十三階はSix/NineなSEVENTH HEAVEN ~BUCK-TICKと「コンセプト・アルバム」~
「BUCK-TICK初のコンセプト・アルバム」
……これは、どのアルバムのことでしょう?
隠さず言おう。別に隠すことでもないし。
『十三階は月光』のことである。
当時の売り文句として、それは大々的に言われていた。たしかにその世界観は統一感があり、楽曲自体は「全体の部分部分」を担うもので占められていたが、全貌は舞台のように流麗にまとめあげられていた。
だがコンセプト・アルバムというより「櫻井敦司のゴシック世界を今井寿がまとめたトータル・アルバム」の印象が強く残った。あくまで個人的にだが。また全体の世界観が統一されていたがため、収録曲群は単一の曲としては弱いものがほとんどで、その後のライヴで演奏されたのはほんの数曲。おそらく「ROMANCE」と「DIABOLO」のシングル組に、アルバムのクライマックスを飾る「夢魔 -The Nightmare」ぐらいじゃないだろうか。S.E.や無音を含むものの18曲中たった3曲。純粋な歌唱曲だけで数えても13曲中3曲。少なっ。
まぁこれが「コンセプト・アルバムあるある」で、どうしても「全体をやるか、単一で聴ける曲をやるか」になりがちだ。
たとえばコンセプト・アルバムの元祖たるビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だってベストに収録されたりライヴで演奏される曲は限られている。特にアルバム中間部の曲は単一では弱い。「よし、今日は『ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト』を聴こう!」という人はそんなにいないはずだ。
さらにはコンセプト・アルバムの極致、ピンク・フロイドの『狂気』なんぞ全体がメドレーになっているため、切り取りがしづらい。しかしその「一部だけをつなげて」ライヴ演奏やベスト収録したり、効果音的に使ったり、単一でも輝く曲がいくつもあるため、何だかんだ単一で収録または演奏されていないのはあくまで展開曲に徹した「望みの色を」だけだったりする。10曲中たった1曲。やるなぁ。
ゆえにBUCK-TICKが『十三階は月光』リリース後は全体を演奏するツアーをおこない、その後は象徴的な3曲をライヴ演奏する、というのはもっともな方法論だったわけだ。
えっとビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』の場合は (しつこいので以下略)
しかし、だ。
本当に『十三階は月光』がBUCK-TICK初のコンセプト・アルバムなんだろうか? 実はずっと、疑問に感じていた。
だってゴシックな世界観の統一ということであれば、間違いなく『悪の華』が先にやっている。その前の『TABOO』だって、ボーナス・トラック扱いの「JUST ONE MORE KISS」さえなければ霧煙る怪しいロンドンの空気に満ちたトータル・アルバムだ。
統一感だけで言うなら、テクノと打ち込みに徹した『SEXY STREAM LINER』だってそう。『極東 I LOVE YOU』『Mona Lisa OVERDRIVE』もアルバム・カラーが統一されていたが、むしろこの2作が続く『十三階は月光』の布石になったわけか? でもでも、もっと前に暗黒と怪しい世界と死への羨望で統一された『darker than darkness』もあったぞ。
うーん、キリがない。
そもさん、アルバムを作るにあたって「カラーが出る」のは当然なわけだ。わかりやすいのは先に名前を挙げた『TABOO』。それまでの明るいポップを封印し、ダークな色調で統一した、そうそう「色調」だよ、色調。音だけど色。全体の。
それを徹底したのが『悪の華』であり、その後の「アルバム・カラーが統一された作品」はあくまで「収録曲の色調が統一されていた」だけなわけだ。だから先のように「これもコンセプト・アルバムじゃないの?」と錯覚する羽目に陥ってしまった。
しかし「前もって世界観を統一し、インストゥルメンタルや無音トラックも挟んで、全体を戯曲的・歌劇的・舞台的な世界観に仕立てるという明確なコンセプトがあった」のは、たしかに『十三階は月光』だった。「前もって打ち立てた」のは、そこが初めてだったわけか。たぶん。
まぁ大体うなずける。だいたいは、ね。
でもね。
ずっと追ってきた個人としては『Six/Nine』こそが初のコンセプト・アルバムなんじゃないかと思っていたんですよ。収録曲のカラーはバラバラだし、楽曲テイストも統一されていない。だけどイントロとエンディングに「Loop」「Loop MARK II」が配されているおかげでコンセプチュアルに感じるし、実際にリピートしていると「ループ」する。さらには中腹の「Somewhere Nowhere」が意味深かつ隠れたテーマ的で、全体のいいフックになっている。ただの「思いつきの即興」なんだけども、結果的に。
