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【LAWドキュメント72時間】ささやかで完璧な日々

「こんなふうに生きていけたなら」

未来より、今を、一瞬を、大切にして生きる。

少しの変化を感じて、楽しみながら。


この映画に、こんなキャッチコピーが付いていたとは知りませんでした。

鑑賞中も観賞後も、なんどもそう思ったので、深く納得しました。

映画『Perfect days』

THE TOKYO TOILET

https://tokyotoilet.jp/


昨年、第76回カンヌ国際映画祭で、主演の役所広司さんが、男優賞を受賞したことで話題になった作品ですね。

本年度の第96回アカデミー賞でも、国際長編映画賞にノミネートされていましたね。

監督は、ドイツ映画の名匠ヴィム・ヴェンダース。


東京の下町で暮らす清掃作業員(都内の公共トイレ掃除人)の「平山さん」が、この映画の主人公です。

彼のルーティンの日常を、ドキュメンタリータッチで描いているのが、特徴的です。

特に、何が起こるわけでもありません。

2時間、淡々と繰り返される日常を見るだけです。


とても静かで・・・

なんとなく、禅僧やキリスト教の僧侶たちの生活を垣間見ているようでもありました。

といって、あれほど厳粛で規律正しい窮屈さはありません。

もっと、やわらかな時間が、とうとうと流れている感じの映画です。


平山さんは、トイレ掃除という仕事に誇りをもって、毎日、一生懸命働いています。

その日常は、現実的ではあるものの、どこか非現実的で、夢物語のようにも思えました。

それゆえの

「こんなふうに生きていけたなら」

なのでしょう。

わたしを含め、この映画の鑑賞者のほとんどは、たぶん、平山さんと同類ではないことは確かだと思う。


平山さんは、毎朝、近所のおばさんが掃除をする竹箒の音で目覚めます。

布団をたたみ、所定の位置に片づけると、階下へ降りて、歯を磨き、霧吹きをもって、2階にもどる。

少しずつ集めて、大切に育てている樹木のひこばえに、水をかけてやるためです。

作業服に着替えて、ふたたび階段を降り、降りてすぐ横の壁にしつらえた棚にある、きちんと並んだ財布やガラケー、鍵を持って外に出ています。

一連の動作に、無駄はありません。

玄関からすぐ二階につながる階段も。

玄関横の狭いキッチンも。

一間半ほどの二階の部屋も。

平山さんのルーティン動線には、ちょうどいい感じの様です。

玄関を出た平山さんは、空を見上げます。

早朝の澄んだ空気を吸い込み、一日のはじまりを感じます。

自動販売機で缶コーヒーを買い、作業用のワゴン車に乗り込む。

いつもの通り。

いつもの景色。

いつもの曲がり角。

いつもの場所で。

その日の気分で。

選んだお気に入りのカセットテープを流す。

流れてきたのは、The Animalsの「House of The Rising Sun」でした。

郷愁を誘います。

その後も、平山さんの移動に合わせて、60年代、もしくは、70年代の音楽が流れていきます。

平山さんの音楽のセンスが、とても良いですね♪

本が好きで。

木が好きで。

写真が趣味で。

毎日の銭湯通いに。

行きつけの飲み屋。

休日に通う古本屋とスナック。

ささやかでも、上々な、男やもめならではの気楽な暮らしです。

どうやらトイレ掃除という清掃作業の仕事と、その生活は、仕方なくというわけではなく、平山さん自らが選んだようです。

本や音楽のセレクトを見ても、平山さんの高い知性はわかるのですが・・・


必要なのは、

「観察」

「工夫」

ですね(^^)


日々生活をしていると、いつのまにか決まるルーティン。

決められた仕事をこなし。

一日の終わりに達成感を得たり。

平凡な毎日に。焦りを感じて、変化を求めてしまう事もありますよね。

「何にも変わらないなんてそんなバカな話、あるわけないじゃないですか。」

平山さんは、きっと変わっていくものを目にして、

それを受け入れながら、変わらない普遍的な毎日を、楽しんで生きているんだろうね。

自ら選んだ日常は、どこまでも、完璧で、美しいのだと、そう思います。


彼の姪っ子と、その母親(平山さんの妹)が現れて、なにか理由があって、その生活を選んだことがわかります。

平山さんが、ときどき哀しげな表情をするのは、そのせいだったのかと・・・

あきらかに、平山さんを情けなく思い、見下している妹は、運転手付きの高級車に乗る富裕層の人でした。

家出をしてきた姪っ子に、平山さんが語った言葉が、胸に刺さります。

「君のお母さんと僕とは、世界がちがう」


ちがう世界に暮らしながら、それでもどこかで通じ、想い合いたいと願う。

その切なさが、しみじみと伝わってくる台詞です。

物静かな平山さんが、ときどき口にする言葉は、彼の愛する言葉をもたないモノたちの声のようにも聞こてきます。


周りの意見に惑わされず。

自分のこころに素直な選択したい。

わたしが大切にしたいことや選択。

そんなときに、必要な指標となるが、平山さんが気づかせてくれる、わたしの

「わたし自身のものさし」

なんだろうね。


自分のこころに素直になって。

自分のものさしを見つけたい。

そう思っていても・・・

慌ただしすぎる日常で、その

「ものさし」

を見つけていくのは、なかなか大変なこと。

そんな日々の中でも、

「これがわたしの大切にしたいものさしかも!」

と気づかせてくれる映画やドラマ、本や音楽、そして、人との出会いがあります。

そんな時に、しっかりと、自分たちのこころと向き合って、言葉にしてみる。


出会う人も出来事も。

なにもかもを受け入れ。

認め。

許し。

愛そうとする平山さんは、存在そのものが、とにかくやさしい。

なにか・・・、大きなものを失い、求めることを、諦めたのでしょうか。


最後のシーンが、何度も、蘇ってきます。

Lou Reedの「Perfect days」が流れる中、

朝焼けに輝くいつもの道を走る平山さんの、泣き笑いの複雑な顔。

その顔は、

「愛しさ」

でいっぱいでした。

たぶん、

「いとしい」

という愛でる意味の

「愛」

だけではなくて・・・


「愛」という文字には、「かなし」という訓読みがあります。

人への愛しさ。

モノへの愛しさ。

時への愛しさ。

人生への愛しさ。

それらは、そのまま

「かなしさ」

と結びつき、時を繋げて、過ぎていく。

無常感ですね。

【参考記事】


平山さんは、現実的にいえば。

切羽詰まって、そうするしかない人の方が、多いだろう境遇にいます。

実際に、そういう人たちが、この映画を観たら、鼻で笑うかもしれません。

いや、そもそも観ようとも思わないんだろうね。

それでもやっぱり、

「平山さん」

が、どこかにいると思いたい。

もうすっかり、わたしの中で、平山さんは、友達のひとりなんだろうね(^^)


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