ダイヤモンドフジにはまだまだ程遠い【せりふ三題噺】
「あけおめーっす。」
雨曝しの新年の挨拶は新鮮だった。おそらく過去一番声を張った「あけおめ」だった。
タイガさんは空一面から視線を外さないまま、「ことよろ」に近い言葉をぼそぼそと返す。
人も街灯も野鳥も熊も息を潜めた二人だけの歩道橋で、この人と迎える四年目の元旦は、横殴りの雨によってイマイチなスタートになった。
「タイガさんタイガさん、俺折りたたみ持ってますよ。」
そう言って俺がバックパックに手を突っ込むと、こっちを向いたタイガさんはさっきより少し声を出して「結構」と言った。怒ってるかと思ったが、眉間にシワは寄っていない。
動作はそのまま俺はバックパックの中でコンパクトチェアに持ち換えてアスファルトに突き立てた。
それにしてもいつにもましてこの人は素気がない。表情筋に行くはずの栄養がすべてその無精ひげに吸われていったとでも言わんばかりだ。しかも今年はその剛毛の束が雨を含んで墨汁を吸った筆のようだった。SASUKEで盛大な失敗をした仙人のようで、それがやけにツボに入ってしまった。
引き笑いを堪えつつ、無理やり頼みこんで傘だけは受け取ってもらった。
我関せずのタイガさんに、すぐにでも鏡を持ってきて教えてあげたかった。スマホは持っていたが、タイガさんはカメラを嫌う。
「四回目…になりますね。…いやいやいや!だいぶ老いを感じさせないのはタイガさんの方ですって。」
今年で会うのは何度目か、お前はまだ若いままだな、と言われたのでこう返した。
回数を重ねる度に一年が早く感じる。
辞職をして学生時代共にしたギターを一式売り払い、
2週間インド旅行に赴いたもののほとんどが食あたりで寝込み、
帰国後も慣れない夜勤を連勤したり、
同僚と殴り合いになったり、
涙目で買った馬券が大勝ちしたり、
その頃に一旦再就職の目処が立ったりと、
今年も色々あった一年に感じたが、総観して短い。
欲は言いたくないが、タイガさんを見ていると、「今年はさらにもっと…」と考えてしまい、考えるのを辞めたくなる。
たった今、若干、上空の雨雲の動きが早まった気がした。
「いやぁどの予報見てもこれは…ちょっと止みそうにないですね。」
日の出は6時56分。まだ40分以上はある。
しかし今日はどのサイトでも番組でも、一日中降水確率が減ることはないと言っていた。それを聞いて目に見える落胆や失望は見受けられなかったが、少しは期待しているに決まっている。
この歩道橋は街はずれの山奥にあって、西日が尾根に遮られ車道が暗闇に覆われても点く電灯の方が少ないほど、人の気配も一切ない完全な辺境に建っている。俺も片道30~40分車を走らせる必要がある。タイガさんの細かい住所は分からないが、俺の街よりもずっと遠くから来ているらしい。
冷え込んだ大晦日に、俺もタイガさんも毎年ここに集まるのは…。
…。
そういえば大した理由もない。
…。
強いて言えば毎年「待たせているから」とお互いに思い合っているからだろう。少なくとも俺はそうだ。
来なかった年を想像すると、少しだけ気まずかったからだ。
ともかくお互い苦労かけてここに移動してきた。
盆地としては珍しく山々の隙間から遠くまで見渡せる数少ない秘境から覗く初日の出は、かのダイヤモンドフジには遠く及ばずとも、それなりに期待している。傘を握る彼の手も、力が入っているように見える。
「あ、来ましたね今年も。はい。お気持ちだけ、いただきまーす。はーい。」
背後で夜景に街灯りが点々と点き始めるのが、6時半を回った合図だ。
不思議なことにこの人は空の方を向いたままそれを目で確認せずに、点くと丁度に俺に時間を確認して、一息ついて何かお菓子を分けてくれる。
「背中に目ぇついてんですかい!」と二年目までは驚いたものの、今回は完全に慣れた。
タイガさんのお菓子のチョイスも非常に彼らしくて、どこで仕入れたのか分からないものばかり差し出してくる。
去年はきなこ棒で、一昨年はココアシガレットだった。今年は、よくわからない形のグミだ。
毎度口が片結びのしわくちゃのポリ袋から出しているので、口にしたことはない。今年も二袋のうちの一袋を俺に渡そうとしてた。
フェンスを叩く雨粒が妙に拍子良く聞こえた。
さっき車中で聴いていたユーミンの『雨の街を』の歌詞を思い出す。
「夜明けの雨はミルク色」、「夜明けの夜はブドウ色」。
今の俺には歌えるのだろうか。
今はなきギターで弾き語っても、アイツはもう気持ちよく鳴ってくれないのだろう。
「なんか、空ちょっと白っぽくなってきてません?いやいやなってきてますよ。ぁすんませんグミ頬張ってるとき話しかけちゃって。」
タイガさんはずっと空に張り付いて見ているから、微妙な変化に気づかない。今年の初日の出はこのままゆっくりと雲が白髪のように染まっていくのが予想されるのに。
タイガさんは目を細めて凝らしているが、グミを咀嚼する度に頬の肉が下まぶたを押し上げてぱちくりしている。
「えーそんなすぐにできませんっておもろい話なんて。タイガさん無口なんにしっかり話振りますよねえ。ああそれで言うと――」
それで言うと、雨雲って日本の高めの山なら、もしかしたら山頂に行けば雨をしのげるかなって俺最初思ったんです。
思ったんですけど、実際は雨雲はなかなか分厚いもので、普通そんなことならないみたいなんですよね。
俺が想像していた雲ってのが、裏返した皿みたいな、平たいのだったんですよね。富士山に覆いかぶさってるのがポストカードになってるやつ。
ああそうです「傘雲」です「傘雲」!