もしかしてこのアルバムは「懊悩する人生と輪廻転生」がコンセプトなんじゃないか。いくらもがいても何も解決しない、しかしそこには喜びも哀しみも確かにあり、やがて平等に死は訪れ、そして「存在」は永遠に輪廻、つまりはループする。
人間の一生と転生、
……そんなふうに、とらえていたんです。恥ずかしい中二思考だけども。だってこのアルバム自体が「厨二病アルバム」とか言われてるじゃないか。
そうそう、『Six/Nine』はものすごい濃度とスケール感を持った作品だが、シュッとしてまとまった「大人のアルバム」ではない。あくまで「行き詰まりを無理にごまかさず、そのままに描き」「部屋の隅で体育座りしながら妄想したさまざまな世界」のごとく「子供じみたウジウジ世界観」さえ「そのまま」に提供されている。
ゆえにBUCK-TICK全作品のなかで最も「歌詞を聴かせる作品」と言い切れる。1曲に英語と日本語を混ぜることなく、楽曲タイトルさえ (カッコ書きでサブタイトルが追加された「KICK(大地を蹴る男)」を除き) 徹底したこだわり。
リード・シングルとなった「唄」は構想時には「SAKEBI(または『叫び』)」というタイトルだったそうだが、櫻井が言うには「そのままだったら『LION』みたいになって何も進歩しなかった」とのこと。つまりは「懊悩をなんとかごまかしてそれっぽく仕上げていたかもしれない」ということじゃないだろうか。それをごまかさずに「唄」へと昇華したからこそ、その後の楽曲も「ごまかさずに、今を描く」歌詞になったと推察する。勝手だが。
まさに「懊悩男・櫻井敦司」の真骨頂であり、このアルバムで吹っ切れたからこそ、次のカラッとしてコンパクトな『COSMOS』に転じるわけだ。いやこれは実際。
でもその懊悩こそがとっても魅力的だから、いつまでも『Six/Nine』をして「B-T最高傑作」と呼ぶ人も少なくないのです。実は僕もですが。
全員が悩みに悩んだレコーディングの、ただの「寄せ集め」だったらそうなっていない。「原寸大の世界観」と「それをまとめあげた展開と『Loop』」があったからこそ、このアルバムは一生に一度の名盤となったのだ。いやまじで「仕上がり」の効果だと思う。最後の最後に今井が思いついた「Somewhere Nowhere」をもって、このアルバムは「完成 (完全に成立)」したと思うぞ。
そのアルバム発表後のツアー「Somewhere Nowhere 1995 TOUR」では一部の日程を除いて「基本的に『Six/Nine』収録曲のみ演奏する」というスタンスだったのも、このアルバムがコンセプチュアルだった証にならないだろうか。先に書いた『十三階は月光』と同じことを、すでに10年前にやっていたわけだ。
「細い線」あたりはその後のライヴには登場していないけど、意外とこのアルバム収録曲は単曲でも演奏されている。1曲1曲が個性バラバラで、しかも過剰なまでに濃密な完成度だったので、一部を切り取っても聴けるもんね。
だけど「よし、今日は『限りなく鼠』を聴こう!」とならないのも、まるで『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のようだ。
しかし可哀想なのはアルバムに収録されなかったため一度もライヴでも演奏されなかった「君へ」である。あ、そういや「UNDER THE MOONLIGHT」という前例もあったか。ついでに言えば「君へ」は仮タイトルが「吠える狼」だったらしい。こりゃまたA面曲と同じ。がるるるるぅぅぅぅ(←「LION」冒頭の唸り)。
それでも『Six/Nine』全体の世界観が統一感あるものになったのは、あくまで「後付け」だった。楽曲群の個性はバラバラだし、ゆえに後のライヴでもほとんどの曲が演奏されている。
だから「前もってコンセプトを仕立てた」アルバムで言うなら、なるほど『十三階は月光』が初のコンセプト・アルバムになるわけなんだなぁ。
そうか、あれほど愛した『Six/Nine』も、B-Tにとっては「過程」でしかないのか……と書きながら感じている。狙ってできるものじゃないよね、あれは。
だからこそ、大好きなんだけど。BUCK-TICKのアルバムにしちゃ『Six/Nine』は「あまりにも隙がありすぎて」。
だがそれがいい。
なんだけど、ね。
実はメジャー・セカンド・アルバムの『SEVENTH HEAVEN』って、もっともっと先に「コンセプト・アルバム風」に仕立て上げられていたりするんじゃないか。
