ファンタジー小説【黎明のキアロスクーロ】ep.24「第三章 All'isola Sacra degli Ogre! (聖なるオウガ島へ!)」
静寂の中、キアロは母と見つめ合った。
言葉はなくとも、それだけで充分だった。
「僕が、これからもずっと母さんを好きだってこと、わかってくれる?」
「もちろん。私もそうだから」
母はキアロを抱きしめ、濡れた頬を優しくくっつけてきた。キアロがジジとトトに頬ずりをするときと同じだった。
「キアロ、最後にあなたがずっと幸せでいられる秘訣を教えてあげる。よく聞いてね。怒っているときほど、まず自分の心を見つめなさい。
怒りはいつも悲しみから生まれる。そして悲しみは、傷つきから。
それさえわかっていれば、愛する人たちとずっと仲良しでいられるよ。喧嘩するんじゃなくて、悲しかったんだよって泣いて、抱きしめ合えばいいの」
スクーロに馬鹿と罵られた翌朝、売り言葉に買い言葉の喧嘩になったことを思い出す。
きっとあれは、キアロに気づいてもらえなかった悲しみが、ひねくれた怒りに変わってしまったせいだったのだ。
「いつも本当の自分のままでいればいいんだね」
「そうよ! これはね、母さんが父さんとたっくさん喧嘩して学んだことなんだから!」
喧嘩も楽しいけどね、と笑う母に、キアロも「すっきりするよね」と応える。そんなこと、スクーロと出会えていなければ知らないままだった。
母が一層潤んだ瞳でキアロを見つめ、噛みしめるように言った。
「キアロ、永遠に愛してる。幸せにね」
幸せに。
父さんもそう残して旅立ったよ、とキアロは胸の中でつぶやいた。
「僕も、ずっと、ずっと愛してるよ。母さんも、父さんと幸せにね」
リリスが「決まったようだな」と呼びかけると、キアロは覚悟のまなざしを向けた。
「女神様、どうぞスクーロの力を解放してください。そして、母さんを逝かせてあげて」
「心得た」
リリスがスクーロのツノに手のひらをかざした瞬間、辺り一帯を強烈な光が包んだ。
同時に「愛してる!」と重なり合った声が響く。
あとには青く淡い光が取り残され、その中心に互いの手を取り、見つめ合うキアロとスクーロがいた。
もう、ここに母はいない。
自分は正しいことをしたと、キアロは心から微笑む。
「スクーロ、おかえり」
群青の瞳から、今度はスクーロの涙が流れた。
「お前のかか様、お、俺にも挨拶してくれたんだ。あなたのことも好きよって、キアロをよろしくねって。俺のせいでひどい目に遭ったのに、なんでそんなこと言ってくれるんだよ」
「僕は母さんの気持ちわかるよ。またスクーロに会えてよかった」
「お前……いいのかよ! かか様と一緒に暮らせるチャンスだったんだぞ!」
キアロは無言でスクーロを抱き寄せた。
スクーロは温かくて、いつもほんのり甘いお菓子の匂いがする。
「言ったろ、僕はスクーロのこと好きなんだ。でも、たぶんあとでちゃんとめそめそするから、そのときはよろしく頼むよ」
耳もとでそうささやくと、スクーロは涙を飲み込み、「任せとけ、世界で一番うまいクロスタータ焼いてやる」と約束してくれた。
「ツノの調子、どう?」
「んー、やっぱパンツ穿き忘れたみたいな……」
「僕の母さんをパンツ扱いすんのやめてくれる!?」
突然、うぉほん! という咳払いが響いた。
見れば、ムフリオーネが女神の後ろから、苦々しい視線を送っている。
スクーロが立ち上がり、女神のほうへと向き直った。
「発信の力の後継者として、ふさわしい生き方をいたします。女神様とキアロのかか様に誓って」
「とうの昔に返上した力だ。もう長らく……というか、初めから私のものでもなんでもない。ただ」と言葉を切ると、女神はその血色を感じさせない頬に微笑を浮かべる。
「空席にはいずれ何者かが座ることとなる。であれば、どうせなら少しは骨のある者に座ってほしいと思うのが道理だ。お前たちで力を管理するならば、そう悪くはなるまい。よくなるかは知らぬがな」
ふたりは「頑張ります!」と声をそろえた。
「ところで、ゆっくりしている暇はなさそうだぞ」
リリスがそう告げると、巨石にゆらりと何かが映った。近づいてみると、昨夜古代神殿にやってきた帝国使者の姿だとわかる。驚いて口もきけないでいるふたりに、女神が「映像というやつだ。遠くにいる者の情報を、この石に受信させている」とこともなげに言う。
