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キャンパス・ライブ ≪3≫

第3話

 カードリーダーに学生証をかざすと、鈍いモーター音と共に扉の鍵が開いた。

「お邪魔します」

控えめな声と共に、結衣が研究室に足を踏み入れた。重厚な防火扉の向こう側は、何台ものラックサーバのファンが低く唸りを上げ、サーバから発せられる熱を冷やすために、冷房がフル回転していた。モニター群にはネットワークのトラフィックを可視化した極彩色のグラフが踊る異様な空間だ。

「セキュリティ研究室だから、一応外部の人は立ち入り禁止なんだけど、まぁ、内緒だよ」

健人は、彼女を自分たちの「秘密基地」に招き入れた。絡まった配線と埃っぽい機械、放置されたカップラーメンの食べ残しの匂いに満ちた、男ばかりのむさ苦しい空間に、ぱっと鮮やかな花が咲いたようだった。

 研究室の奥で寝落ちしていた院生の先輩が、結衣の姿を見て慌てて身体を起こした。机の隅には飲みかけのエナジードリンク缶と、コンビニおにぎりの空袋が積まれている。

「あ、鴨居さん。すみません…」

健人が気まずそうに頭を下げる。

「良いよ良いよ。しかし、健人。女を連れ込むとは、悪くなったな」

鴨居さんが眼鏡の位置を直しながら、健人のことを冷やかす。

「ち、違いますよ。そう言うのじゃ無くて…」

健人が顔を赤らめる。

「すみません、お邪魔でしたか?」

結衣が不安そうに尋ねた。

「冗談、冗談!好きに使って良いよ。俺、タバコ吸ってくるわ」

無精髭を撫でながら、鴨居さんは研究室を後にした。


「健人、お前のサイト、今のままだと、パケットを大量に投げ込まれたら一瞬でパンクするぞ。俺が無料でペネトレしといてやったよ」

背後のデスクから、町田がキーボードを叩く音を響かせながら、ニヤケ顔で告げた。健人は慌てて自分の端末を確認する。

「だからさっきからサーバがダウンしてたのか。DoS攻撃なんて勘弁してくれよ。個人がWAFで対策できるわけ無いだろ。あ、古淵さん、これ差し入れ?ありがとう」

健人が結衣から受け取ったコンビニ袋の冷たさに安らぎを感じていると、彼女が不思議そうに首を傾げた。

「ペネトレ…って、なに?」

「ペネトレーションテストって言って、模擬的にサイトを攻撃して、弱点が無いか調べる事だよ。でも、管理者の許諾無しにペネトレをするのは、単なるサイバー攻撃と同じだって、資格のテキストにも書いてあったぞ。」

健人の抗議に、町田は鼻で笑った。

「CISSPだろ?セキュリティの最高峰資格かなんだか知らないけど、よくあんなの有難がるな。あんな机上の空論、実際の現場ではクソほどの役にも立たねーよ」

町田の尖った言葉に研究室の空気が一瞬冷えかける。しかし、結衣は困ったような、それでいて穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。

「でも、攻撃して壊しちゃうよりも、成瀬くんみたいにみんなの役に立つものを作る方が、ずっと難しい気がするな」

その一言に、健人は目に見えて表情を明るくした。

「そうだそうだ、聞いたか町田!」とはしゃぐ健人を前に、町田は苦々しい表情を浮かべ、再びモニターの数字の羅列へと視線を戻した。


 各々が作業に集中しだし、研究室に再びサーバの駆動音だけが戻った頃、町田が画面のログを見つめたまま、低く呟いた。

「健人。さっきのペネトレ、俺が手を止めた後も、お前のサイトに『ポートスキャン』が続いてたぞ。俺じゃない誰かが、もう穴を探し始めてるかもしれないな」

健人の手が止まった。

「冗談だろ?この弱小個人サイトを乗っ取って、何のメリットがあるんだよ」

「わかんねーよ。単なる愉快犯か、それともどこかを攻めるための『踏み台』にでもしようとしてるのか。どっちにしろ、未使用のポートはちゃんと閉じとけ。認証も二重にしろよ」

