閲覧注意 文学系YouTube「ダメだろこれ」
高橋弘樹氏がどのような「人間」であるかは分からない。
ただ一つ「田中慎弥」とは喋らせてはいけない人間であることは理解した。
そりゃぁそうだ。三次元的思考回路から導き出された質問を、次元の狭間に身を置く人間にしてみたところで嚙み合うはずがないのである。
高橋弘樹氏が田中慎弥氏に投げた質問で、「純文学とはなんですか」という言葉が冒頭にあるのだが、この時点で噛み合わない座談であることは明白なのである。「田中慎弥氏」は偉かった。よくぞ、席を立たなかった。書くことを食いぶち稼ぎとして始末をつけておられる諦念感を見た思いがする。
わたしだったら「あんたはどう思う ?」として席を立つだろう。
あのね、もう少し踏み込んで書いてみようか。高橋弘樹氏の質問の意図が見えないのだよ。試しているようにも見えた。聞こえた。これはね、大変不愉快なのだよ。普通の人はそうは聞かなかったかもしれない。が、わたしのような者にするならそうではない。悍ましいのである。高橋弘樹氏は常に自分のポジションをブラインドにしたまま話を進める。気色悪いのである。
みなさんも、こういう人間と喋る時は気をつけておいた方が良い。
「わたしはこう考えるのですが、勉強させて頂けますか ?」これが人に物を聞く姿勢である。高橋弘樹氏のような教養人が「純文学」に対する自分の考え方を持っていないわけが無いだろう? (笑) そういうものをおくびにも出さず、引き出そうとするのが見え見えなのだよ。そしてね、高橋弘樹氏の質問は「畳みかけよう」とする姿勢が覗える。これも嫌い。また、所々に試す言葉が覗く。
こういうのを見させられると菊地秀行氏の言葉が否応なしに脳裏によみがえることをとめられないのである。また怒られるだろうけど(笑)
仕方が無いのだよ。ゼロからものを作り上げる頭は「仕組み」という都合が跋扈する中で生きる人間を理解する必要も無いのである。だって人種が違うのだもの。当然、生きる場所も違うのである。こういう時に高橋氏は「ダイバーシティー」という言葉を上手に使うべきなのだよ(笑)
お題目のように。頼っていいのだ。多様性と。
「出口なし」「寂しい」この辺で、吐きそうになって視聴をやめた(笑) この辺に食いつく高橋弘樹氏という人間を見たときに「あゝ、こういうタイプと縁もゆかりも無かったことに感謝しよう」そう思ったものである。
まぁ、あたしの場合はどっちの耐性もあるのだけど、今となっては「メンドウクサイ」か否か。ここが判断の基準になるのだろうけどね。
了
最後に一つだけ。
この動画のコメント欄が「田中慎弥氏」への好意的なコメントで埋め尽くされていたことにわたしは救いを見た思いであることは書いておきたい。
「純文学」捨てたもんじゃないまだまだと。