映像の中では使者のディ・バルディが、おそらくは帝国に帰還すべく馬を駆っているところだった。
だがそこに十数名の男たちが現れ、合流した。いずれも長いマントを羽織っており、武装を隠しているようだ。
「一体何が起きているんだ……?」
「わっかんねーけど、馬の鞍の下に敷いてる布に、双頭の獅子のマークがある! 帝国の紋章だ」
「てことは皆、帝国騎士で味方同士? もしかして使者のあとを追ってきて、教皇からの書簡を持ち帰るのを待ってたってこと? でも、なんのために」
巨石のヴィジョンでは、使者が騎士たちに何ごとかを伝えている。やがて騎士らは、怒りの形相で雄叫びを上げた。
使者の話を聞いて、帝国軍が怒る理由など一つしかない。
教皇が、正式に皇帝暗殺裁判への出頭を蹴ったのだろう。
スクーロが青ざめた顔で言う。
「街を急襲するにしては頭数が少ないけど、森に大群でも隠してんのかな。このまま攻め込まれたらロムレアは……にいには」
「ジジとトトもいるのに!」
焦りに色めき立つふたりに、女神が厳かに告げた。
「さあ、行け」
ふたりは勇んで駆け出したが、途中で頷き合うと、急いで女神のもとへと戻った。さすがにきょとんとするリリスに、キアロが切り出す。
「あの、女神様! ここは寂しくないですか? よかったら、僕たちと一緒に来ませんか」
ムフリオーネは泡を吹きかねない様子だったが、女神は腹を抱えて哄笑した。
スクーロが「クロスタータもありますよ」と駄目押しするも、細い首は横に振れる。
「私が人の世に戻ることは永遠にない。殺された子らと友を想って、ここで暮らすさ」
「人間は嫌いですか?」
始祖のオウガ・リリスが人と番って生まれたのが現代のオウガである以上、キアロにももちろん人間の血が流れている。
「好きではない。だが、諦めきれぬから生き永らえておるのだろうな。お前たちのような者にも時たま会えることだし」
視界に何か白いものが降った。
雪かと見上げると、それはリリスの頭を飾っているのと同じ、銀梅花の小ぶりな花だった。女神からの祝福に、キアロたちは瞳を輝かせる。
「本当にありがとうございました! またお会いしましょうね」
リリスはすげなく背を向けたが、ふたりの胸は彼女からもらったものにほかほかしていた。
出口まではムフリオーネが送ってくれ、今度は怖い幻は見なかった。
ハーブの風が吹き抜ける外界はまだ日が高く、神殿に入ったときからほとんど時が経っていないようだった。
「真昼だし、哨戒船に見つからないかな。飛び立つときに大砲をズドン! なんてことにならなきゃいいけど」
心配するキアロに、ムフリオーネがほっほ、と笑う。
「ご安心を。勇者様がたが島にいらっしゃる間はお守りするよう、リリス様に仰せつかっておりますので」
「ムフリオーネさん、途中でちょっと怖い人かなって思ったけど、やっぱりいい人なんですね!」
「ほっほ、わたくし、黒き善きヒツジですので」
スクーロはまだムフリオーネを警戒しているのか、びくびくとふたりの会話をうかがっていた。
島は相変わらず美しく、名残惜しくはあるが、ロムレアに脅威が迫っている今、のんびりしている場合ではない。
さっそく力試しだとスクーロが発信の力を放つと、ぴーちゃんがぐんぐん空を掻いて近づいてきた。
「っしゃー! 願いがばびゅーんて飛んでったぜ! ぴーちゃん、おまたせー!」
「スクーロ、すごいよ! 僕のツノもじんじんしてる!」
ふたりでぴーちゃんの背にまたがり、ムフリオーネを振り返る。
「ムフリオーネさん、ありがとうございました。女神様によろしく!」
ぴーちゃんが地面を蹴り上げる。
スクーロの「俺からも! よろしく言っておいてください!」という叫びに、ムフリオーネが「御意」と微笑んだ。
羽ばたきの音とともに、みるみる地上が遠ざかっていく。
地上には、百頭はいようかというムフロンの群れが集まり、いつまでもキアロたちを見送ってくれていた。
風は優しく、青い海は凪いでいる。
しかし今にも、帝国騎士たちが血まなこでロムレアに討ち入らんとしているのだ。
ジジとトト、そしてミケーレの姿が目に浮かぶ。キアロは皆無事でいてくれと祈りながら、スクーロの背に顔を埋めた。
