算し、根抵当権の設定状況を確認してから動いた。
あの経験は、突然できたものではない。
不動産を「与信管理の目」で見る習慣は、入社して数年のうちに、少しずつ身についていった。今回は、その原体験を語る。
本論①:登記簿と現地の間にある「差」
与信管理の実務で、取引先の担保余力を評価しなければならない場面がある。
非上場企業の場合、会社の土地・建物、工場、そして社長個人の自宅が、金融機関の借入担保に入っていることが多い。登記簿を取れば、根抵当権の設定金額は分かる。だが、担保評価とはそれだけではない。
「根抵当権が1億円設定されている」という事実は分かる。問題は、その土地と建物が実際にどれだけの価値を持っているか、だ。そして、根抵当権の設定金額と実際の担保価値の差額がどの程度あるか。この「剰余」の有無が、その取引先がまだ金融機関から借りられる余力を持っているかどうかの目安になる。
登記簿に書いてある数字と、実際の土地の価値は必ずしも一致しない。根抵当権の設定額が大きくても、土地の実勢価格がそれを上回っていれば余力はある。逆に、設定額が小さく見えても、地価が大幅に下落していれば実質的な余力はゼロに近い。
この「差」を掴みに行く作業が、001にとっての不動産調査の原点だった。
なお、最近は金融機関による事業性評価や、企業価値担保権なるものが取り上げられるケースもある。担保主義からの脱却という方向性だ。ただ、これまでの金融庁や金融機関の動きを見ていると、実務に本格的に影響してくるのはもう少し先になるだろうと001は見ている。
本論②:不動産屋に飛び込む
取引先の工場や社長自宅のある地域を調べる時、001は現地の不動産屋に飛び込んだ。
路線価や公示価格は、全国地価マップや登記情報提供サービスで調べれば分かる。ただし、これらの数値と実際の取引価格(実勢価格)には乖離がある。公示価格は実勢価格のおよそ7割、路線価は実勢価格のおよそ8割程度を目安として設定されていることが多い。エリアや物件の種別によってその乖離幅はさらに変わる。都心の人気エリアでは実勢価格が公示価格を大幅に上回ることもあれば、過疎化が進む地方では公示価格を下回ることもある。
「この辺の土地、坪いくらで動いていますか?」
不動産屋に入って、世間話のように聞く。相手はプロだから、最初は警戒することもある。だが、少し話を続けると、地元の情報が出てくる。最近の取引事例、問い合わせの傾向、開発の予定、周辺の地主の状況。帳簿に載らない情報が、会話の中から出てくる。
この地道な作業が、担保価値の「ざっくりとした見当」を作る。精密な鑑定評価ではない。与信管理の実務に必要なのは、「5,000万円の根抵当権に対して、土地の実勢価値がどのくらい上回っているか(あるいは下回っているか)」のざっくりとした判断だ。
路線価と実勢価格の乖離幅を把握し、それを登記簿の面積に掛けて、担保余力を概算する。精密ではなくていい。方向性が分かれば、審査の判断に使える。
本論③:担保無設定のマンションが見えた時
不動産登記を調べていて、思わぬ発見をしたことがある。
ある取引先の社長の自宅だった。財務情報や業績に関する情報がほとんど取れない先で、判断の材料を増やしたくて、社長の自宅を調べた。
都内の一等地にあるマンションだった。
そして、根抵当権も抵当権も、何も設定されていなかった。担保無設定だ。
金融機関が担保を取っていない。つまり、その不動産は丸ごと社長個人の資産として残っている。周辺の実売価格を調べると、そのマンションの価値は相当なものだった。
財務情報が乏しい中で、この事実は大きな意味を持った。社長個人がこれだけの資産を持っているということは、会社が仮に厳しい局面に立たされた時でも、個人保証の実効性がある可能性が高い。少なくとも、資産背景のまったく見えない経営者よりも、与信判断の根拠が一段厚くなる。
逆のケースもある。登記を調べてみると、自宅に複数の根抵当権がびっしり設定されていて、剰余がほぼゼロという経営者もいる。財務諸表の上では問題なく見えても、個人資産が全て担保に入っているということは、それだけ金融機関から借り込んでいるという実態の裏返しでもある。
数字だけ見ていては分からないことが、登記簿一枚で見えてくる。そして、その登記簿の意味を正確に読むためには、実勢価格の感覚が必要だ。だから、現地を見に行く必要があった。
本論④:自腹で見に行った
001が入社した当時、社内のルールでは、必要と判断した案件については不動産調査を行ってよいことになっていた。実地調査も同様だ。取引先の工場や社長自宅を調べ、現地を確認することが、与信管理の実務として認められていた。
しかし、ITバブル崩壊後、状況が変わっていった。
経費削減と人員削減の流れが、どんどん進んだ。不動産調査も例外ではなかった。調査そのものの手間、管理ソフトの高額なコスト、そういった負担が見直しの対象になり、不動産の実地調査は省略する方向に変わっていった。
やむを得ない判断だとは思う。会社全体がコストを絞る局面で、手間とコストのかかる実地調査を全案件に維持するのは現実的ではない。
ただ、001は現地を見に行くのをやめなかった。
自腹で行った。
業務として認められなくなっても、休日に自転車で走って取引先の周辺を確かめたり、気になった物件の近くまで足を運んだりすることは続けた。会社のルールが変わっても、自分の中の「確かめたい」という感覚は変わらなかった。
それが良かったのかどうかは分からない。ただ、現地を見ることで身についた「土地勘」と「価格感覚」は、ルールが変わった後も、自分の与信判断の中に生き続けた。
不動産調査は義務ではなく、習慣だ。 会社が費用を出してくれるかどうかとは別に、自分の目で確かめる姿勢があるかどうかで、見える景色が変わる。
正直に言うと、入社当初、不動産調査の業務を教えられた時はうんざりした。
調査の細かさと手間の多さが半端ではなかった。先輩たちは取引先の審査を進めているのに、001は不動産の調査と、決算書の財務分析システムへの入力だけで1日がほぼ終わってしまう。その繰り返しが、ほぼ1年続いた。
だが今になって思う。
この下積みの作業を1年間経験したことで、不動産情報が持つ意味と、入力ミスや数値の違和感に、瞬時に気づける目が養われた。根抵当権の設定金額が妙に大きい、担保余力の計算が合わない、この土地の評価額はおかしい ― そういった感覚は、ひたすら手を動かした時間の積み重ねから来ている。
退屈だと思っていた下積みが、後から効いてくる。与信管理の仕事にはそういうことが多い。
最近の若い人たちは、自分がやりたくないことや、一見無駄だと思えることはやらない傾向があると001は感じている。気持ちは分かる。だが、それは実はもったいないことだと思う。
001が働き始めた頃は、とにかく嫌な仕事でもまずやってみることを推奨された。理由は単純だ。学生を終えたばかりの頭で考えた「向く・向かない」「必要・不要」の判断は、大したレベルではないからだ。何が自分に合うか合わないかは、本人が正しく判断できるとは限らない。
001自身、就職活動の時は数字を扱う仕事は苦手だと思っていた。今では、当時考えていたこととは全く逆の場所にいる。
自分の殻を破るには、時として自分の意に沿わないことを体験することが必要だ。不動産調査の下積みは、001にとってそういう経験だった。
結び
登記簿を取る。路線価を調べる。現地を歩く。不動産屋に入る。
どれも、特別なことではない。しかし、この積み重ねが、担保価値の「見当をつける力」を育てた。
そして気づいてみると、街を歩くたびに不動産の価値を考えている自分がいた。
日常が情報収集になるとは、こういうことだ。
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