ファンタジー小説【黎明のキアロスクーロ】ep.22「第三章 All'isola Sacra degli Ogre! (聖なるオウガ島へ!)」
宵の勇者への試し
「おいおい、どうやってここまで着いてきたんだよ! お留守番って言ったじゃねーか」
かがみながら言うスクーロに、ジジとトトがひっしと抱きつく。
「スクーロ~、怖かった~」
「トトも~」
涙に濡れた頬をこすりつけてくる双子を、これ以上怒るわけにもいかない。
しかし、手をつないでいたのは確かにキアロとだったのに、とスクーロは首を傾げる。どうにも解せないが、とりあえず非常事態なのは確かだ。
初めて来るオウガ島の遺跡に閉じ込められ、暗闇の中、幼子と三人。
これまで感じたことのない保護者としての責任に、胃の辺りがずんと重くなる。
きっと、キアロはずっとこんな気持ちだったのだろう。
ジジが濡れた瞳をしばたたかせる。
「お願いスクーロ、ジジたちお腹空いてるの。神様にお菓子をお願いして」
スクーロはジジの赤い猫っ毛を撫でながら、ごめんなーと謝った。
「力を使いこなせないんだ、俺。あとさ、いくら発信の力でもお菓子は出せねーと思うぜ」
あはは、と笑ってみせるが、双子はぷうっと頬を膨らませつられてくれない。
しかし、やはり冒険には念入りな準備がものを言うのだ。
スクーロは「待ってろよ」と鞄を漁った。
油紙に包まれたそれはずっしり重いが、持ってきて正解だった。
「じゃーん、クロスタータ! 体動かすだろうから、甘いもんは必需品だと思ったんだよな。ジジ、トト、キアロの分さえ残してくれたらいくら食ってもいーぜ」
今回のはキャラメルがけしたクルミ、ヘーゼルナッツ、ピスタチオをこれでもかと詰め込んだ贅沢な一品だ。
まさか昨夜オウガ島に発つことになるなんて思ってもみなかったので、単にキアロのおやつとして焼いておいたものだが、旅先で食べるほうが絶対においしいはずだ。
自信作を前にスクーロは鼻息を荒くしていたが、双子はふいっと目をそらした。
「いらなぁい。ミケーレ言ってたよ、この国にはいろんなお菓子があるんだって」
「トト、ズッパ・イングレーゼ食べてみたい。ふわふわのスポンジに、真っ赤なお酒が染み込んだケーキなんだって」
「ジジはね、ズッコット食べたいの。リコッタチーズのクリームが、いーっ……ぱい詰まったドームみたいな形のケーキなの。上に、たっぷりココアパウダーかけるんだって!」
頬を上気させたふたりは愛らしかったが、スクーロはしゅんとしてしまった。
初めて挑戦したケーキが膨らまなかったときも、こんな気分だった気がする。
「わ、わかったよ。やってみる……やってみっから」
あまり複雑な形だとイメージが大変になるから、シンプルなのがいい。
そして、すでに作ったことがあるもののほうが具体的に念じやすい。
スクーロは、頬をじりじりさせる石窯の熱さ、立ち込める甘い香り、お菓子作りが成功してうれしかった気持ちを胸に集め、一気にツノから放った。
「わあ! スクーロ、すごーい!」
ふたりのはしゃぐ声に、恐る恐る目を開ける。
なんと、さっきまで無としか言いようのなかった暗闇に立派なテーブルが現れ、皿にはひと口サイズの丸いお菓子が山のように載っているではないか。
「真っ白でかあいいね~、これなぁに?」
とジジに聞かれ、スクーロは我に返った。
発信の力を、初めて自分の意思で使えた。
飢えと渇きに苦しむ人々を癒やし、ミケーレを守ることのできる力が、ようやく目覚めたのだ。
熱くなる目をこすって涙をごまかし、お菓子の説明をしてやる。
「これはな、メリンゲ。砂糖を混ぜた卵白を泡立てて、スプーンですくって、からっからになるまで焼いて作るんだ。さくさくしてて、ほんのり甘くて、しゅわって溶けてく優しいお菓子なんだぜ」
双子は宝物でも入っているみたいに両手で頬を包み込み、おいしいおいしいと喜んでくれた。
「力を使えるようになってよかった……」
スクーロは新たなイメージを発信した。力みが取れたせいか、願いがすっと涼しげに飛んでいく。
あ~! とトトが歓喜の声を上げた。