原因は明白。イントロの「FRAGILE ARTICLE」とエンディングの「SEVENTH HEAVEN」コーダ部分インストゥルメンタルの演奏を、SOFT BALLET加入前の森岡賢が担ったおかげだ。それによってバラバラな楽曲世界が「全体を見るとまるで統一されたかのように」感じてしまう。ヤガミ・トールが「森岡ちゃんのおかげで『SEVENTH HEAVEN』ができたところはある」と言うのも無理はない。
あれ、先述の『Six/Nine』と同じじゃん。
しかも実は、これってビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と同じ手法だったのだよ。もしかしたら。そもさん、ポール・マッカートニーがそう思いついてやってみたら、あの名作になってしまったわけで。「コンセプト・アルバムの元祖」という呼ばれ方までして。
だから『SEVENTH HEAVEN』全体を聴くと、ぼんやりと「天国」というテーマがあるために「心中で天に召される」のも、「カプセルの涙」を流すのも、「空中の楼閣」を見つめて嘆くのも、「東洋の恋物語」を語るのも、突拍子もない「カフカと統合失調症」も、「絶望的なジルバ」も、「愛の犠牲者たち」のゆくすえも、すべて「追憶」となって「第七天国」へ向かっていく。それをまとめるのが「こわれものの記録」……今井寿はイメージがあったのに実現できず「もっと時間があれば」と嘆いていたようだけど、アニィいわく「楽曲がいいから救われてる」ので、実は深読みすれば「当時の今井のイメージを感じる」ことができる。って勝手な憶測ですが。
最も多忙で作曲の時間さえ取れない時期に作られたアルバムのため、楽曲のテイストがバラバラなのは当然。でも念頭に「テーマは天国」と決まっていた。そのために方向性だけは定まっていて、実は良質な「当時のBUCK-TICK」が詰まっている。1日2日で作曲および制作したとは思えない、印象的なリフや楽曲が、実は多い。
はっきり言って小粒な曲ばかりだけど、たとえば「CASTLE IN THE AIR」とか「DESPERATE GIRL」のメイン・リフってさ、なんだか「聞いたことある感じ」がしない? そのぐらい耳なじみがいい。「CAPSULE TEARS」のイントロなんてテキトーに弾かれたものが偶然ハマッたし、アイルランド民謡を意識した音色も明るく、さらに「PLASTIC SYNDROME」の後継者でもあるし、可愛くてしょうがない。最重要曲の「VICTIMS OF LOVE」は逆に「よくできていて」浮いてしまうぐらい。
それでも曲ごとのパンチは弱く、さてどうしようかとなった時、森岡賢のインストがすべてを「まとめてくれた」。これは最大級の功績だと思う。僕もイントロとエンディングがなければ「なんだこの糞ポップス」とか言ってたかもしれない。
でもビートルズの『サージェント~』には本編終了後のリプライズという形で「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が収録され、最後の「1分残響」と「シークレットのギミック」が施されていた。それでもってポールのひとりよがりではなく「ビートルズの名作」たり得た。
もしかしたら『SEVENTH HEAVEN』にもそういったものがあれば、もっと評価されていたのじゃないか。同じく『Six/Nine』も。なんて空想しているのは、これらのアルバムを愛してやまない僕である。だからこんな文章を書いたわけで。
あげく自分の好みに勝手なリミックスを施してウォークマンで聴いています。やはりこの2作は再生頻度が多い。いやー「君のヴァニラ」や「楽園」をシングルとアルバムを同時進行したりとかさ。「誤解」もライヴに準じた内容に編集したりしてさ。「VICTIMS OF LOVE」を当時のライヴ音源からフェイド・アウトじゃなくイントロつきの完全演奏にしたりしてさ。ほかにもいろいろ進行を変えたりメドレーにしたりして、さ。
そうした「余白」があるからこそ、この2作には「その先」を感じる。「未熟さゆえの魅力」が、そこにはある。
だがすまん。『十三階は月光』には、ガチガチに練られているので「余白を感じない」のだよ。遊びのないハンドルなんだよ。すべてが完成形で「とにかくこれを聴け!」って感じちゃうんだ。
だから実は好きになれないのだよ (←あ、言っちゃった)。
BUCK-TICKは「余白があってナンボ」だって思ったんです。いやあくまで個人的にですが。
と、いうわけで。
僕にとっては『Six/Nine』が「BUCK-TICK初のコンセプト・アルバム」であり、『SEVENTH HEAVEN』は「BUCK-TICK初のコンセプチュアルなアルバム」である。
そうだね、これらを「コンセプト・アルバム」と呼べないなら、いっそ「コンセプチュアルなアルバム」って呼んでやる!
