空は空 一切は空なり~たとえアホウドリと呼ばれてもわたしは画に狂う
空は空 一切は空なり~たとえアホウドリと呼ばれてもわたしは画に狂う。
そしてわたしなら絶対に逃げない。
例えば一人になったとしてもだ。
三枚の画を繋げてみたのだが、画の好きな方に考えてみて欲しい。
三枚繋げてはいるが、シーンは2つだから、まずは2枚の画として考えた方が良いだろう。

さて、貴方ならこの画たちから何を感じられるのだろうか。
誤解の無いようにしてほしいのですが、けして、けして上からの物言いをするつもりはありません。
ただ、この画たち、たった一点においてのみ「共通点」があるのです。
それは「宗教画」であるということです。
やっとそこに辿り着いた。
カラヴァッジョの手による「ホロフェルネスの首を斬るユディト」は、前にも書きましたが、旧約聖書外典版「ユディト記」のワンシーンを画きあげたものですから判断しやすいでしょう。
では、速水御舟の「炎舞」が何故宗教画かというと……劫火の顕し方にあるのです。あの印象技法は日本の「仏教美術」伝来の技法であり、不動明王さまや焔魔大王さまの後炎を顕す際、彫刻や絵画で顕してきた技法なのです。
従いまして、わたしが「どっちなの」となるのは当たり前のこととも言えそうです。
ですが肝心なところをわたしは置き去りにしていました。
そう。それが即ち宗教であり、信仰の置き場だったのです。
信仰の対象としてあの「炎舞」を鑑たとき……
信仰の対象としてあの「ユディト」を鑑たとき……
さて、どうやら応えてもらえるのかもしれませんね。
同時に宗教と信仰というものをもう少し具体的に顕しているであろうことがあってね……
「天使と悪魔」という寓意と、「不動明王と焔魔大王(地蔵菩薩)」という寓意に通じてくるように感じられるのです。なぜ天使と悪魔なのか、白と黒という色彩の対比。そして、大事なのが「召使のお婆さん」の対比です。黒の方のお婆さんは首元に「SIN(罪)」を宿しており、ユディトを唆していますね。これは多分、悪魔の一押しの寓意でしょう。白のユディトは天使。ひょっとすると大天使ミカエルを寓意としているのかもしれません。正直なところ、ここはもう少し狂ってみないとわからないですねぇ。
そして「炎舞」宗教画であり信仰の対象としてみたときに不動明王ではなく「地蔵菩薩」という存在をクローズアップさせることが出来るのです。なぜなら焔魔大王は地蔵菩薩の化身であるという仏教の教えがあるからです。
地蔵菩薩のお役割をここで書くことは致しませんが、どちらにしても、衆生を苦しみの境地から救う寓意としてみることも出来そうです。
さて私には、画の焔の中に、地蔵菩薩のご尊顔が覗える気がするのですが。
シュミラクラではあるまい。

むしろ、ここからがスタートでしょう。
ここからが悩みどころ。
様式美は専門の先生達にお任せしましょう。
しかし、鑑方、絵画の読み方となると美は個々人に帰するもの。
まして自分の作品を仕上げるなら、ここの落とし込みは大切になる。
わたし自身にこの画たちをどう落とし込むか。
そしてそれを作品としてどう昇華させることが出来るかはわたしの感性と無い腕しだい。
たのしいねぇ。苦しいし。
有り難いねぇ。こういうモノを授けてもらって。
そして、こうして書けるから自分の中に落とし込める。
自分の言葉で。自分の言葉を使って。
読みに来ていただけている皆様には心より感謝申し上げます。
有り難うございます。
阿呆にならなきゃみえてこない世界というものもあるのだよ。
それを知るには邪魔するものが多すぎたってこともあるけどね。
了
