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四次元の常世国へ。引き裂かれた忌部と中臣、ドキドキの迷宮行――

前回までのあらすじ

2026年8月30日、東京ミッドタウン。
藤原怜は、世界を裏から支配するフリーメイソンのエージェントに対し、革新的技術の放棄と服従を誓う「悪魔の契約」を交わした。隣にいた舞は、愛と未来を裏切った怜に絶望し、夜の六本木へと走り去る。

しかし、その決別は怜が仕掛けた命懸けの「偽装降伏」だった。
深夜、舞の元に現れた怜は真実を告げる。デジタル監視網を欺き、石油利権に縛られたこの世界の支配を覆すには、三次元の物理法則を超えた「超科学的な秘策」を実行するしかないのだと。

「石油は化石燃料などではなく、地球の核から湧き出す無限の無機エナジーだ」
プラウティ氏の暴露、そして中臣の家系に伝わる古文書。それらが指し示すのは、かつて田道間守が「非時香果(みかんの原種)」を求めて旅立った伝説の地・常世国(とこよのくに)へのゲートだった。

すべてのデジタルデバイスを捨て去った二人は、アナログな旧車を走らせ、黒潮の記憶が眠る静岡の遠州を目指す。フリーメイソンの追跡を振り切り、歴史の根源を書き換えるために。
四次元の常世国へ通じる特異点――みかんの聖地「橘本神社」へと、運命の歯車が動き出す。

    *

2026年8月31日。

東京ミッドタウンのサバトを命懸けの「偽装降伏」で切り抜けた私たちは、スマートフォンを含むすべてのデジタルデバイスを六本木のゴミ箱に投げ捨て、追っ手の追跡をアナログな手法で欺いた。
怜くんが用意したのは、知人のツテで借りたという、GPSすら搭載されていない15年落ちの国産セダン。深夜の東名高速を、ヘッドライトの光だけを頼りに西へ、ひたすら西へとひた走った。

夜明け前、由比の海岸線を通り過ぎる頃、フロントガラスの向こうに富士山の黒いシルエットが浮かび上がった。
助手席でハンドルを握る怜くんの横顔を見つめる。
額にはべっとりと冷や汗が滲み、その鋭い目は一睡もしていない疲労で充血していた。

「怜くん、本当に大丈夫なの……?」

不安に押しつぶされそうな私に、怜くんは前方を見据えたまま、低く、けれど確信に満ちた声で語りかけた。

「大丈夫だ。彼らが支配しているのは、あくまで『デジタル』と『三次元の物理法則』の檻にすぎない。プラウティ氏が暴露したように、石油は生物の死骸からできた化石燃料なんかじゃないんだ。1万6000フィート以上の大深度で化石が見つかったことなんて歴史上、一度もない。石油の本質は、マントルから供給される超臨界状態の無機エナジーだ。化石燃料という概念自体、彼らがエネルギーを『有限』に見せかけ、価格と人類を支配するために捏造した最大のプロパガンダなんだよ」

怜くんは一瞬、私に視線を向け、優しく微笑んだ。

「そして、そのエネルギーがこの世界の『歪み』として物質化している特異点がある。それが、これから向かう場所だ。フリーメイソンの利権も、国連のハッキングも、そこには絶対に届かない」

    *

朝陽が昇り、どこまでも青い遠州の空が広がった頃。
私たちは静岡県のみかんの聖地に鎮座する、知る人ぞ知るパワースポット「橘本(きつもと)神社」の鳥居を潜っていた。

一歩境内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
耳の奥でずっと鳴っていたような、都会の電波や見えない監視網の不快な高周波が、嘘のように完全に途絶したのだ。脳裏を支配していた焦燥感が消え、代わりに、凛とした古い柑橘の香りが優しく鼻腔をくすぐる。それはスーパーで売っているみかんとは違う、どこか神秘的で、野生の生命力に満ちた香りだった。

参道の奥に佇んでいたのは、樹齢数百年を数える、青々とした実をつけた見事な橘(みかんの原種)の巨木だった。

「これだ……」

怜くんは東京ミッドタウンで悪魔たちに対峙したときの、あのシワ一つない高級スーツ姿のまま、橘の巨木の前に進み出た。
彼が中臣の末裔として、本殿に向かって深々と頭を下げ、静かに参拝の祝詞(のりと)を唱え始める。