「お次は、トトのリクエストのズッパ・イングレーゼ! スポンジとカスタードを重ねて、真っ赤なあま~いリキュールを染みこませたケーキだ。そして、これが」
とスクーロがテーブルの空いているところを指差すと、今度は半球型のケーキが現れた。
ジジが「スクーロ大好き~」と万歳する。
「ジジのリクエストのズッコット! スポンジの中には、砕いたナッツとかオレンジの皮の砂糖漬けなんかを入れた、リコッタクリームが詰まってる」
「上にかかってる茶色の粉がココア?」
「そうだぜ~。さ、食おう!」
いくら食べても、どんなにお行儀悪くしても誰にも怒られないのだから、三人とも思い思いのやってみたかったことを果たした。
手を使わずにケーキにかじりついたり、スポンジに指を突っ込んでクリームを舐めてみたりするたび、自由って最高! と笑みが溢れる。
これまでに感じたことのない解放感に、力を得るって自由になることなんだ、とスクーロはしみじみした。
ぷちぷちした食感が楽しいトウモロコシの粉のケーキ、ブドウ酒が効いた大人の卵黄クリーム、緑のマジパンで包んだ生地に砂糖漬けのチェリーを載せた陽気なカッサータ。
スクーロは次から次に、食べきれないほどのお菓子を出していった。
「よしっ、発信の力完全解放だな! オウガの島まで来た甲斐あったな~。さっさとキアロと合流して、力が開花したって教えてやんなきゃだ!」
しんとした沈黙に、険のある空気が流れた。
スクーロはおっかなびっくり双子に目をやる。先に口を開いたのは、いつもどおりジジだった。
「にーちゃんに?」
「うん、あいつ俺のこと探してるだろうから。ジジとトトまで来てるって知ったら、きっと泡吹くぜ」
「そんなわけないよ。にーちゃんがスクーロを探すわけないもん」
「え? なんで」と問うた相手は、もう小さくてかわいいジジではなくなっていた。
ふわふわした赤い猫っ毛と、雨上がりの草色をした瞳はそのままに、すっかり成長した姿はまるで大人だ。
ジジは自分の手のひらを見つめながら、「いいね」とほくそ笑んだ。
「この姿なら、いつも思っててもうまく言葉にできないことをじゃんじゃんお喋りできちゃうな。
幼い子どもって、大人が思っている以上に周りをよく見ていて、侮れないもんだ。お前もそういうガキだったろ? ミケーレと教皇のこと、感づいたのはいくつのときだった?」
スクーロは思わず後ずさった。
恐れとともに、ねっとりとした嫌な感覚が腹の底を流れていく。
「なあ、スクーロ。暁の勇者様がお前を探すわけがない。だって、お前は神の子なんかじゃなく、哀れな物乞いに過ぎないんだから。
しかも、物乞いできるのはこの幻想の箱の中でだけ。ここを出たら、無力で不自由な子どもに逆戻りだ」
ジジは少しかがんでスクーロと目を合わせると、にたりとほくそ笑む。
「だから、永遠にここにいなよ。外のことはキアロがうまくやるさ」
「そん、な……あいつ任せでいいわけないだろ」
やっとの思いで言った台詞は、大人の男の笑い声に掻き消された。
「ものわかりが悪いな。あっちは暁の勇者様。誰もが待ち望み、言祝ぐ光。それに比べてお前は闇、隠されて生きるしかない無能の忌み子だ。わきまえろ」
「にいには……闇は優しいんだって、言ってくれた! スクーロは優しいって、そう言ってくれたんだ!」
「何が闇は優しいだ、甘ったれやがって。罪のないオウガ三千人とたくさんの赤ん坊を殺して出来上がったのがお前だろ、生まれから何ひとつ優しくねえよ」
一番言われたくないことだった。
生まれてこの方、皆の期待を裏切り続け、その証のように孤独の罰を与えられてきたのだ。
無意味なこの命に、三千人の犠牲など受け止められるわけがない。
どう償ったって、赦されるわけがないのだ。
「おーお、さすがに堪えたようだな、呪いの子よ。甘ったれの子どもだから、汚辱にまみれて隠れ蓑を欲している大人の戯れ言を鵜呑みにしちゃうんだよな。
しかし甘ちゃんのお前と違って、あの男は恐ろしいよ。平凡な貴族のもらい子が、あの若さで枢機卿団の筆頭に。教皇の愛人ってだけじゃ務まるまい、仄暗い政治的な才覚を感じるね」