そんなふうにまで思えるのは、BUCK-TICKがアルバム制作に「手を抜かなかった証拠」じゃないか。忙しすぎてテキトーな作品をドロップしそうな時期の『SEVENTH HEAVEN』さえ、そんなふうに邪推させてしまうのだから。だからこそ「完全に場つなぎ」の『ROMANESQUE』は今でも不憫な立ち位置なんじゃないか。内容も中途半端で作品以前のファン・サーヴィスでしかないから。
いろいろが落ち着いて「できた曲を寄せ合ってアルバムを作る大御所」になる前のBUCK-TICKは、だからこそ「ギリギリの高い完成度」を感じる。若さってすごい。
それだから、僕は前期ビクター時代のBUCK-TICKが大好きなんである。自分の青春時代だから好きという事実を無視してでも、そこには「キラメキ」がある。そう感じるのだよ。
ファンの支持が強い『Six/Nine』はともかく、『SEVENTH HEAVEN』がそんなにいいアルバムと思わない? まぁそうだろう。
いやいや聴き直してみてくれよ。この「修行」がなかったら、きっと「櫻井敦司を喪っても動き続けるBUCK-TICK」は存在しないぜ。
「『今』が再び訪れた『その時期』」だからね……!
BUCK-TICKは「今が最高傑作」。
だからこそ「過去が今につながっている」。それを強く感じさせるのが、個人的にコンセプトを妄想させた前述の2作。
ライヴではイントロとエンディングを配するようになり、アルバムでも次第にそうなってきた。でも『異空 -IZORA-』の「QUANTUM」にはそんな拘束感はない。もはや「コンセプト縛り」をする意図なんてない。
BUCK-TICKは、自由だ。
だからこそ「『異空 -IZORA-』の先」が、見たかったなぁ。もしかしたら「また『十三階は月光』の再現ライヴやろうよ」なんてあっちゃんが言い出した可能性も、なくはない。プログレ・バンドのイエスみたいに。
それでも今井を中心に「今のBUCK-TICK」は更新され続けている。
そうやってBUCK-TICKの「今」につながる要素は、常に「過去」に配されている。だからどんなアルバムでも、何度も聴いちゃうんだよ。それぞれの「カラー」が、すべて「今とこの先」につながっているんだよ。
そのきっかけを感じるのが『SEVENTH HEAVEN』と『Six/Nine』。
なんて言えば、また聴いてもらえるかな。長いことファンやってるけど、実は一番好きな曲が「CAPSULE TEARS」なんだ。「PLASTIC SYNDROME TYPE III」っていうサブタイトル、昔からのファンには重いよね。
つまりは総合的に言いたいのは……
「BUCK-TICKにとっては、コンセプト・アルバムという手法も『表現の一端』でしかない」
ということなんです。どれが最初のコンセプト・アルバムかなんて、意味ないんです。うわー台なしじゃん、この文章。
でも言っちゃえば全作、歌詞を中心に見れば「人間・櫻井敦司のリアル・タイムを描くコンセプト」みたいなもんだし。特に『Six/Nine』なんて、ねぇ。
それにそもそも。
BUCK-TICK自体、
「今井寿による『BUCK-TICK』というコンセプト」
なのだから……!
