キャンパス・ライブ ≪18≫
第18話
夜のファミレス。入口から一番奥のソファー席で、ドリンクバーのコーヒーをテーブルの隅に置き、健人は取り憑かれたようにキーボードを叩いていた。
画面には、二人目の動画投稿者の最寄り駅の風景が映し出されている。
―今度こそ、徹底的にやってやる。結衣のために、俺が全員潰す―
昼間、研究室のメンバーから向けられた冷たい視線が、今も胸の奥でドス黒く燻っている。誰も動かないなら、俺が手を汚すだけだ。そう自分に言い聞かせ、バッグを掴んで立ち上がろうとした、その時だった。
「よう。随分と熱心だな」
不意に頭上から声をかけられ、健人の身体が強張った。
見上げると、いつもの革ジャンを羽織った町田が、無表情に立っていた。
「町田…。なんでここが」
「お前の考える事なんてお見通しだ。困ったらいつも、ここに来るだろ」
町田は断りもせず健人の向かいの席に腰を下ろす。
「邪魔でもしに来たのか?ほっといてくれよ…」
健人が怪訝な目で町田を見つめる。町田は自分のリュックからノートPCを取り出した。
「まあ、そう言うなよ。」
町田は、自分のPCを開いて画面を健人に向ける。
「お前が次のターゲットに突撃する前に、これを見せようと思って。ネットで、もうこんな騒ぎになってるぞ」
健人は眉をひそめながら、町田のモニターに目を落とした。次の瞬間、健人は全身の血の気が一気に引いていくのが分かった。
画面に映っていたのは、見慣れた匿名掲示板のまとめサイトや、SNSのタイムラインだった。そこには、数分前に投稿されたばかりと思われる不穏な文字列が躍っている。
『【悲報】喫煙美少女の彼氏、ブチギレて特定厨に進化。動画投稿者を脅迫して回る』
『動画投稿者の職場を待ち伏せして恐喝した大学生の画像がこちら』
『悲報:喫煙美少女、彼氏を使って火消しに必死な模様』
そこには、夕方に健人が翠ケ原駅前で、あの最初の男を問い詰めている瞬間の写真が、盗撮されたかのように生々しく載せられていた。
さらに、健人の大学名や、所属している研究室の場所までが特定され、コメント欄には無数の悪意ある言葉が、現在進行形で書き込まれ続けている。
「こっちは、もっと挑発的だぜ」
そう言うと、町田は有る動画を再生した。
『喫煙美少女と、彼氏さんよお!お前らのやってる事って、犯罪じゃないのかよ?特定出来るもんならやってみな!』
アバターが両手を上げて、健人たちを煽ってきていた。
「なんだよ、これ…」
健人は目を見開き、声を震わせる。
結衣を救うためにやったはずだった。リスクを背負って、あの大人の男を非公開に追い込んだ。それなのに、ネットの怪物理論はそんな事情などお構いなしに、健人の行動を「彼氏の脅迫」という新しいエンタメとして消費し始めていた。
結衣を守るどころか、自分のせいで「彼氏を使って暴れまわる喫煙美少女」という最悪のデマが再燃し、彼女をさらに深い泥沼へと引きずり込んでいる。
「まずい…。このままじゃ、結衣の内定が…。俺は、俺はただ、結衣のために…」
健人は頭を抱え、デスクに突っ伏した。自分の傲慢さが、結衣の人生を完全に終わらせてしまった。絶望と激しい自己嫌悪で、呼吸が上手くできない。
「俺は結衣を助けたかったんだ…。誰も動かないから、俺がやるしかないと思った…」
「それは分かってる…」
その時、町田が静かにノートPCの画面をパタンと閉じた。町田がソファーに深くにもたれかかる。
「安心しろ…」
町田の声は、いつになく穏やかだった。
「まだ現実に起きたことじゃない。ただのフェイクだ」
「え…?」
健人が顔を上げる。
町田は自分のスマホを示して、画面をスワイプする。そこには、健人がオフィスのエントランスで男と話している様子を、色んな画角で遠くから撮影した写真データがあった。
「お前が一人で突っ走るから、心配になって尾行してたんだよ。で、お前が研究室を飛び出した後、もしこのまま次の奴にも同じことをやったらネットがどう動くか…。俺がAIをフル活用して、フェイクのサイトや動画を作ったんだ」
町田は少し意地の悪い、だけど頼もしい笑みを浮かべた。
「お前が突っ走った先の未来だ。どうだ?自分の行動が、どれほど最悪な結末を招くか、よく分かったろ」
「町田…」
健人は開いた口が塞がらなかった。
画面にあったのは、現実に起きた炎上ではなく、町田が健人を止めるために作った「警告の幻術」だったのだ。
どっと冷や汗が吹き出し、同時に、張り詰めていた肩の力が抜けていく。健人は深く息を吐き、自分の両手を見つめた。
「俺、本当に、あいつらと同じ怪物になるところだった…」
「気づけばいいんだよ」
町田はドリンクバーのコップを傾け、立ち上がった。
「泥棒を捕まえるのに、自分が泥棒の真似事してどうすんだ。ネットの泥沼にリアルで飛び込むな」
町田は残っていたコーラを流し込む。
「お前のその優秀な頭は、そんな泥仕合のためにあるんじゃねえだろ。弱いかもしれねえが、技術と法を使って、正しいやり方で反撃するんだ」
町田はバッグを肩にかけ、ファミレスの伝票を取った。
「帰るぞ。どうせ全部は消えねえ。ネットなんてそんなもんだ。でもだからって、お前まで怪物になる必要はねえ」
健人はしばらく動けなかった。じわりと熱くなる目元を隠すように、小さく笑った。
「やりやがったな…。この大嘘つきめ。でも、ありがとう…」
その言葉に、町田は歩みを止め、振り返った。すべてを察したように、いつもの不敵な笑みを深くする。
「『相手を思いやった故での嘘』ってやつだ」
町田はそう言って、悪戯っぽく笑った。健人は大きく息を吸い込み、しっかりと頷いた。
「うん。帰ろう、研究室へ」
席を立つ健人の胸からは、あのドス黒い霧は完全に消え去っていた。同時に、健人がこれから向き合わなければならない現実が、ゆっくり影を落としていた。
