キャンパス・ライブ ≪15≫
第15話
下の階から現れたのは、矢部刑事だった。
「…長津田薫さんですね?」
静かに手帳を開いた。
「何でここに…」
健人は思わず口をついた。
「タレコミがありましてね…。大学ネットワークを経由した不正アクセス、およびランサムウェア攻撃に関して、重要参考人として事情を伺います」
地面に押さえつけられた長津田を矢部刑事が見下ろすと、長津田は睨みつけた。
「…証拠でもあるんですか?」
その時、後ろで鴨居さんがスマホを掲げている。
「…ドラマでもよく思うんだけどさ」
全員の視線が向く。
「なんで犯人って、追い詰められると全部喋りたがるんだろうな」
鴨居さんは録音停止ボタンを押す。
「便利な時代だよな。あ、俺のスマホ壊そうとするなよ。クラウドにも同期済みだ」
「捜査にご協力ありがとうございます。録音データは、後ほど利用させてもらいます」
矢部刑事は、押収したスマートフォンを証拠袋へ入れながら、小さく息を吐いた。
「…しかし、相変わらず、人使いが荒いですね。先輩」
目線の先の階段の下には、初老の男性が立っていた。
「桜木町教授!」
健人たちが目を丸くする。
「何で教授がここに…。え、てか教授、矢部さんと知り合いだったんですか?」
「昔な」
教授は静かに眼鏡を外した。
「警察時代、サイバー犯罪対策室で、一緒に仕事をしていてね」
健人たちは思わず顔を見合わせた。
「昨日は驚いたよ。重要参考人として町田くんに話を聞きたいと言ってきた刑事が、まさか矢部くんだったとはな」
矢部刑事が苦笑する。
「こちらこそ驚きましたよ。大学に移ったとは聞いていましたが、まさか先輩の研究室の学生を事情聴取することになるとは」
「昨晩、矢部くんには連絡を入れておいたんだ。研究室の学生たちが、独自に何か掴みかけているかもしれない、とね」
「うちの生徒は優秀だから、絶対真犯人を見つけ出すって、ずいぶんと親バカぶりでしたね」
「はは、そう言わないでくれ。自分の研究室から犯罪者を出すわけにはいかないからね。それに、私は町田くんを信頼していた」
町田が少しだけ目を逸らす。
「だが、町田の学生証を利用したのは、狙ってか?」
中山さんが長津田に凄む。
「ああ…。色々と勘付いて厄介だったからな。退場してもらおうと思った。」
「結果、お前を探し出す手がかりになったけどね。」
健人が長津田を見下ろす。
「焦って無理に攻めれば、必ず尻尾を出すもんだ。感謝してるぜ」
町田が嘲笑うように言った。
「空手と同じだな。攻撃は同時に、隙も生みやすいからな」
片倉が町田の顔を見てニヤリと笑った。
「教授の立場としては、焦ったがね。だから、鴨居くんにも協力してもらって、裏で色々動いて貰っていたんだ」
桜木町教授が腕を組みながら鴨居さんに視線を送ると、鴨居さんは頭をかいた。
矢部刑事は、証拠袋に入ったスマートフォンへ目を落とした。
「先輩…。気持ちは分かりますが、本来なら警察へ任せてほしかった」
静かな声だった。
「外郭団体のWebサーバを書き換えるような相手です。悪意のあるコードを実行できる以上、何が起きても不思議じゃなかった」
片倉が押さえつけていた長津田へ視線を向ける。
「ただ、結果的に端末を押収できたのは大きい。解析できれば、通信履歴や実行ログも復元できるでしょう」
矢部刑事は、証拠袋へ入れたスマートフォンを静かに持ち上げる。
「この端末は、こちらで解析に回します。通信履歴、実行ログ、クラウド同期、VPN接続記録…。復元できるものは全部確認することになるでしょう」
長津田は何も答えない。
「現時点では、重要参考人として任意同行です。ただ…」
矢部刑事は一瞬だけ言葉を切った。
「押収端末の解析と、通信記録の照合が済めば、令状請求も視野に入るでしょう」
階段室の空気がさらに重くなる。
「…逮捕、されるんですか」
結衣がかすれた声で訊いた。
矢部刑事は慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「まだ決まったわけではありません。ただ、今回の件は、大学内のトラブルでは済まない。政府系外郭団体への不正アクセス、ランサムウェア攻撃、認証情報の悪用…。社会的影響も大きい。警察としても、かなり重く見ています」
