ファンタジー小説【黎明のキアロスクーロ】ep.6「第一章 孤独な人造神」
近づく心①
わがままになるって、つまりどういうことだろう。
横暴になるという意味ならあんまりいいことには思えないが、とりあえずキアロの目下の課題はスクーロと仲良くなることだ。
というわけであれから数日、張りきってスクーロに話しかけたが、まったく相手にしてもらえなかった。
もちろん、館内を紹介してほしいという願いも断られ、カード遊びの誘いにも乗ってきてくれない。
「ミケーレさんっていい人だね」と言ったときに、一度だけ「だろ!?」と瞳を輝かせてくれたことがあったが、そのあとすぐに「にいには俺のもんだからな」と凄まれてしまった。
まったくお手上げだが、ミケーレを慕うときの屈託のない表情を見てしまうとどうも憎めない。きっと、大好きな人には真心で接する子なのだろう。
夜、湯浴みを終えたジジたちの橙の髪を拭きながら、キアロは「どうしたらいいのかなあ」とぼやいていた。
ふたりとも、緑の目をくりっとさせて「何が~」と聞く。
「スクーロくんが仲良くしてくんないんだよ。兄ちゃんちょっと疲れちゃった」
キアロは基本的に人好きのする性格なうえ、ちょっとひねくれた相手ともうまくやっていけるタイプなので、人付き合いでこんなに苦労するのは初めてだった。
「ジジとトトはさ、どうされたらうれしい? どんな人となら仲良くなりたい?」
答えに期待していたわけではなかったが、ふたりはうーんと真剣に考えてくれ、そのうちトトが「あっ」と声を上げた。
「褒めてくれる人! 僕たち今日、お絵描きしたでしょ。ミケーレがね、上手って言ってくれたよ」
「今日もミケーレさん来てくれたの? 偉い人なのに面倒見がいいなあ」
ミケーレは八十人からなる枢機卿団の若手ホープにして、教皇の右腕であるため常に忙しくしている。
しかし、彼はその多忙な業務の合間を縫って、皆に顔を見せに来てくれるのだ。
ここの使用人たちはもちろん、ジジとトトの間でもミケーレの好感度は極めて高く、キアロの兄としての自負みたいなものがちょっとぐらつく。
「お前たち、兄ちゃんのこと忘れないでくれよ」とふたりに頬ずりしつつ、でも確かに、と思う。
褒められて悪い気がする人はいないし、そもそもスクーロが大好きなミケーレを見習わない手はない。よし、明日さっそくやってみよう。
「にーちゃん湯浴みまだでしょ、ほっぺやだ~」と言われる悲しみをこらえ、キアロは闘志を燃やした。
翌朝、キアロは食堂へ向かうなり、張りきって満面の笑みをつくった。
「おはよう、スクーロくん! えーと、お日様に君の美しい髪がつやつや輝いているね!」
スクーロの手から朝食のパンが落ちる。彼はしばらくぽかんとしたあと、寒気でもしたのかぶるっと身震いした。
先に食卓についたジジとトトが「にーちゃん変」とささやき合っているが気にしない。たくさん褒めて、いい気分になってもらうのだ。
「わあ、窓辺に小鳥が飛んできたよ。もしかしたら、スクーロくんの美貌に惹かれてやってきたのかな? 動物に好かれる人に悪い人はいないって言うよね。君の……優しさ? も伝わってるんだね!」
スクーロは凍りついたように動かない。双子が口を開いた。
「ジジ、スクーロこわ~い」
「トトも~」
単なる幼子の放言だが、スクーロにはその悪意のなさが余計につらかったのかもしれない。
彼は真っ赤になると、光の速さで駆けていってしまった。
失敗だ。しかも傷つけてしまった。
謝りに行ったが、彼は自室から出てきてくれなかった。
午後、ふたりは壁一面が本で覆われた書斎で過ごしていた。
スクーロはむっつりとした顔で本を読み、キアロを視界に入れまいとしている。
さっきはやりすぎてしまった。考えてみたら、あれこれ褒められるほどキアロは彼を知らないのだ。
どうしたものかと思いつつ、ふとスクーロが読んでいる本に目を落とす。ページは文字でびっしり埋め尽くされていて、自然にわあ、と声が出た。
「スクーロくんて、本当にすごいんだね。こんなに難しそうな本を読んでるんだ」
その瞬間、スクーロがきっとキアロを睨みつけた。
さらに立ち上がり、両手を広げながら芝居のような節回しで言う。
「喜べ、キアロよ! お前のおべんちゃらの翼は偉大なあまり、海陸を覆い、その沖天の勢いは留まることを知らない! ゆえに、お前の名声は地獄にも轟きわたっているぞ!」
今度はキアロがぽかんとする番だった。
スクーロが何を言っているのかわからない。でも、偉大とか名声とか、なんだか褒めてくれているみたいだ。
「え、え~っ……えへ、ありがとう。僕ってそんなすごいことしたかな?」
キアロが頭を掻きながら言うと、スクーロが激しく舌打ちした。
「むかーしの詩人が書いた一節のパロディだよ! あのさ、知らねーやつに髪とか顔とか褒められんの気持ち悪いんだよ!
