パーソナルトレーナーであれ、という自戒
わたしが好きな映画監督のひとりであるヨルゴス・ランティモス監督の「憐みの3章」を昨日観てきました。この作品では、舞台も設定も内容もまったく繋がりの無い異なる3種類のストーリーがオムニバスとして展開されるのですが、その中のひとつのストーリーで、おや、と思ったことがあるので書き留めておきたいと思います。
(この映画はとても面白かったしたくさん語るべきところはあるのですが、でもネタバレをしたいnoteではないので、そこには触れない範囲で書きます。)
ストーリーの主人公の男性はある人物から、毎日の食べるものや行動、読む本、性生活までをすべて指示されて過ごしています。おそらく毎日届くのであろう、細やかな指示が記載された手紙(カード)を受け取ってそれに書かれている内容を忠実にこなして過ごしています。それは彼の生きる目的でもあるし、むしろそれが無いと自分で判断することもできなくなってきている、というのがベースになっているお話でした。
このストーリーに出てくる、生活の指示が書かれた手紙はカードリーディングといちばん対極にある状態のカードだと思うのですが、ここに、占いがうさんくさいと思われがちな理由を垣間見た気がしました。
わたしにとって占い師のあるべき姿は、ジムのパーソナルトレーナーとか管理栄養士とか、はたまた土地鑑定師とかみたいに、いまの状況を教えてくれた上でこういうことには気を付けたほうがいいかもね、とか、この方向が合っているからこれと合うかもね、などを教えてくれる存在だと思っています。なにもかもお見通しな特別な能力者ではなく、あくまでメッセンジャーたれ。分析・翻訳して伝えることが主な役割であって、誰かの思考や行動を支配するのは仕事ではないわけです。
カードリーディングという手法でも、自分軸がブレブレになった問いに対しては何回カードを引いても何の答えも出てこないように、問いに主体性がないと占い自体成り立たないのですが、このあたりが啓蒙されていないし誤解されやすいのかも。この劇中の指示手紙(カード)みたいなものは決して占い師は出さないし出してはならぬ、と思ういっぽう、こういう、自分で決めたないための指示を望んでいる方々が占いを求めてきてしまうケースも多いため結果、占い=うさんくさいというイメージが払しょくできないのかも…などとぐるぐる考えています。
わたしはあえて自身のことは占い師ではなくカードリーダーとしていて、これからもその肩書きでいこうと思っているのですが、カードを通じて読み解いたメッセージをひとりでも多くの方に伝えていけるよう精進しつつ、その存在意義と役割をきちんと果たして、大好きな占いについての色々と負なイメージをひとつひとつポジティブに変換していけたら、と、そんな風に思った気づきの記録です。
