画家 速水御舟のみた地獄
「我々は、我々が観るところのものに執着するのではなく、それを超えた思索に赴かねばならない。」
違和感を感じられる正常な神経の持ち主が大半なのか。それはそうだ、第三者が本人に確認したわけでもないのに断定的に「みた」としているのだ。寧ろ違和感を持たない方がスットコドッコイというものである。まぁ、今の時代、真偽の確認もせず幻説に振り回され断定的判断をする人間など珍しいことではないのだが~。今こそ審美眼について考えるべきか。おっと脱線。
しかし、ここで「みたかもしれない」と書くのであれば、小説書きなどはやめてしまった方が良いだろう。
万が一これに類するケッタ糞の悪い小説などに出合った日には、申し訳ないが火をつけキッチンで燃やしてしまうこと請け合いである。
いや、それはもう小説とはよべまい。
一人の人間の根っこに近づきこれを洞察洞観のもと小説作品と出来ないのであれば小説書きなどつとまるまい。
ただ、一人の根っこに辿り着くと横が広がってゆく____のである。
おいそれと根っこになど辿りつけようもないのだよ。根っこの本質など、本人にしかわからないことなのだ。強いて言うなら「わかったつもり」となることしかできないのだろう。
そのわかったつもりを何処で切り上げ、結びとしようとするのかが今を生きる者達、そして小説書きに与えられた特権でもある。
何事でもそうだ。
まぁ、一事が万事に「根っこ」を探る旅などしていた日には些か気が狂う。
自分にとって必要なこと譲れないことだけにフォーカスし根っこを探ってみなければなるまい。あとのことはケセラセラ~お好きにしなはれ~である。
まぁ、概ね自分の考え方と「別冊太陽」での解説については近似性の確認はできた。裏付けだ。ただ、関東大震災と炎舞の紐づけはどの様な形にしろ覗うことは出来ていない。まぁ、研究者もエヴィデンスを見つけられないのだろう。この辺り、学者先生は不便でもある。
それに引き換え、小説書きはある意味見てきたようなことを書けるという自由裁量も有するのだが、ここが「根っこ」を大切にするポイントでもある。
この画に出合った当初より、御舟の「炎舞」の制作年をみて感じていたことだが、大正十二年の関東大震災の時、速水御舟は「川崎」に在住していた。
以下に関東大震災の火災被災図を添付しておくの眺めてみてほしい。

ご覧いただいてもお分かりのように火の手は現在の大田区まで延びており、隣は川崎市である。速水御舟は川崎の町から真っ赤に染まる東京の空、燃え盛る地獄の劫火を目の当たりにしたのであろう。
関東大震災 大正12年9月1日11時58分のことだった。
死者・行方不明者は10万5千人以上とも言われ、当時の東京市の60パーセント以上が罹災延焼したと言われている。
火の手に追われ逃げ惑う人々は、差乍ら闇夜の焔に逃げ惑う「蛾」に相似して映ったとしても不思議はない。
大正14年
御舟は軽井沢の地で「炎舞」を仕上げている。
軽井沢の庭先、焚火の焔に集まって来ては縦横無尽に逃げ惑う蛾の姿をながめ、震災時の人々の有様に触れ画にしてみたのではないか。
わたしはそう感じている。
が解せないことが一つある。
御舟は「炎舞」という銘をうっている。ここから何を感じよというのだろう。不動明王の後炎を想わせる「ごうか」は劫火なのか業火なのか。
多分……劫火が近いのだろう。わたしはそう感じている。
人の手が及ばざる自然界の摂理。焼け焦げることを知ってか知らずか炎に集る数々の蛾は、人間の無力さを顕したものなのかもしれない。そうながむると、炎舞の印象的な劫火の様子についても合点がゆくだろう。

※ここでは炎と焔という字を使っているが疑問を持たないでほしい。どうしても同じ漢字が使えるわけがないと考えた結果である。
