キャンパス・ライブ ≪2≫
第2話
AIが結衣を『喫煙美少女』と断定したあの日から、わずか数ヶ月前のことだ。初夏の緑がまぶしい並木道が伸びる国立大学のキャンパス。成瀬健人は、工学部棟の冷え切った研究室で、PCの画面と格闘していた。
「おい、健人。またその『混雑状況サイト』のお守りか? よく単位に関係ないことに熱中できるよな、お前も」
背後から声をかけてきたのは、研究室の同期で親友の町田だった。彼は国内外のCTF(ハッキング・コンテスト)で入賞を重ねる、この界隈では名の知れた「怪物」だ。
「スマホの電波から人の流れを可視化する。立派な情報工学だろ。いま、脆弱性が出てたサーバのOSにパッチを当ててたんだ。」
「ふん。脆弱性だらけのシステムを放置してランサムウェアに屈する大企業の経営者どもに比べりゃ、マシな遊びだな」
町田は冷笑的に言い捨て、自分のPCに向き直った。
そんな健人のもとに、一通の通知が届く。感染症予防が騒がれた時期に趣味で公開しはじめた、大学内の混雑状況表示サイト『キャンパス・ライブ』。今では専ら学食の混雑確認がメインになっている。そのユーザー「Yui」からのメッセージだった。
『Yui:文学部の古淵結衣と言います。このサイトの運営に興味があります。よかったら、運営のお手伝いをさせてもらえませんか?』
健人の指がキーボードの上で止まった。彼女は、このサイトのアンケートに、いつも「お疲れ様です」と温かなフィードバックをくれる唯一のユーザーだった。画面の向こう側にいた存在が、急に身近な存在に感じられた。
「…町田、ちょっと付き合ってくれないか。このサイトのユーザーと会うことになった」
「はあ?ネットの住人に会いに行くのかよ。お前、ハニートラップにでもかかる気か?」
「失礼なこと言うなよ。運営を手伝いたいって言ってくれてるんだ。なあ、頼むよ」
待ち合わせ場所の学食の入り口に到着すると、それらしき女の子が立っていた。
「この子が結衣ちゃんね。健人が一人で会うのが不安だって言ってついてきてやったけど、けっこうかわいいじゃん。俺、お邪魔だった?」
町田が見下ろしながら声をかけた。デリカシーのないその第一声に、健人は顔を赤くして遮った。
「ばか、初対面相手に失礼だろ。古淵さん、初めまして。情報工学科四年の成瀬健人です。よろしく」
「あ、タメなんだね。よろしく! よかったー、もっとオタクな感じの人が来て、コミュニケーションが取れなかったらどうしようって思ってた」
結衣はほっとした表情で笑う。健人は周囲が少し明るくなったような気がした。
「オタクなのは否定しないけど、ちょっと偏見すぎない?」
「ごめんごめん、冗談だよ」
町田はそれを聞いて苦笑いを浮かべる。
学食に入ると、3人で掛けられる空席を探す。
「この辺とかどう?」
健人が4人掛けのテーブルを指さす。
「この辺は、たしか軽音部のサークル席だな」
「おっと、危ない」
座りかけた健人が立ち上がる。
「あのサイト、サー席まで表示してくれると嬉しいなー」
結衣が笑いながら要望を出す。
「ありがとう。ユーザーの貴重な意見として考えておくよ」
健人がスマホを取り出してメモを取る。
「けど、ホント焦るよね。私も知らずに座ってたら、後からフットサルサークルの子たちに囲まれちゃって」
「まあ、ただの不法占拠だけどな」
町田が迷惑そうに呟く。
「そうなんだけど、やっぱり気まずいよね…」
眉を八の字にして結衣が苦笑する。
窓際近くの、日当たりの良いテーブルに腰掛けると、町田が話を切り出した。
「けど、なんでまた、こんなマニアックなサイトの運営なんかに?」
「マニアックは余計だろ」
健人が横から突っ込む。
「だって、こんな便利なサイトを、個人で運営してて凄いなと思って。でも、時々使えない日があるでしょ? もしかして、運営が回ってないのかなって」