「でしょうね。どうせ、そのうち実名も出る」
長津田は鼻で笑ったが、その声は震えていた。
「日本は、逮捕された時点で全部終わりだからな…」
中山さんが苦い顔で壁にもたれかかった。
「判決なんか出なくても、メディアからは“犯人”って扱いになる」
「…ネットは、もっと早い」
鴨居さんがぼそりと呟く。
「もっと不確かな情報でも、平気で黒扱いする」
鴨居さんがぼそりと呟いた。
「今回の件はセンセーショナルな内容だ。ニュース出る前から、“特定班”が動く。顔写真、SNS、家族、バイト先。全部掘られる」
長津田は黙ったまま視線を逸らした。
「まあ、お前がやってきた事と、ほとんど同じ構造だけどな」
町田の声は冷たかった。階段室に沈黙が落ちる。
矢部刑事は小さく息を吐いた。
「…本来なら、捜査情報が外へ漏れるべきではないんですがね」
その言葉に、鴨居さんが乾いた笑いを漏らす。
「でも現実は、そうじゃない」
「ええ。特に今回は、大学名も絡む。報道が入る可能性は高いでしょう」
結衣の肩がびくりと上がる。健人は思わず結衣を見る。
「…古淵さんの件も、また掘り返されるかもしれない」
矢部刑事の声は低かった。
「犯行動機と関連づけて報じられれば、また検索やSNSで再拡散される可能性があります」
結衣の顔から血の気が引いていく。
「そんな…。じゃあ、また…」
「落ち着け」
町田が短く言った。
「少なくとも今回は、被害者側として整理される」
「だが、それで全部消えるわけじゃない…」
桜木町教授が静かに続けた。
「今の検索やAIはね、一度広がった情報を、綺麗には消してくれない」
教授は静かに目を伏せた。
「訂正より、刺激の強い情報の方を覚え続ける」
中山さんが被せて話す。
「しかも厄介なのは、“訂正”そのものが再拡散になる事だ。否定するための記事が、再び名前を検索上位へ押し上げてしまう」
健人は言葉を失った。犯人は捕まった。だが、それで終わりではない。むしろここから、また別の形で情報が増殖していく。
「…内定先とか、大丈夫なんでしょうか」
結衣が目に涙を浮かべながら呟く。桜木町教授が、ゆっくり頷いた。
「私から説明する。大学側としても、正式に対応するつもりだ」
「でも、企業って、こういうの嫌がりますよね」
美咲が不安そうに言う。
「企業は“炎上”を嫌う。だが同時に、“被害者を切り捨てた企業”と思われる事も嫌う」
教授は静かな口調で続けた。
「少なくとも現状では、古淵さん本人に違法行為の疑いは無い。そこは明確に説明できる」
矢部刑事も頷く。
「警察としても、古淵さん本人を捜査対象として見ている事実はありません。その点は、必要なら大学側へ正式に伝えます」
結衣は俯いたまま、小さく唇を噛んだ。
「…でも、検索したら出るんですよね」
誰も、すぐには答えられなかった。
階段の下から、パトカーの無線音がかすかに聞こえてくる。矢部刑事は長津田へ向き直った。
「行きますよ」
矢部刑事に促され、長津田はゆっくり立ち上がった。もう抵抗はしなかった。
階段を降りる直前、長津田は一度だけ振り返る。
「ネットってのはさ、一回燃えたら終わりなんだよ」
力の無い声だった。
「誰も、元には戻してくれない」
その声は、誰に向けたものなのか分からなかった。それだけ言い残し、長津田は矢部刑事と共に階段を降りていく。
足音が遠ざかるにつれ、張り詰めていた空気も少しずつほどけていった。だが、誰もすぐには口を開けなかった。
結衣は俯いたまま、小さく肩を震わせている。健人は何か言おうとして、言葉を失った。
励ましも、慰めも、今はひどく薄っぺらく思えた。かつて弟を守ろうとして放った言葉が、何年もの時間をかけて、別の誰かの人生を壊していた。
そして今度は、その憎しみが結衣自身を壊そうとしていた。
静まり返った階段室に、遠くから昼休み終了のチャイムが響く。まるで、自分たちだけが取り残されたみたいだった。
