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キャンパス・ライブ ≪8≫

第8話



 「フェス? 俺が、そんなキラキラした場所に行くわけないだろ」

研究室に、町田の冷めた声が響く。だが、美咲は全く怯まなかった。

「何言ってるの、町田くん! 結衣を元気にするには、あの圧倒的な音圧が必要なのよ。ほら、健人も『行く』って言いなさい!」

「え、あ、うん。でも俺、フェスなんて行ったことないし、何を持っていけばいいのかも」

健人が困惑している間に、美咲はスマホの画面を突きつけた。

「チケットはもう4人分確保したから。拒否権なし!」


 そして当日。焼け付くような熱気の海浜公園。

「ほら、これ。ちゃんと全員分あるからね!」

美咲がカバンから取り出したのは、今年のフェス公式ロゴが大胆にプリントされたTシャツだった。

「えっ、美咲、これ」

「事前に通販で予約しといたの! 当日物販で何時間も並ぶのなんて時間の無駄でしょ? はい、結衣のはM、健人はL、町田くんは…、XLでいいよね」

「おい、なんで勝手に俺の分まで買ってんだよ。しかも、この色はなんだ。目立ちすぎるだろ」

町田が、渡された鮮やかな蛍光オレンジのTシャツを指先でつまみ、心底嫌そうに顔をしかめる。

「いいじゃん、お祭りなんだから! ほら、四人お揃いの方が、はぐれた時に見つけやすいし」

美咲は町田の不満をさらりと流し、自分もさっさとTシャツに着替え始めた。

​「健人、見て! 私たち、本当にお揃いになっちゃったね」

Tシャツを着た結衣が、少し照れくさそうに微笑む。普段の清楚な姿とは違う、ラフな彼女の姿に、健人は一瞬言葉を失った。

「あ、うん。すごく、似合ってるよ。」

「ふふ、ありがとう。なんだか、形から入ると本当にワクワクしてくるね」

結衣の瞳は、いつもにも増してキラキラと輝いていた。

​「チッ、着ればいいんだろ、着れば」

結局、町田もぶつぶつ言いながら、Tシャツを頭から被った。

「おっ、町田くん、意外とオレンジ似合うじゃん。」

町田はサングラスにキャップ、首には冷却タオルを巻き、手にはハンディファンを持っていた。

「なんだか慣れてるね。フェス、初めてじゃないでしょ」

美咲が尋ねると、町田は鼻で笑った。

「去年、部活のダチに無理やり連れてこられたんだよ。その時に学んだんだ。無策で突っ込む奴から熱中症で死ぬってな」

「え、町田くん、部活もやってたんだ。」

美咲が町田の顔を覗き込んだ。

「ああ、空手部だ」

「え、体育会なの?体力ありすぎ。」

美咲が日に焼けた町田の腕をまじまじと見た。


 ゲートをくぐると、地響きのようなドラムの音が四人を包み込んだ。お目当てのバンドの演奏が始まると、結衣と美咲は弾けるようにはしゃぎ出した。

 音楽に合わせて自然に身体を揺らす結衣の横顔を見ながら、健人はどうしようもない劣等感と不安に襲われていた。自分は人生のほとんどを、ブルーライトの光る暗い部屋で過ごしてきた。

 一方、彼女の隣には、かつてこの眩しい太陽の下が似合う、自分とは正反対の誰かがいたのではないか。去年も、その前も。自分には想像もつかないような楽しそうな笑顔を、その「誰か」に向けていたのではないか。

ー前回は、彼氏と来たのかなー

考え始めると、思考のループが止まらない。デジタルなデータなら解析すれば答えが出るが、彼女の過去は、どの検索エンジンを使っても辿り着けない空白の領域だった。


 爆音の中、結衣がパンフレットを見ながら叫ぶ。

「ミセスは絶対前で聴きたいから、早く並ぼ!」

「良いね!聴きたい!」

健人の声のトーンが上がった。

「ミセス良いよね。健人も聴くんだ」

結衣が目を細める。

「うん。インフェルノとか、ロマンチシズムとか、リアタイで聴いてたよ!」

健人が得意げに応える。

「まさかのフェーズ1からかよ」

町田が吹き出す。

「古参なんだね。すごい」

結衣のその真っ直ぐな視線に、健人は、アニメのタイアップがきっかけで好きになっただけだと、くすぐったさを感じていた。


 人混みに揉まれる中、あの独特な通知音が会場に響いた。

「お、激アツじゃん!」

「マジ?エグいって」

周囲の温度が一段と上がる。たちまちスマホのシャッター音に包まれる。

「タイミング最高じゃん!みんな、こっち向いて!」

美咲がスマホのカメラを3人に向けると、健人は慣れない形のピースサインで応えた。

「あー、終わったな」

町田が小さく呟く。

「あれ、画像がアップ出来ない」

結衣がスマホを振りながら電波を探す動作をする。

「そんな事しても意味ねーよ。電波の問題じゃねえ」

町田の言葉を聞いて、健人がハッとした顔をする。

「そうか。これだけ過密な状況で、皆が一斉にBeRealに画像をアップしたから、キャリアの基地局がパンクしてるのか」

「テーマパークの開園前にゲートで起こるやつね」

結衣が納得した顔で苦笑いした。

​「健人、初めてみたいだから教えてやる。自分の位置を常に見失うな。はぐれたら、スマホも繋がらない中、この人混みじゃ二度と会えないと思え。」

町田の忠告は、いつになく真剣だった。

「横浜、あんまり一人で前に行くなよ! 古淵も、健人から離れるな」

​数万人が拳を突き出し、叫び、踊る狂乱の空間。健人は、隣を歩く結衣の手を、はぐれないように思わず掴んだ。自分でも驚くほど強い力だった。

「あ、ごめん」

「ううん、大丈夫。離さないでね、私、健人だけが頼りなんだから」

結衣の瞳には、ステージの照明が反射してキラキラと輝いている。その瞳の奥にあるのが、自分への信頼なのか、それともただはぐれないようにしたいだけなのか、健人には判別がつかない。けれど、彼女の手から伝わる温もりが、この不釣り合いな場所に自分がいてもいい唯一の証明書のように思えた。


 圧倒的なエネルギーの渦に飲み込まれ、健人は、自分たちを縛り付ける「脅迫者」さえ、遠い世界の出来事のように思えた、その時だった。結衣がスマホを取り出して、画面を確認すると、そっとポケットに戻した。

「どうしたの?」

健人が訪ねると、結衣は、通知が来たから確認しただけだと返した。しかし、その目は、どこか周りの目を気にしているように見えた。