「よくわかったね。その通り。このシステム、俺が学校に来てる時じゃないと稼働できなくて。幸い、うちはブラック研究室だから、だいたい朝から晩まで学校にいるんだけど」
「うちの教授、マジで鬼だよな。卒業がかかってるから逆らえねえけど」
町田がけだるそうに肩をすくめる。健人は結衣に向き直った。
「さすがに俺も休む日はあるし、このシステムを維持するために気軽に休めないのは不便なんだ。だから、古淵さんに手伝ってもらえるなら、大歓迎だよ」
「でも、手伝うって、何をすればいいの? 私、自慢じゃないけど、あんまりITとか詳しくないよ?」
「大丈夫。文系の学生でも簡単にできる内容だから」
「おい、今のは文系軽視な発言じゃないか?」
町田がニヤリと笑う。健人は慌てて首を振った。
「ごめん、そんなつもりじゃないよ!」
「…で、結局、このシステムってどういう仕組みなの?」
結衣が不思議そうに首を傾げた。健人は、自身のスマートフォンの画面を見せながら解説する。
「スマホから出るWi-Fiの電波から、MACアドレスを収集してるんだよ」
「へえー。でも、どうやって?」
「独自に設置したセンサーでキャッチしてるんだ。うちの学生なら、学内にいるときは必ず構内のフリーWi-Fiに接続しようとするだろ? その接続要求のパケットに含まれるヘッダー情報は、実は暗号化されてない。そこにある送信元のMACアドレスをスヌーピング…」
「ちょっと!私にもわかるように説明してよ!」
結衣が健人の話に割り込むと、困ったように笑う。
「ごめんごめん。要するに、その場でWi-Fiをオンにしているスマホの数を、自動で数えてるんだ。人数が多ければ『混雑』、少なければ『空席あり』って表示される」
「へぇー、頭いい! でも、そんなセンサー、学食や教室に置いてバレないの?」
健人はカバンから、古びた、画面の割れたスマートフォンを取り出した。
「そこが味噌なんだ。センサーって言っても、中古のスマホに格安SIMを挿しただけ。大学のシステムには一切触れてない。ほら、学生用の充電コーナーってあるじゃん?あそこに紛れ込ませて、充電したまま放置しておくんだ。誰も自分のじゃないスマホなんて気にしないだろ」
「つまり、忘れ物のふりをした『観測機』ってことか。悪知恵が働くねぇ、健人」
町田の冷やかしを無視して、健人は結衣にその「センサー」を手渡した。
「古淵さんにやってもらいたいのは、俺の代わりにこのスマホを、決まった場所の充電コーナーに置いてきてもらうこと。それだけでいい」
「それなら私にもできそう!任せて」
結衣は楽しそうにそれを受け取った。
「よかった。古淵さん、これからよろしく」
「うん、こちらこそ! じゃあ、私、午後の講義があるから。また連絡するね」
軽やかな足取りで学食を去っていく彼女の背中を、健人はしばらく見送っていた。
ユーザー『Yui』。画面の向こう側の記号だった存在が、今、温かな体温を持って自分の世界に現れた。その事実だけで、研究室に籠りきりの日常が塗り替えられたような気がした。
だが、その浮かれた気持ちを切り裂くように、町田が低く呟いた。
「健人。あいつ、さっきお前がMACアドレスの話をしたとき、一度も聞き返さなかったな」
「え?」
「普通、文学部の学生なら『マック?ハンバーガー?』ってなるだろ。でもあいつは、まるでその言葉を最初から知っているような顔をしていた」
健人は苦笑して肩をすくめた。
「考えすぎだよ。最近の学生なら、それくらいどこかで耳にしてるだろ」
「だといいけどな」
町田はそれ以上深追いはせず、両手の親指をポケットに突っ込んだ。
「ハニートラップじゃなきゃいいけどよ。さて、俺は情報センターに用があるから先に行くわ。教授に突っつかれたら、適当に誤魔化しておいてくれ」
町田は片手をひらひらと振りながら、健人とは逆の方向へ歩き出した。
一人残された健人は、カバンの中に残った予備の「センサー」に触れた。結衣に手渡したあの中古スマホ。それが、彼女との絆を繋ぐデバイスになる気がしていた。
