キャンパス・ライブ ≪10≫
第10話
最近、結衣はよくスマホを見る。美咲が最初に気づいたのは、そんな些細な違和感だった。
講義中。 移動中。 学食で話している時。通知音が鳴るわけでもないのに、結衣は何かを確認するように、何度もスマホの画面を開いていた。しかも、そのたびに表情が曇る。
「ねえ、結衣…」
昼休みの学食で、美咲は向かい側に座る結衣を覗き込んだ。
「最近、なんかあった?」
「え?」
「いや、なんかずっとスマホ気にしてるから」
結衣はスマホに目をやると、強く握りしめる。
「別に。何もないよ」
そう言って笑う。 けれど、その笑顔が少し硬いことに、美咲は気づいていた。
美咲は大きく息を吐いた。
「絶対、なんかあるよね!」
美咲は学食のテーブルを叩きながら、昨日の結衣の様子を健人と町田に報告する。
『スマホの画面…』
美咲の話を聞いて、健人は、フェスの日のことを思い出していた。ライブが始まる直前、結衣がスマホの通知を見た瞬間、彼女の顔色が変わったことを。
「何でそれを今まで黙ってたの!?」
美咲が飛び出しそうな勢いで身を乗り出す。
「いや、そんな大した事じゃないと思って…」
「大した事あるでしょ! 結衣、明らかに様子おかしいじゃん!」
健人は思わず肩をすくめた。
それまで黙っていた町田が、ぽつりと言った。
「多分、巻き込みたくないんだろ」
「え?」
「健人を」
町田はスマホを弄りながら続ける。
「もし結衣の身に何か起きてるなら、一人で抱え込もうとするタイプだ。それに、何か脅されてたら、ますます頼れなくなる」
町田はスマホの画面から目を離さないまま言った。
「最近、通知を見た直後だけ、周囲を確認してる」
「周囲?」
「誰かに見られてないか、気にしてる動きだ」
美咲は納得いかないように腕を組む。
「でも、だったら余計に放っとけないでしょ」
「本人が隠したがってるなら、無理に聞くのも違う気が…」
健人がそう言うと、美咲は呆れたようにため息を吐いた。
「そういうとこ鈍いんだって」
「何で俺が怒られてんだよ」
その時だった。
町田がしばらくの間、黙ったままスマホの画面を見つめ、小さく眉をひそめる。
「町田、どうかしたの?」
健人が異変に気がつく。
「…古淵の名前、検索してみろ」
健人は怪訝そうな顔をしながらスマホを取り出す。検索欄に、『古淵結衣』と入力する。
「…は?」
画面に表示された文章を見て、健人は固まった。
「うそ…。何でこれが…」
美咲の顔が真っ青になる。
「美咲、何か知ってるの?」
健人が美咲を覗き込む。
「そんな…。5年も前に済んだ話なのに…。なのに、なんで今さら…」
「状況確認は後だ。とにかく、結衣に会いに行こう」
健人が立ち上がると、美咲が健人の袖を掴んで言った。
「待って…。木曜は毎週結衣とお昼を一緒に食べに行くんだけど、今日は朝から連絡が無くて…」
「なんだよ。お前こそ、そんな大事な事、早く言えよ」
町田が頭を抱える。
「だって、体調が悪いのかと」
「健人、キャンパス・ライブのログで、古淵が大学に来てるか調べられるか?」
「技術的には可能だけど、それはプライバシーの侵害じゃ…」
「そんな事言ってる場合?今、結衣を助けられるのは、私たちしかいないのよ?」
「分かったよ。ちょっと待って」
健人はノートPCを開き、キャンパス・ライブの管理画面を呼び出す。
「この日、研究室にいたのは結衣と俺だけだったから、結衣の端末は…」
そうつぶやきながら検索する健人の指が止まった。
「駄目だ。今朝から一回もセンサーに引っかかってない」
「大学に来てないって事?」
「少なくとも、センサー範囲には入ってない」
「手がかりゼロか…。」
美咲は視線を落としたが、何かひらめいた顔をして、すぐに顔を上げた。
「じゃあ、結衣の家に行ってみよう!」
それを聞いて、健人は鼓動が早くなる。
「え、結衣の家…。知ってるの?」
「当たり前でしょ。だてに高校から親友やってないわよ」
「けど、押しかけるのは迷惑じゃ」
