「一佐」で何が困る?「大佐」に変える前に、自衛官の装備を何とかしろ
自衛隊の階級名を変える話が進んでいる。現在の一佐を「大佐」、二佐を「中佐」、三佐を「少佐」などに改める案が報じられており、自民党と日本維新の会の連立政権合意にも、自衛隊の「階級」「服制」「職種」などの「国際標準化」を2026年度中に実行すると明記されている。政府も、この合意を受けて自衛官の階級変更について検討を進めている。
◆ はじめに
私は「大佐」という言葉が嫌なのではない。自衛隊を専守防衛を担う国防組織として、憲法上きちんと位置づけることにも反対しない。むしろ国を守る組織である以上、その権限と責任、そして限界を明確にしておいた方がいいと思っている。だから、「大佐なんて旧軍みたいでけしからん」という話をするつもりはない。私が知りたいのは、もっと単純なことだ。一佐で、いったい何が困っているのか。
念のため言っておくが、私は戦争を賛美しているのではない。戦争など起きない方がいいに決まっている。だが、軍隊や武器をなくせば、それだけで戦争がなくなるとも思っていない。国家間の対立や侵略の意思まで、それで消えるわけではないからだ。だから私は、戦争を避けるためにも、必要な防衛力を持ち、それを担う自衛官をきちんと支えることが必要だと考えている。この前提そのものを否定して、「軍隊や武器があるから戦争になる」と主張する人と、ここで議論するつもりはない。
◆ 一佐で、何か困ったのか
実は、この疑問はすでに国会議員から政府に問われている。現在の自衛官の階級の英語表記によって、国際任務や各国との共同訓練、指揮命令系統などで具体的な支障が生じた事例はあるのか。政府の答えは、「現時点において把握していない」だった。
では、「一佐」「二佐」などの呼称によって、自衛隊の業務や国内外での活動に具体的な支障や不都合が起きた事例はあるのか。これについても、政府は把握していない。そもそも「階級呼称の国際標準化」とは何を意味するのか。防衛上、行政上、どのような必要性があるのか。こちらは、自衛官の階級変更について現在検討中なので、現時点では答えることが困難だという。
つまり、具体的な支障は把握していない。何をどう「国際標準化」するのか、その必要性についてもまだ答えられない。一方、連立政権合意には、「国際標準化」を2026年度中に実行すると書かれている。
◆ 外国軍に「大佐」と言っても通じない
「国際標準化」というからには、今の呼び方では海外で何か困っているのかと思う。だが、外国軍との実務で、一等陸佐が相手に向かって「わたしは、いっとうりくさです」と日本語で押し通しているわけではない。一等陸佐ならColonel、一等海佐ならCaptainなど、相手に通じる表記に置き換える。参議院調査室の資料にも、過去の政府答弁では、それで海外の現場に特段の問題は生じていないとされてきたことが整理されている。
各国軍の階級名称は、そもそも国際間で統一されていない。英語圏ですら、陸軍と海軍では同格でも呼称が違う。ロシア軍ならロシア語、ウクライナ軍ならウクライナ語で、それぞれの階級を呼んでいる。必要なら相手に分かる言葉に訳し、対応する階級を確認する。それで済む話である。NATOにも各国の階級を対応させるOF・ORという仕組みはあるが、各国固有の階級名称そのものを統一しているわけではない。
一佐を大佐に変えたところで、外国軍人に日本語で「私は、大佐です」と言えば突然通じるようになるわけではない。
どうせ訳す。なら、一佐でも同じじゃないか。
相手の階級を知る手掛かりは、呼称だけではない。階級章もあるし、各国軍の階級のおおよその対応関係を示す資料もある。ただし、軍種や制度が違う以上、各国の階級を厳密に一対一で対応させられるわけではない。
外国軍との活動に必要な知識を、何の準備もせず現地で初めて覚えるわけでもない。少なくとも国際平和協力活動に派遣される陸自要員については、駒門駐屯地の国際活動教育隊が要員の教育や訓練支援を行っている。外国軍との活動というのは、現地へ着いて相手の肩を見ながら、「星が付いてるな。この人、偉いのかな?」から始めるようなものではないだろう。
それでも現在の階級呼称で具体的に何が困ったのかと聞けば、政府は把握していないというのである。
◆ 「大佐」なら、国民に分かりやすいのか
「一佐、二佐では、どちらの階級が高いのか一般の人に分かりにくい」という指摘もある。今回の質問主意書でも、この点は取り上げられている。
これも、私はよく分からない。軍隊に興味のない人なら、大佐と中佐どころか、大尉と大佐のどちらが上なのか知らなくても別に不思議ではない。階級体系を知らなければ分からないという点では、一佐でも大佐でも同じだ。むしろ同じ「佐」の中だけなら、一佐、二佐、三佐と数字が並んでいる現在の方が分かりやすい、とさえ言える。