「にいにを……悪く言うな!」
ジジは愉快そうに笑いながら、まあまあ、と胸の前で両手を広げる。
「いやしかし、スクーロくんの大好きなミケーレお兄ちゃまもさ、キアロみたいな弟が欲しかったろうにね。
誰の前でも明るく素直で、小さい頃から働いてるからしっかりしているし。それに、おつむが軽い分、今後の使い勝手もいいだろうしな」
「やめろ、キアロまで侮辱するな! あいつは、俺なんかよりずっと聡いんだ。ちゃんと自分の頭で考える力があって……で、でも、にいには俺を愛してくれてて!」
言葉がまとまらなくなると、ジジはますますうれしそうにまなじりを下げる。
「そうだよな、キアロはお前なんかよりずっと聡明。俺もそう思ってた。でも、ミケーレがお前を愛してるっていうのには、注釈が必要なんじゃないの」
聞いてはならない、ミケーレの愛だけは疑ってはならない。
それだけが人生の不幸を癒やす魔法、そしてクロスタータがおいしい理由だったのだから。
なのに、思わず「注釈?」と聞き返してしまった。
「じじいに押しつけられた神の子が、お前なんかじゃなかったらもーっと愛したろうな、ってことさ。例えばキアロ! あっはっは、なんだか話が振り出しに戻っちゃったな」
ジジが再び長身を傾げ、スクーロを見下ろす。とどめが来る、と直感した。
「スクーロ、お前は失敗作だ。人としても、人造神としてもね。でも悲しまなくていい。
無力で、誰の希望も叶えられないお前は、昨日までこの世にいないのと同じだった。今日もそうで、明日からもそうってだけだよ。いてもいなくてもいい、それがお前なんだから」
急に喉に込み上げた異物を、スクーロは太いロープを引っ張り出すようにして吐き出した。
水分を吸った重い砂が眼前に飛び散り、涙で視界が歪む。喉に引っかかった残りの砂利が、柔らかい粘膜をちくちく傷つけていく。
発信の力完全解放だなんて、調子に乗ったからだ。
俺は無力な偽物なのに。
惨めさと恥ずかしさで消えてしまいたかった。
ふと、ジジが闇の中に遠ざかる。
代わりに、一部始終を黙って見ていたトトがスクーロに歩み寄ってきた。その姿は変わらず、幼くて愛らしいままだ。
「ジジ、今日変だよね。意地悪だよね。スクーロ、やっちゃいなよ」
「やっちゃうって……何を?」
トトの翠緑の瞳が、切れ味の鋭いナイフのように光った。
「スクーロはここでなら、なんでもできる神様なんだよ。むかつくやつは殺しちゃおう。
僕だって、ジジにむかついたこと今までいっぱいあったもん。宵の勇者様、あなたが無力でないことを証明して」
至極冷静に言い放ったトトの隣に、いつの間にやらムフリオーネが立っていた。
今際の際に訪れる死神を見たような気がして、スクーロは息を詰める。
焦げ茶というよりは、もはや闇と変わらぬ色のその牧羊神は、みぞおちに蹄の手を当てて言った。
「宵の勇者様、ご決断を」
こぼれ落ちそうなムフリオーネの目を見つめながら、スクーロは自分の歯の根が合っていないことに気づく。
「……俺は無力なんかじゃない」
「でしたら、力を使ってそれを示しませんと」
ジジは、遠い暗闇の中からこちらを睨めつけている。
胸の中にありったけの憎悪を集め、ツノから放てばいいだけだ。きっと怨嗟の炎が、ジジという怒りのもとを焼き清めてくれるだろう。
震える息を吐くと、鞄の中でがさっと鳴った。
クロスタータを包んでいる油紙がこすれる音だ。
これは心を込めて作ったお菓子だった。
キアロに元気になってほしくて、ジジやトトたちと一緒に少しでも笑ってほしくて、皆でお腹いっぱいになりたくて、そんな純粋な願いだけで作ったものだった。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
「俺は」と口にした瞬間、自分の手を握っている者があることに気づき、顔を上げる。
そこには、優しい木漏れ日色の瞳があった。
「スクーロってすごいよ! 僕、こんなおいしいもの食べたことなかったもん」
パンの上でとろける蜂蜜みたいな顔で、キアロが笑った。
