坂本龍一という音楽家
坂本龍一氏が先日亡くなりました。享年71歳でした。
私はだいぶ前から坂本龍一の音楽のファンで、2000年ごろに発売されたベストアルバム(というより個人の代表作全部入りCD)もすぐに買ったのを覚えています。
坂本龍一がこれだけ愛されている理由は、もちろん楽曲の良さ、世界での活躍、テレビ等での知名度は言うまでもありませんが、それだけではなく少なくとも3回、別の顔を持ったアーティストとして表舞台に出てきた、という幅の広さにあると思います。
① YMO期
1970年代後半に登場したイエローマジックオーケストラ(YMO)は、今や懐かしの昭和ソングとして記憶されていると思いますが、当時の電子音楽ブームを牽引しシンセサイザーやサンプラーを当たり前にした、日本の音楽史に残るアーティストです。
その中で坂本龍一は作曲・キーボード・ボーカルとして活躍しました。
今聴くと分かりますが、YMOは当時日本最高レベルの音楽家が集まって作られたグループで、作曲・アレンジ・パフォーマンス・個々の演奏技術も素晴らしいという、まさに売れるべくして売れたように思います。
また電子楽器だけでなく、アンビエント・ハードコアテクノ・ミニマルミュージックといった実験的な音楽を導入していましたが、時代が早すぎて理解されなかったようです。
ちなみに「胸キュン」という言葉も、YMOの曲名で一般に広まりました。
この曲は坂本龍一のデビューアルバム「千のナイフ」からの同名曲で、のちにYMO版も発表されました
② ポップミュージック期
90年代に入って坂本龍一はYMOのようなバンドではなくソロで活動を開始し、「教授」というあだ名の通り東京芸大出身でクラシック音楽のエリートにもかかわらず、ニューヨークでポップミュージックを作っていました。
ただその頃はかなりマニアックな音楽を志向していたため日本では名前を聞くことが減り、どうしたのかと思われていた頃、あの「Geisha Girls」で再びテレビの世界に帰ってきます。
ダウンタウンはもちろん、テイトウワ、DJ SATOSHI TOMIIEといった知る人ぞ知る豪華メンツが参加しています
当時まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのダウンタウンと世界のサカモトという訳の分からないユニットは話題を呼びましたが、今聴くと実は音楽のクオリティが本当に高く、お笑い番組の冗談だからこそ本気で作っていて面白い、というプロならではの矜持を感じます。
また中谷美紀の楽曲をプロデュースし、「ケイゾク」などのドラマで有名になったので覚えている人も多いと思います。
まさに90年代の、空虚で未来のない、刹那的でむき出しの冷たい空気感の中、すべてがあっけなく変わりゆく世界で頼れるのは自分の心だけ、みたいな曲が自分には刺さりました。
いまだにプレイリストの上位に入っています。
③ クラシック期
80年代に戦場のメリークリスマスやラストエンペラーの映画音楽で活躍したあと、90年代も海外の映画音楽を手がけていた坂本龍一ですが、50歳を目前にした1999年に「Energy Flow」というピアノ曲が突然の大ヒットを記録します。
CMでほんの15秒流れていただけのピアノ曲がミリオンヒットするというのは異例中の異例で、その頃からクラシックに回帰した音楽活動をつい最近まで続けていました。
この曲が突然売れた理由は、坂本龍一の知名度は当然関係ありますが、ついに世間の人々と同じところまで降りてきて分かりやすい音楽をやってくれた、という印象が私にはあり、何十年も尖り続けた音楽家がようやく着地した結果ではないかと個人的に思っています。
坂本龍一の魅力は、クラシック音楽という厳然としたルーツを持ちながら、少年のように興味次第であっちこっちに顔を出し、世間が思う大物ミュージシャンのイメージとは異なる変化を続けてきたことにあると思います。
数々の海外の賞を獲得し、日本で一流の音楽家として十分に認められていても、そこにとどまらずに動き続け、急に姿を現し、この「バベル」でもサウンドトラックに彼の曲が使われているのをよく知らずに映画を観て驚いた記憶があります。
クラシック、ポップス、ロック、テクノ、そしてお笑いまで、これだけ多くの顔を持つ音楽家は、今後そうそう現れないと思います。
