ギャンブル・エンターテイメントノベル『Pocket Kings』シリーズ第一話「賭人 / Gambler」イントロ
注)約束守れなかったので「スキ」は押さないでね。書き上げられなかったから。それもさ、イントロまでしか書けてないのよ。ポンコツ極まれりだわ
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平成二年。西暦で云うのなら1990年のこと。今から三十五年前に遡る。昭和天皇の崩御の後、平成天皇の即位の礼、大嘗祭がしめやかに、厳かに執り行われたときでもあった。バブルが弾け株価は大暴落、証券会社の前では虎の子を失った個人投資家たちが人垣を作った。株での負けを取り戻すということでもないのだろうが、一方では、第二次競馬ブームが訪れ、伝説の名馬となったオグリキャップを筆頭に競馬の一時代を作ったことは、ギャンブル好きではなくとも記憶に残るところだろう。徒しごとだが、この年の中央競馬会の売り上げは3兆984億円を産み落とし、中央競馬の歴史上はじめて3兆円の大台を叩きだした年でもある。他方、国民娯楽の一方の雄でもあるパチンコが、1990年には業界の売り上げが25兆円に届くところまで成長していたことからするのであれば、中央競馬会の売り上げの8倍であり、双方併せて28兆円となり、宝くじ、競輪、競艇、地方競馬を含めた国民のギャンブル消費額は40兆円が間近に迫っていた時代でもある。
バブル崩壊後デフレ基調に拍車がかかった中において、GDPの低成長を背景にギャンブル消費が大きく進み、先進国中唯一GDPにおけるギャンブル占有率が4%台を叩きだす今日の国の礎となった年でもあり、ギャンブル先進国というクソ有難くもない呼ばれ方をする年ともなったのだが…… 。
さて、そんな1990年のある日のこと。
大阪はミナミの歓楽街心斎橋は三津寺筋付近に新たな夜の『社交場』がひっそりとオープンを迎えていた。
日本で初めて「店舗」としてオープンした闇カジノであり、正に闇カジノの夜明けを告げ、後の第二次闇カジノ発展期の起爆剤ともなった店だった。この後、この店がオープンして程なく第一次闇カジノ創世記を迎えたのだが、これは警察側の積極的な取り組みにより比較的早い段階で取り締まりの対象となっていた。
1990年代半ばより迎えた黎明期、第二次闇カジノ発展期より日本中に闇カジノが生れ落ちることともなった。後の2000年代初頭より、第三次闇カジノ発展期を迎えるのだが、この頃だろう。東京の外国大使館が闇カジノの舞台となり、連日連夜、ギャンブル狂達がビザ取りとは無縁なところで大使館を賑やかしたニュースが報じられていた。
第二次闇カジノ黎明期では「アングラカジノ」という言葉が闇カジノにとって代わった。通常、店の運営においては、強面が表に出ることは無く、体はサービス業のそれを強調、食事、ドリンクはフリー。デザートを充実させ、賭けて遊ぶ客を連れてくる「ジャンケット」役のキャバクラや風俗店の女の子たちも楽しめるよう工夫を凝らしていた。アングラカジノ店にとっては、「ジャンケット」として客を連れて来てくれるキャバクラや風俗の女の子たちは最も大切な客引きであり、最も安心できる客引き。更には店にとっては難しい予算掌握、即ち懐具合を知っていることから重要なセールスツールの一つだった。鼻の下を伸ばした旦那衆を向こうに「パパァ~お友達のカジノに行ってみたいから連れて行って~」などとやられては、小さくはないお金を落としていた時代である。
正に痒いとところに手が届くと言おうか、ある意味サービス業の鏡とも言えるのだろうが、この第二次黎明期においては、アングラカジノ(ハウス)に出入りしていた客筋の中には在日の"オモニ"たちが数多く存在していた。このおばちゃんたちは概ね店側が提供する「サビ(サービスチップ)」を店から貰うとそれだけで遊び、自らは賭けて遊ぶことを目的としてはいなかったのだが、ではなぜ居るのか。彼女たちの目的は「高利貸し」だったのである。
俗にいう処の闇金である。負けが込んでいる客を目ざとく見つけては、店の中で金を貸す。借主からは金利を取り、店からは仲介コミッションを取るという、なんとも旨味の大きな「行って来い」の商売をしていたのが在日のおばちゃんたちだった。
負けの込んだ客は借金でかたに嵌められ、トドノツマリが警察に泣きつき常習賭博罪と引き換えに借金逃れというのがこの頃の日常でもあった。
当時のことを思い返してみるのなら、アングラカジノ(ハウス)のゲームのメインはバカラだった。
東南アジアのカジノなどでは花形。メインのゲームの一つなのだが、日本流に言えば花札の「オイチョカブ」と最も親和性が高く、トランプの総和9を狙うゲームである。
賭口はプレイヤーとバンカーがあり、賭人はそのどちらが勝つかについて賭けることになるのだが、アングラカジノ(ハウス)では、ハウス側の負けを軽減させるために「バランス」という賭けシステムを設けることが常態化していた。
特にハイローラー卓はバランスによるリスクのヘッジが効いていた。日本流に言えば「どっちもどっちも~アト無いかサキ無いか、丁方無いか、半方無いか」というところとなるのだが。
勝負はいたってシンプルで勝つか負けるか、引き分けか。ハウスによってはペアーやトリプルクラウンなどもあったようだが、原則はシンプルなゲーム性であったことも人気の要因だった。
フッ……「やけに詳しいじゃないか。貴君も出入りしていたのかい ?」てかい ? 知らなきゃ書けない世界がある。知っているから書けることがある。持ってるものしか書けやしないというのが俺のポリシー。そういうことから言えば、出入りしていなかったと書けば嘘になるだろうさ。
心配するこたぁ無い。他人の金、26億を博打で溶かしたり、その言い訳に「ギャンブル依存症」を持ち出すほどショッパイ人間じゃないんでね。そんなつまらぬものを書くことは無い。ただ、大きな元銭を持っていたとしたらカジノで106億8000万円の会社の金をつぎ込んだ「紙屋」の社長のことも他人ごとでは無かったかもしれないがね。
こんな世界もあるかと読んでくれればありがたい。
つづく
いやだ。無理。これだけしか書けないなんて。
考えていたより自分のポンコツ具合が進んでいる。
どーしようかなぁ。
どーやって書き進めようかなぁ。
話しの筋は出来ているのだけど、文章が書けないのであるヨ。
参ったなぁ。ごめんなさい。でも書きますからね。これはここで。
一応お約束していたので出来ているところまではアップします。
自分に鞭打てるかなとと思いましたが、鞭打っても書けないものは書けないようです。また書きます。