「それくらい、言われなくてもちゃんとやってるよ」

健人は努めて軽く返したが、胸の奥がわずかに騒ぐのを感じていた。


「そろそろ行くか。」

町田が椅子を回転させながら立ち上がる。

「あ、うん。そうだね。橋本と相原が、また演習課題で詰まるだろうし」

健人も我に返り、PCを閉じると、軽く伸びをした。

「いちいち丁寧に教えなくてもいいんだよ。自分で調べないと、いつまでたても自分のものにならねえ」

町田は突き放すように言った。その会話を聞いて、研究室の隅で本棚を眺めていた結衣がふと顔をこちらに向けた。

「サークル? そういうの、やってるんだ」

健人は少し驚いたように振り返る。

「あ、うん。ホワイトハッカーのサークル。まあ、技術系だから、結衣さんには退屈かも」

結衣は小さく首を振った。

「ううん、そんな事無いよ。むしろ、ちょっと興味ある。成瀬くんがどんな人たちと一緒にいるのか、知りたいなって」

健人は一瞬で頬が熱くなる。町田は、露骨に眉をひそめた。

「文系が来て楽しい場所じゃねぇぞ。真っ黒いコマンド画面と汗臭い男しかいねぇ」

「うん、わかってる。でも、見学くらいなら。だめ?」

結衣は笑う。

「好きにしろよ。責任は取らねぇけどな」

「ありがとう、町田くん」

結衣は軽く頭を下げた。


 サークル室の扉を開けると、エアコンの冷たさと、サーバのファンの唸りが混ざった空気が流れ出た。壁には、『町田亮』と書かれたCTFの賞状が何枚も飾られている。

「お疲れさまでーす。って、あれ? 女の子?」

3年の橋本が目を丸くする。隣の相原も、思わず姿勢を正した。

「見学。健人の知り合いだ」

町田が淡々と説明する。結衣はにこやかに会釈した。

「こんにちは。お邪魔します」

その瞬間、サークル室の空気がわずかに変わる。男ばかりの空間に、柔らかい色が差し込んだようだった。

サークル代表で唯一の院生の中山さんが、ホワイトボードの前から振り返る。

「見学? まあ、いいよ。危ないことはしないから安心してね」

「ありがとうございます」

結衣は丁寧に頭を下げる。結衣は、中山さんの落ち着いた態度、橋本の軽さ、相原の無邪気さを、順々に見渡す。


「今日はネットワークの演習だ。仮想ファイアウォールでVPNを組んで、脆弱環境にアクセスしてフラグを取ろう」

中山さんが説明を始めると、結衣は「へぇ」と興味深そうに頷きながら、中山を見つめていた。


 橋本が焦ってキーボードを叩く。相原が「これどうやるんですか」と健人に聞く。町田は無言で高速に操作し、すぐにフラグを取り終える。結衣は、そのすべてを静かに見ていた。


 サークル室を出た後、健人は嬉しそうに言った。

「どうだった? 難しかったでしょ」

「ううん。みんなすごいなって思った。成瀬くんも、町田くんも」

「そんな事ないよ。」

健人が頭を掻きながらニヤける。

「そう言えば、古淵さんは、サークルとかやってるの?」

「うん、マスコミ研究会だよ」

「ああ、マス研ね。意識高そうだね」

感心したように健人が驚いてみせた

「ちょっと、意識高そうって、それ褒めて無くない?」

結衣は笑う。その笑顔は完璧だった。だが町田は、歩きながらぼそりと呟いた。

「なあ健人。あいつ、なんでサークルに来たがったと思う?」

「え? 物珍しさじゃないの?」

町田は鼻で笑った。

「お前、本気でそう思ってんのか」

健人は答えられなかった。結衣は少し前を歩きながら、二人の会話を聞いているのかいないのか、静かに夜風に髪を揺らしていた。


 その夜。スマホが震えた。結衣は通話ボタンを押す。

「研究室とサークル見学に行ったんだって?どうだった?」

「3年の橋本くんと相原くんは素直。技術も普通。院生の中山さんは堅いタイプ。同じく院生の鴨居さんは良く分からなかったけど、いい加減そう。一番気になるのは、町田くんかな」

「やっぱりね。で、キャンパス・ライブの方は?」

「続けるよ。あれが一番、情報が集まるから」

「ふーん。で、町田くんには警戒されてるわけだ」

「…たぶん」

相手が小さく笑う。

「鼻が効くね、彼。しかもイケメンじゃん?成瀬くんより、そっちの方が良かったりして。あ、けど、成瀬くんも、“奏くん”に似てかわいいタイプだから、結衣はそっち?」

「やめて、二人ともそう言うのじゃないから」

「はいはい。まあ、ミイラ取りがミイラにならないようにね」

通話が切れた。結衣はしばらく画面を見つめていた。