よく考えたらそんな平たい雲なんて日常的に生まれるものじゃないんです。
俺がマヌケだったために無駄にひとつ夢が崩れました。
けれど今、こうしてタイガさんと空を見て、考えが変わりました。
俺はスマホを横に倒して天気予報の中継を流す。
『今日は全国的に日差しの期待は難しく、北海道から九州にかけて終日傘の出番が続く一日となるでしょう。』
圏外ギリギリで掴んだライブニュースだ。
「今日本の上空を大きな雨雲が流れています。富士山や他の山々もろとも。
地平線の端から端まで、ひとつの大きな傘雲に被されている。
そう考えることにしたんです。」
タイガさんのグミを食べる手が止まった。
彼の持つ傘はとっくに傾いていて、容赦なく雨粒の群れが全身に飛び掛かっていた。
「みーんな今年は、雲が少しずつ白くなっていくだけの、
『ちょっと残念なダイヤモンド富士』を見ることになるんです。
もし予約までして見に行こうとした人が俺の目の前で失望していたら、
これが俺らのダイヤモンド富士だっ!!!!
ってふんぞり返ってやるんですよ!」
タイガさんのグミを食べる手が数秒止まったかと思えば、まとめて五個鷲掴みにして丸呑みした。
ワシワシと噛みしめる度に、顔のパーツのすべてが躍動する。
スマホは圏外に入り、アナウンサーの声がぶつ切りになった。
ガマガエルがフェンスをよじ登り、歩道橋の裏に隠れたか、もしくは滑落した。
ポリ袋の穴からこぼれたグミが、三日後小さなアリの巣に革命をもたらす。
数少ない街路灯がようやく寝付いた。
「…で、感想は?」
俺は息を切らしながらタイガさんに仰いだ。
タイガさんが右手からぶら下げる折りたたみ傘は、立派な水たまりを作っている。
髭に隠れて見えないが、おそらく口を開けている。
「感想ですよ。ねぇ、そう思いません?」
初めてタイガさんは空から目を離し、俺を見つめた。
「…なぁぁぁにを言ってんだっ、キミはっ!」
タイガさんの二人称は「キミ」だったことを初めて知り、衝撃を隠せない。
続いてタイガさんは鼻と口の両方から噴射するように、猪みたいに笑った。
それを見て俺もたまらず笑い転げた。
皮膚の上の雨水が沸騰するくらいの興奮が全身を駆け巡るようだった。
タイガさんが肩を震わせるたび、傘の先から水が飛んだ。
東の雲の輪郭が、ふと明るくなった。
横殴りの光芒が差した。
俺たちの笑い顔にたくさんのフェンスの×の影を押し付けた。
スマホが回線を取り戻し、笑顔のアナウンサーが興奮して喋っている。
『いやあ!よかったですね!ギリギリで雲が晴れました!見てください立派なダイヤモンド富士です!いい一年になりそうですね!!』
一通り空を眺めた後、タイガさんは俺の折りたたみ傘を持ったまま歩道橋を去った。
競歩のシニア部門で全国を狙えるのではないかと思うくらい、あの人の徒歩はすさまじい。
俺は絞った靴下を履き、その足をスニーカーにねじ込める。
次に会った時に返してもらいたい。そう思ってはじめて、今年が加速する。
この度は、はらとけいさんが企画する「せりふ三題噺」に参加させていただきました。先週に続いて二回目です!
#せりふ三題噺|お題発表(2026/6/19〜2026/6/25)|はらとけい
セリフ:「で、感想は?」
三題:傘・グミ・地平線
登場人物に関しては、具体的な誰か…は想像していませんでした。
ただヤモリとガマガエルのような、そんな距離感の人間二人を描こうと頭を動かしていた気がしています。
かくいう私は年が明けて三が日は基本家にいる人間でした。
初詣とか、初日の出とか、テレビの中で消化していましたね。
それよりかは雪かきに次ぐ雪かきにいそしんでいました。
ハレの日はグミを口いっぱい頬張るような、そんな特別感のある日にしてやりたいですよね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!!