災害派遣の現場なら、もっと単純だ。被災者が知りたいのは、目の前の自衛官が一佐なのか大佐なのかではない。「この人が、自衛隊側の責任者なのか」である。自治体や警察、消防との調整でも必要なのは、その人の役職、担当、権限が分かることだろう。「大佐」に変えたら災害対応が円滑になった、共同活動で意思疎通が改善した、何かそういう具体的な問題があるのなら話は分かる。
だが、政府自身、現行呼称による具体的な支障を把握していない。だったら、「国民に分かりやすくなる」という話も、70年以上使ってきた階級名を変えるほどの理由になるのかと思う。現在の階級呼称は1954年の自衛隊発足以来使われてきた。
◆ では、なぜ変えるのか
実務上の支障は把握していない。「国際標準化」の具体的な中身や必要性についても、まだ政府は明確に答えていない。それでも、「国際標準化」を2026年度中に実行するという方針だけは先にある。となれば、「じゃあ、何のために変えるの?」となる。
維新の2026年政策集を見ると、自衛官の採用をめぐる厳しい状況や処遇改善、人的基盤の強化とともに、「自衛官の自衛官たる矜持」を向上させる施策の必要性を掲げ、その同じ項目で階級、服制、職種などの国際標準化を2026年度中に実行するとしている。
さらに、それ以前に維新がまとめた「21世紀の国防構想と憲法改正」では、自衛隊の階級と服制について、「軍として国際標準の呼称等に統一すること」が不可欠だとしていた。幕僚長たる将を大将、その他の将を中将、将補を少将とする例まで挙げられている。
ここまで読むと、実務上困っている何かを直すというより、自衛隊をもっと「軍隊らしい呼び方」へ寄せたいのではないか、と私には見える。だからといって、「旧軍復活だ」「戦争をするためだ」とまで飛躍させる必要はない。軍隊らしい呼称に改めること自体に意味があるというなら、最初からそう説明すればいい。
「海外で分かりやすくなる」「国内でも分かりやすくなる」と言われると、どうしても最初の問いに戻ってしまう。で、一佐で何か困ったの?
◆ 「一佐」のままで、何が悪い
私は、防衛庁が防衛省になったときも、別に「庁」のままでいいじゃないかと思っていた。海外から見て、「Defense Agencyなのに、このレベルなのか。これが“省”になったら、どうなるんだ?」と思わせておくくらいでいい。その方が、むしろ抑止になるんじゃないかと思っていた。「われわれは、じえーたいでーす。ぐんたいじゃ、ありませーんw」などと言いながら、実際の編成や装備、能力を調べてみたら、「……これでSelf-Defense Forceなのかよ!?」となる。その方が、よほど不気味でいい。
階級だって同じだ。「一佐」のままで実務に何の支障もないなら、それでいい。「大佐」に変えたところで、防衛力が上がるわけでもない。
◆ 大佐と呼ぶ前に、まともな装備を渡せ
それより、先に金を使うところがあるだろう。
2024年12月の衆議院安全保障委員会では、防衛省が自衛官の被服などについて行ったアンケートで、作業用手袋や靴下を自費で購入していると回答した隊員が多かったことが明らかにされている。その後、防衛省は作業用手袋と靴下の品質改善や交付数量の見直しを進め、手袋は二組から三組、靴下は四足から六足となった。
これは大いに結構だ。こういうところには、もっと力を入れてほしい。
陸上自衛隊の駐屯地には、いわばPXのような売店がある。私は複数の駐屯地や防衛大学校で実際に見ているが、ファミリーマートが入り、弁当や飲み物、普通の日用品だけでなく、革手袋、迷彩Tシャツ、フラッシュライトなど、訓練や勤務で使う用品も普通に売られている。自衛隊向けの半長靴用中敷きまで、私物として購入できる。
中敷きというと、一般の人には「履き心地を少し良くする物」くらいに思えるかもしれない。だが、陸の兵隊は歩いてなんぼである。これは戦国時代の足軽の昔から変わらない。どれほど立派な武器を持っていても、歩けなくなればそこで終わる。長距離を歩く陸上自衛官にとって、靴下や中敷きは単なる快適用品ではない。足を守るための装備である。
自衛隊向けとして売られている半長靴用中敷きの商品紹介には、自衛官による長距離行軍での使用例が掲載されている。価格は6000円ほどで、官品ではなく私物購入とされ、販売ページには「PXでも販売中」とある。ただし、これは防衛省による性能評価ではなく、商品紹介に掲載された使用者の声である。
自衛官が自分で装備を選ぶことまで否定するつもりはない。靴や中敷きは身体との相性が大きい。足の形も歩き方も違うし、任務によって必要な性能も違う。問題は、それが「選択」なのか、それとも「不足を自腹で補っている」のかだ。