心にもないけど知ってる限りの美辞麗句を尽くしました~みたいなの、虫唾が走る。嫌味も通じない馬鹿のくせに!」
しん、と沈黙が降りた。キアロは、あ……とどうにか声を絞り出す。
「えっと、そうだよね。僕、馬鹿でごめんね」
スクーロがはあ? と口をひん曲げる。
「働いてばかりだったから勉強ってしたことなくて。字も読めないし、本も見たことなかったんだ。それ、みんな知ってる詩なの? 恥ずかしいなあ、僕なんにも知らないや」
キアロはあっけらかんと笑ったが、彼はぐしゃっと顔を歪め、うつむいてしまった。
「ほんと、スクーロくんの言うとおりだよ。どうやったら仲良くなれるのかな、ちょっとでも僕のこと好きになってほしいなって思って頑張ったつもりだったけど、全然僕らしくなかった。今日はずっと、嫌な思いさせてごめんよ」
言い終えるなり、ツノを弾かれるような感覚が走った。と同時に、スクーロが窓に向かって目を剥き、大慌てで部屋を飛び出していく。
「スクーロくん!? どうしたの?」
暗い廊下を走り、スクーロを追って屋上に出る。鬱蒼と茂る森を背景に、キアロは再び驚くべき光景を目にしていた。
濃紺と金の交じった翼が、空を掻くたび陽光にきらめく。神獣ヒッポグリフと、こんな間近で対面することになろうとは。
「ぴーちゃん、来ちゃだめだ! 何度も言ってるだろ、見つかったら捕まっちゃうんだよ」
ぴーちゃんというのが名前らしいが、猛禽類特有の顔つきと、たくましすぎる体には似合っていない。
「前にも来てた子だよね? スクーロくんの友達? なの?」
「友達……じゃない。だって、人と神獣は一緒にいちゃいけないんだ」
そう言う彼は、とても苦しそうな顔をしていた。キアロはじっとヒッポグリフを見つめる。
「この子、悲しいんだ。胸が……張り裂けそうなイメージが伝わってくる。あと、混乱」
スクーロは驚いた顔をすると、やがて決心したように話し始めた。
「一年前の嵐のあと、ヒッポグリフの雛がここでぐったりしてるのを見つけたんだ。家族からはぐれて墜落してきたんだと思う。それがぴーちゃんだった。
まだ小さくて、衰弱しきってたから放っておけなくて……いけないことだって知ってたけど助けた」
キアロも聞いたことがある。
人の臭いがついてしまったら、幼い神獣はもう群れに戻ることはできない。親からも完全に見捨てられてしまう、と。
「目の前でぴーちゃんが死んじゃうのが怖くて、必死で手当てした。にいににも内緒で」
以降、スクーロは自分の食事をこっそりとヒッポグリフにあげていたらしいが、すぐにミケーレにバレてしまったという。
「あんなに怒ったにいにを見たの、初めてでさ。すげー怖かった。教皇庁のやつらに見つかったら、神獣騎士団送りになって一生不自由な生活をすることになる。大事だと思う子にそんな暮らしをさせていいのか、って……」
神の子として、生まれてからずっと不自由な暮らしをしてきたスクーロには酷な台詞だ。
だが、ミケーレだってそんなことは百も承知だろう。
そこには、ミケーレの深い罪の意識が滲んでいるようにも思えた。
ヒッポグリフがびゃっと、と高く鳴く。
「それからどうやってお別れしたの?」
「『行け、帰ってくるな』って普通に追い払った。最後には石まで投げて。でも、ぴーちゃんはすぐに戻ってきちゃうんだ。レモンとかオレンジとかをお土産に持ってきてくれるんだけど、俺はそれまで投げつけて……」
スクーロは顔をそむけて言ったが、最後は涙声になっていた。
「ぴーちゃんは、君の思いやりが理解できなくて混乱している。すごく寂しがってる」
「お前……受信の力でぴーちゃんが考えてることがわかるのか? 教えてくれ! 俺どうしたらいいんだよ」
キアロは今まで、誰かの考えが読めたことなど一度もない。
でも、オウガもヒッポグリフも神話の時代に栄えた生き物だからだろうか、集中すれば感情の大まかなイメージは受信できるようだった。
しかし。
「……だめだ、やっぱりこれ以上詳しくはわからない。でも、なんで、どうしてって思っているのはわかる」
なんでって、とスクーロが口ごもる。
「ぴーちゃんが大事だからだよ! 帰ってくれ!」
そのとき、庭に衛兵たちの後ろ姿が見えた。振り返られたら、ぴーちゃんを見られてしまう。
スクーロが一歩前に踏み出した。足もとには今日のお土産らしき小ぶりなリンゴが、五、六個転がっている。
彼はそれを一つ手に取ると、「行け!」と叫んで振りかぶった。ぴーちゃんは短い悲鳴を発すると、たちまち山へと消えていった。
スクーロはうなだれ、しばらく動かなかった。キアロが「そろそろ行こう、雨が降るよ」と急かすと、消え入りそうな声が返ってくる。
「俺とぴーちゃんはおんなじなんだ。にいには俺に親離れしてほしいと思ってる。でも、俺は嫌だ。にいにと離れたくない。にいに以外、俺には誰もいない」
薄い背から溢れ出す孤独に、キアロは何と言えばいいのかわからず、ただ遠くの雷鳴を聞いていた。
