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ガウディの伝言

色んなものは変わっていく。

「ガウディの伝言」という本を読んでいた。
外尾 悦郎さんという、福岡県生まれの男性が書いたもので、その方は単身で1978年バルセロナに渡り、言葉もわからない異国生活の中で、試験に合格し彫刻家として認められ、アントニ・ガウディの建築、サグラダ・ファミリアの彫刻に携わり今に至るのだけれど、何十年も関わったなかでの歴史や思考などを織り込んだ一冊だ。

140年以上と、長い間建設が進められているサグラダ・ファミリアもそろそろ完成が見えてきている。
その一因としては、
機械が次々に導入されたからというのもあるし、
観光客がふえて資産が潤沢になってきたことなどがあるという。

職人たちが建設の主役だった時代は静かに終わっていった、とも。
アンダルシア地方の古い石工たちも、次々にサグラダ・ファミリアから去っていった。

そしてサグラダ・ファミリアは、1980年代から、その大部分を石ではなく、コンクリートでつくり始めている。
(彫刻までセメントでやろうと言い出したときはさすがに反対したらしいですが)

昔からのやり方や素材の扱いが変わったことは寂しいことかもしれない。
だけど外尾さんはこうも語っている。

サグラダ・ファミリアを愛する人たちがつくり続けていれば、コンクリートでも、自然に最高のものを追究していこうとすると思います。
精神を失わないことが、今後もっとも問われてくることになるかも知れません。
(中略)
サグラダ・ファミリアをいつまででも時間をかけてダラダラつくっていればいいということではありません。

変化に対して不安を感じることが無いわけではない。
それを閉じ込め、押し込むわけでもなく対峙し、向き合う。

何十年も携わってきた外尾さんの言葉には不思議な力強さがこもっていた。

サグラダ・ファミリアは1936年のスペイン市民戦争では、聖堂の主任司祭だったヒル・パレス神父は殺され、三代目主任建築家のドメネク・スグリャーネスは、内戦中の1938年に亡くなりました。
聖堂が破壊され、ガウディの事務所が焼き討ちにあい、模型も粉々にされた上に、建設を進める組織まで離散してしまった。
1939年に再開されたことになっていますが、当時自分たちが食べるのにも困るような生活をしながら、何とかお金を集め、少しずつ態勢を立て直すことから始めていったと想像する。

そもそも140年以上という長い年月の中で様々な変化にあい、そして人々の思いが集まる中で作り上げられてきた。

外尾さんはこうも語っている。

外部にも内部にも、過剰なほどの表現が凝らされています。
生誕の門一つをとってみても、二八年間毎日通って見ていて、未だに飽きるということがない。
これが聖堂全体に行き渡ったら、それこそ一生毎日通い続けても、すべてを読み解くことはできないようなものになるのではないか

サグラダ・ファミリア、間近で見てみたいなあ。

誰か連れてってくれませんかね?
手荷物くらいなら持ちますけど。

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