任務に必要な装備は、国家が十分な性能と数量を確保する。そのうえで、許可された範囲内で、民生品などから自分の身体や任務に合ったものを本人が選ぶ。それなら分かる。問題は、官品だけでは足りない、あるいは任務を続けるには別の物が必要だからと、自分の財布から金を出して補うことが当たり前になってしまうことだ。
さらに、私物装備には、官品の不足を自腹で補うという問題とは別に、装備としての適合性という問題もある。靴や中敷きのように身体との相性で選ぶものと、迷彩や装備体系との適合が関わる装具とでは性質が違う。
私は、陸上自衛官が外国軍の装具を使っている姿を何度も見たことがある。複数の外国軍のものを見たが、中でもスイス国防軍のポンチョや弾薬ポーチは印象に残っている。少し昔のことなので、当時どのような規定や部隊内の運用があったのかまでは確認できない。だから、規定違反だったと断定するつもりはない。
しかし、見たときには「これはいいのか?」と思った。ポンチョなら身体のかなりの部分を覆う。しかも、スイス国防軍の迷彩は、日本の植生とは色柄が違う。弾薬ポーチとなれば、装備体系との適合まで考えなければならない。なぜ、外国軍の装具まで使う必要があったのか。私が気になるのは、そちらである。必要な装備を国家が十分に用意し、私物を使うならその範囲を明確にする。そこまで含めて、装備を整えるということではないか。
階級呼称を変えるための教育、規則改正、広報などに、どれほどの費用が掛かるのかについても国会議員から政府に問われている。しかし政府は、階級変更について検討中であることを理由に、試算を示していない。
現行呼称による具体的な支障は把握していない。「国際標準化」の具体的な意味も、政府はまだ答えていない。費用の試算も示されていない。
だったら、「大佐」に変える話をする前に、自衛官の装備を何とかする方が先じゃないのか。
◆ 「矜持」を言うなら、まず自衛官を大事にしろ
維新のいう「自衛官の自衛官たる矜持」。矜持を高めること自体に、私は異論はない。だが、矜持というものは、階級の呼び方を変えれば生まれるものだろうか。
任務に必要なものを国家が用意する。自衛官に、不足を自腹で穴埋めさせない。負傷や殉職など、何かあったときに本人と家族を支える制度を十分なものにし、確実に機能させる。そういう国であってこそ、自衛官としての矜持も生まれるのではないか。
だから私は、「今日から君は一佐ではなく、大佐です」と言うより、「任務に必要なものは、すべて国家が用意する。何かあったときには、君と家族を国家が支える。だから、安心して自らの任務に邁進してほしい」と言える国であってほしい。
自衛官に国家のために命を張れと言うなら、国家も自衛官とその家族に最後まで責任を負え。これは褒美ではない。国家として当然の責任である。
しかし、それですべて済むわけでもない。人の命は金に換算できない。任務中に命を落とした自衛官の遺族にどれほど十分な補償をしたとしても、それは「命の代金」ではない。人間の命に値札をつけることなどできない。
任務を果たした者の働きと献身は、正当に評価されなければならない。傷ついた者を見捨てず、亡くなった者を忘れず、国家と国民が「あなたが何をしたのか、われわれは知っている。忘れない」と伝える。
必要な装備を与え、本人と家族を支えることは国家の責任だ。それとは別に、命を懸けて任務を果たした者には、その働きにふさわしい名誉と賞賛があるべきだと思う。国家が自衛官をどう扱うのか。その積み重ねが、自衛官としての矜持を支えるのではないか。
一佐で何が困ったのか。政府は、具体的な支障を把握していないという。「国際標準化」とは具体的に何なのか。政府は、階級変更を検討中だとして、まだ答えていない。
そんなところに金を使うくらいなら、自衛官とその家族のために使ってくれ。
一佐でいいじゃないか。
◆ 最後に、一曲
最後に、一曲だけ紹介したい。アレクサンドル・ブイノフは、ソ連時代から活動を続けてきたロシアの有名な歌手である。彼が歌う「ВДВ — с неба привет!」は、ロシア空挺軍、ВДВを題材にした曲だ。
この歌の中では、次の言葉が繰り返される。
「СЛАВА ДЕСАНТУ! ЧЕСТЬ И ХВАЛА!」
「空挺軍に栄光を。名誉と賞賛を」
別に、ロシア軍やロシア空挺軍を賞賛するわけではない。私がここで拾いたいのは、この「名誉と賞賛」という言葉である。
兵士に必要な装備を与えることも、本人や家族を支えることも、国家の責任だ。しかし、人の命は金では買えない。だからこそ、命を懸けて任務を果たした者には、金では買えないものを与えなければならない。
名誉と賞賛である。
