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キャンパス・ライブ ≪5≫

第6話

 「これが、新しいサイトの試験版だよ」

 健人が結衣に評価用のスマホの画面を見せる。

「わあ、凄い。お洒落になってる!」

 結衣が目を輝かせて言った。

「さっき言ったみたいに、スマホでサイトを操作してみて、表示が崩れたりボタンが反応しなかったりしないか、いくつか試しておいてくれるかな」

「うん、任せて」

結衣は春の陽だまりのような微笑みを返した。その光景を横目で見ながら、町田が立ち上がる。

「俺、ちょっと情報センターに行ってくる。ついでに学食でコーヒーでも買ってくる」

そう言って、町田は重い防火扉を開けて研究室を出ていった。

 

​ 部屋の空気が変わる。サーバの駆動音だけが響く室内に、健人と結衣の二人きり。さっきまで町田の毒舌が混じっていた空間が、急に密度を増したように感じられた。隣で真剣に画面をスワイプする結衣。彼女が動くたび、柔らかなシャンプーの香りが微かに香った。

「えっと、もし使いにくかったら遠慮なく言ってね」

「ふふ、大丈夫。成瀬くん、本当にセンスいいんだね」

結衣がふと顔を上げると、健人と目が合った。健人はそっと目を逸らす。

「ごめん、ちょっと、トイレ行ってくる。ついでに俺も学食で何かお菓子でも買ってくるわ」

「あ、うん。ありがとう」

健人は逃げるようにして部屋を出ると、大きく息を吐き出した。

 

 トイレに向かうと、入口の壁に寄りかかって町田がスマホを覗き込んでいた。

​「よお、遅かったな」

「うわっ! 町田? お前、情報センターに行ったんじゃなかったのかよ」

健人の驚きを無視して、町田は視線をスマホに固定したまま、眉間にシワを寄せた。

「見てみろ。お前の『女神様』の正体だ」

町田が健人にスマホの画面を見せる。そこには、無表情で健人のPCを操作する結衣の姿が映っていた。

​「え、嘘だろ。それに、何でパスワードを知ってるんだ」

「ショルダーハックだな。ログイン画面を後ろから覗かれたんだろ。古典的な手法だが、お前みたいな無警戒な奴には一番効く」

 画面の中の結衣は、健人に見せる柔らかな表情を完全に消し去っていた。モニターを見つめるその瞳は、冷たく、どこか怯えているようだった。周りを気にしながら、彼女は手際よく『キャンパス・ライブ』のセンサーが収集した、接続端末のログ情報画面を開いた。

​「てか、何でこんなの撮ってたんだよ。プライバシーの侵害だろ」

健人が声を荒げると、町田は鼻で笑い、スマホをポケットに放り込んだ。

「怪しいと思ってたからな。あえて俺たちが部屋を出れば、必ず尻尾を出すと思って試したんだ。ま、お前らがイチャつく映像にならなくてよかったぜ」

​「バカ、俺と古淵さんは、そういうのじゃ」

「そうだな。あいつにとっては、この研究室はただの“情報源”だ」

​町田は健人の肩を叩き、研究室の方を指差した。

「いいか健人。あいつが今、何を見てたか分かるか? センサーに繋がったスマホのMACアドレスの履歴をコピーして、自分のメールに送りつけてやがった。目的は分からないけどな。まあ、教科書で読むよりは、DLPで情報持ち出し対策する大切さが身に染みただろ」

​健人は言葉を失った。扉の内側では、まだ彼女が完璧な微笑みを準備して待っているはずだ。

​「さて。どんな顔して戻るつもりだ? 開発者さんよ」

​町田の冷めた声が、無機質な廊下に反響した。

 

 健人が黙り込んでいると、町田の声が急に優しくなる。

「まあ、無理もないよな。意中の相手が、自分を裏切ったんだからな」

健人は我に返って言い返す。

「だからそんなんじゃないって。それに、何か事情があったのかも知れないし。これだけだと、なんとも…」

「お前らしくないな。どんな事情があっても、不正アクセスは犯罪だって、いつもなら言うだろ」

「そうだけど…」

「でも、同情するぜ。どうする?見なかったことにするのか?」

「いや…。ちゃんと確かめたい。このままモヤモヤした気持で、これから先顔を合わせられないよ」

「それもそうだな。じゃあ、とりあえず購買に行って、頭を冷やそうぜ。手ぶらで帰ったら怪しすぎるからな。」

 

 健人は研究室の前に着くと、一呼吸入れた。この扉の向こうには、たった今、自分のPCからデータを盗み出したばかりの彼女が、何食わぬ顔で座っている。

​「本当に行くのか」

隣で町田が、わざとらしく健人の顔を覗き込んできた。その両手には、購買で買ったばかりの缶コーヒーが三つ握られている。

「行かないわけにいかないだろ。俺のPCなんだから」

「そうだな。お前がここで逃げ出したら、あいつも『バレた』って気づくだけだ。いいか健人。操作ログと画面キャプチャだけは、別サーバーに飛ばしてある。お前はただ、いつも通りニヤついてりゃいいんだよ」

「ちょっと、画面キャプチャって。人のPCに、なに勝手に細工してんだよ。てか、お前もパスワード覗いてたのか?」

「お前はショルダーハック仕放題なんだよ。それが嫌なら、顔認証なり、多要素認証でも導入するんだな」

​町田は健人のほっぺたに、コーヒー缶を押し付けた。

「冷たっ!」

その冷たさが、逆に健人の心を温めてくれるようだった。

「…コーヒー、サンキューな」

健人は意を決して扉を押し開けた。重い防火扉が、いつもより何倍も重く感じられた。

 

​ 研究室の中は、先ほどと何も変わっていない。サーバの唸りと、少しだけ冷房の効いた空気。そして、健人の隣の席でスマホをいじっている結衣。

​「あ、成瀬くん。町田くん。おかえり」

その微笑み。春の陽だまりのような、さっきまで救いだと感じていた、あの笑顔。

「うん、ただいま。ごめん、遅くなった」

自分の声が上ずっているのがわかった。健人は、彼女の隣にある自分の椅子に腰を下ろした。PCのディスプレイは、健人が去った時と同じようにデスクトップ画面になっていた。

「新しいサイトのチェック、どうだった?」

健人は自分の座席に腰掛けた。少しだけ温かい。

「うん、凄く使いやすかったよ。ボタンの配置も分かりやすいし。あ、でも、ここのメニューだけちょっと反応が鈍いかな」

結衣は検証用のスマホを指差す。彼女が自然に振る舞うほど、胸に苦しさを感じた。

​「そ、そう。ありがと。修正しておくよ」

健人は力なく返事をすると、スマホを受け取った。

​「成瀬くん?どうしたの、顔色悪いよ」

結衣が心配そうに顔を覗き込んでくる。その手が、健人の腕に触れようとした。

「あ、いや。ちょっと、昼に変なもの食べたかな」

健人は不自然に身を引いた。結衣の手が止まった。

 健人が町田に目配せする。それを合図に、町田は背後の席でキーボードを叩き始めた。すると、研究室の壁に掛けられた大型モニターの電源がオンになる。

 結衣が、不思議そうに大型モニターを振り返ると、表情が固まった。

「…え?」

映し出されていたのは、数分前、結衣だけになった研究室の映像だった。