「――高天原に神留まり坐す……」 怜くんの声が境内に響き渡ると、私の首の後ろにあるアザが、共鳴するように熱を持ち始めた。忌部と中臣、二つの血が揃ったことで、封印されていた「門」が震え出している。 真夏のうだるような暑さの中で、奇妙な現象が起きた。
みかんの木の周囲の空間が、陽炎どころではないレベルで、まるでドラえもんの四次元ポケットの入り口のようにぐにゃりと歪み始めたのだ。
視界が万華鏡のように反転し、光の幾何学模様が層をなして空間に溶け出していく。三次元の物理法則が、目の前で崩壊していく。

「舞さん、手を繋いで! この光の向こうが、石油も小麦も無限に湧き出る、奴らの支配が届かない『常世国(あの世)』だ! 一から歴史を書き換えるんだ!」

怜くんが力強く右手を差し出し、私はその大きな手を掴もうと、必死に指を伸ばした。

    *

――シュッ!!

その瞬間、静寂に満ちた境内に、風を切り裂くような無機質な音が響いた。
背後の竹林から放たれたのは、暗殺者のサイレンサー(消音器)付きの銃弾。弾丸は怜くんのすぐ耳元を掠め、橘の幹に鈍い音を立ててめり込んだ。

「そこまでだ、藤原怜! 偽装工作はすべて見抜いている!」

竹林を割り、タクティカルベストを着用し最新の暗視ゴーグルを跳ね上げた、神域にはおよそ不釣り合いな異質な集団が現れた。その胸元には、不気味に鈍く光る「双頭の鷲」のバッジ。ミッドタウンから、私たちの僅かな足取りを追ってきたフリーメイソンの直属部隊だった。

「危ない、舞さん!!」

次の銃弾が放たれるより早く、怜くんは私を全力で突き飛ばした。
私の身体が境内の砂利の上に転がる。
しかし、その身を挺した反動で、バランスを崩した怜くんの身体は、ぐにゃりと開いた四次元の光の渦の中へと、背後から吸い込まれるように傾いていった。

「怜くん――ッ!!」

私は叫び、砂利まみれになりながら右手を伸ばした。
怜くんもまた、必死に左手を伸ばす。 空間の歪みのなかで、二人の指先が触れ合う――その刹那、時空の断層が火花を散らし、怜くんの指先が砂のように光の粒子へと分解されていく。彼の唇が最後に私の名を呼んだ気がしたが、その声は真空に吸い込まれるように消え去り、万華鏡の光の層は、跡形もなく完全に消え去ってしまった。

そこにはただ、夏の終わりの風に静かに葉を揺らす、いつものみかんの木が残されているだけだった。

「な……消えた!? どこに行ったんだ!?」
「バカな、人間が忽然と消えるはずがない! 囲め! 周囲を捜索しろ!」

目の前で起きた超常現象に、訓練されているはずの暗殺者たちは完全にパニックに陥っていた。彼らは互いに怒鳴り合い、狂ったように竹林や本殿の裏へと散っていった。

    *

静まり返った橘本神社の拝殿前で、私は一人、冷たい砂利の上に崩れ落ちていた。
膝の擦り傷の痛みすら感じないほど、心が空っぽになっていた。

(怜くんが、本当に向こうの世界へ行ってしまった……)

歴史の糸が、頭の中で激しく絡み合う。
第11代垂仁天皇の命を受け、無限のエナジーである『非時香果』を求めて常世国へと旅立った田道間守は、呪縛に満ちたこの世界に戻るまでに、10年もの歳月を費やした。そして戻ったときには、天皇はすでに崩御していたという悲劇の歴史。

(怜くん、あなたは10年も待たせるつもり? ……いいえ、私は待たない。忌部の女は、奪われたものを取り戻すために、自ら歴史の裏側へ踏み込む。あなたが言ったように、一から歴史を書き換えてみせるわ) 絶望の淵で、忌部の血が、静かに目覚めようとしていた――。

次回予告


「1882年の再会 ―天才エンジニアと鋼鉄の祝詞―」
四次元の歪みに消えた怜を追い、舞が辿り着いたのは1882年、ドイツ。
そこは、石油利権が世界を飲み込む直前の、鉄と蒸気の時代だった。
舞は天才エンジニア、ヴィルヘルム・マイバッハの肉体に。そして怜は、その相棒ゴットリープ・ダイムラーの肉体に。
男同士の姿、異国の言葉、そして押し寄せる技術への衝動。
中臣と忌部の魂は、時空を超えて「内燃機関」という新たな神器を手に取る。
デジタル監獄の未来を書き換えるための、二人の反撃がここから始まる。

(第11話へ続く)


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