健人が不安な面持ちになる。
「まだそんな事言って!連絡が取れないんだから、こっちから行くしか無いでしょ!」
そう、豪快に言ってのけた美咲の声は、少し震えていた。
三人は駅から住宅街を歩いていた。夕方が近づき始めた空は薄く曇っていて、風が妙に冷たかった。
「結衣、昨日までは普通だったんだけどな…」
美咲が小さく呟く。健人はスマホを握ったまま、何度もトーク画面を開いていた。未読のままのメッセージ。既読はつかない。
「ここ」
美咲が立ち止まる。
二階建ての、ごく普通の住宅だった。美咲がインターホンを押す。しばらくして、小さく足音が近づいてきた。扉が半分だけ開く。
「…はい」
出てきたのは、大学生くらいの男子だった。結衣に少しだけ似ているが、大人しめな印象だった。一瞬、美咲が息を呑む。
「あ、湊(みなと)くん。久しぶり。えっと…結衣いる?」
彼は三人の顔を順番に見たあと、眠そうな目で呟いた。
「部屋です。呼んできますね」
結衣の様なハキハキとした明るさはなく、少し大人しめの印象に、健人は親近感を覚えた。
湊は一度奥へ引っ込むと、小さく階段を上がる音がした。
「姉ちゃん、友達」
二階から、かすかに声が聞こえる。数十秒後、階段を降りる足音と共に、声が降ってきた。
「ありがと。湊はもうさがってて良いよ。」
一瞬だけ見せたお姉さんの顔に、健人は、結衣の知らない一面を覗いてしまった気がした。
笑っている。ちゃんと、いつもの結衣みたいに。けれど、どこか無理をしているようだった。結衣は、玄関を出ると、扉を締めた。目元が少し腫れている様に見える。
「結衣…」
美咲が言葉を探す。
「ごめん、急に休んで」
笑った後、結衣はすぐに視線を逸らした。
「それより、これ…。あの時の…」
美咲がスマホを見せる。
「…みんなも見たんだね。」
結衣が恨めしそうにスマホの画面を見る。
「私たち、結衣の力になりたいの。力を合わせれば、なんとかなるよ」
結衣はゆっくり首を横に振る。
「みんな、ありがとう。けど、私は大丈夫。せっかく来てくれて悪いけど、今日はもう、帰って。」
結衣が玄関の扉を開けて、家の中に入ろうとする。健人はすかさず結衣の腕を掴んだ。
「俺達を巻き込まないようにって思ってるなら、そんなの気にしないでいい!」
「ありがとう。けど、そこまで分かってるなら、私の気持を尊重して。私のせいでみんなまで不幸になったらと思うと、耐えられないの…」
最後まで言いかけた途端、健人が割って入った。
「それでもいい。結衣の力になりたいし、結衣がいない学校生活なんて、そっちの方が耐えられないよ!」
健人は顔を赤くしながら叫んだ。
「健人の言うとおりだ。健人の背中なら、俺に任せとけ。攻撃を仕掛けられたら、必ず尻尾を見せる。好都合だ」
「けど、物理的な危険もあるかも」
「望むところだ。そっちの方が得意だぜ」
町田が軽く笑う。
「町田はこう見えて小学生から空手やってるんだよ」
健人が拳法のようなポーズを取る。
「バカ、それじゃカンフーだ」
町田が呆れ顔で突っ込む。
その言葉を聞いた瞬間、結衣は俯いた。
「…何で」
小さな声だった。
「何で、そこまでしてくれるの」
結衣の肩が震えている。
「だって、結衣は友達だろ」
健人は、まっすぐ答えた。
結衣は何かを言おうとして、言葉にならなかった。代わりに、美咲が前へ出る。
「結衣さ、昔からそうじゃん」
結衣は赤い目で美咲を見つめる。
「自分が我慢すれば終わるって、すぐ思う」
結衣は黙ったまま、唇を噛み締める。
「でも今回は、一人じゃ無理だよ」
その言葉で、とうとう結衣の目から涙が零れ落ちた。
「…怖かったの」
掠れた声だった。
「脅迫者から連絡が来たの。『これ以上近づけば、健人も標的にする』って」
「やっぱりな…」
町田が腕を組見直す。
「それに、また、あの時みたいになるのが…」
涙が次々に溢れる。
「みんながどんな反応するのか…。健人に、嫌われるのも怖くて…」
風が吹く。真っ赤な落ち葉が、住宅街を高く舞った。
