スポーツをするということはどういうことか〜SNS社会で身一つで闘う価値〜
今回は、自分を少し棚に上げるようなお話になるかもしれません(笑)。
私はゲームも好きですし、映画も好きですし、サブスクリプションでプロの試合を観戦するのも大好きです。
世の中にあるエンターテイメントに興味津々で、日々どんどん時間を消費しています。
そんなデジタルコンテンツに溢れた現代において、「テニスをする(スポーツをする)」ということには、一体どんな意味合いがあるのか。
今回はそれについて考えていきたいと思います。
【創造する側、消費する側】
まずは、SNSを例に挙げて考えてみましょう。
SNSには魅力的な映像や情報など、私たちの時間を奪うあらゆるコンテンツが日々垂れ流されています。
では、そのコンテンツは一体誰が投稿しているのでしょうか?
インフルエンサー、プロアスリート、公式ショップ、クラブチームなど、多岐に渡ります。
果たして、その「創る側」の人々は、私たちと同じようにSNSを眺めているのでしょうか。
彼らの1日の時間のほとんどは、撮影や執筆、編集、あるいは経営といった「創造」に割かれています。
もちろんSNSを見てはいるでしょうが、それはトレンドのチェックや構造を研究するための「情報収集」としての意味合いが強く、純粋な娯楽として時間を消費するためだけに見ることはほぼないはずです。
「どうすれば人々の時間を奪えるか?」
「どうすれば購買意欲につながるか?」
彼らは、それらを中心にコンテンツを作ることに全身全霊をかけています。
【テニスコートは身一つ、自分磨き】
ここで、テニスの話をします。
私たちが練習する場であるテニスコートには、基本的にスマホや電子機器が入り込む余地はありません。
あるとすれば、自分のフォームチェックやSNSに投稿するための動画撮影くらいでしょう。
テニスコートで練習をするということは、純粋な「自分磨き」に他なりません。
スポーツをする時、ほとんどの人が「こんな風に打ちたい」「こんなプレーがしたい」という理想のイメージを持っていると思います。
そして、そのイメージを現実のものとするために、身一つで反復練習に打ち込みます。
そのイメージ通りに体が動くレベルまで到達しているのが、プロのアスリートです。
彼らは鍛え上げた自分を表現し、勝利し、評価を受け、報酬を得ます。
すなわち、試合会場や配信アプリにおいて「人々が自分を見る時間」を自らの手で創造しているのです。
それは、1日の時間を徹底した「自分磨き」にかけているからこその成果と言えるでしょう。
【若い子達がスポーツをする価値】
では、プロを目指すわけではない若い子達がスポーツをする価値はどこにあるのでしょうか。
スポーツには、ある決定的な要素があります。
それは、「選手の思い通りになることを嫌う」ということです。
たとえどれだけ練習に時間をかけても、時に屈辱的な敗北に見舞われ、怪我をし、風や日差しなどの環境に泣かされ、時には理不尽なジャッジに心を折られる。
世の中のあらゆる理不尽を、身一つで受け止めなければなりません。
ここに、先ほどのSNSの話が繋がってきます。
現代のSNSやデジタルコンテンツは、アルゴリズムによって最適化され、「自分の好きなもの」「心地よいもの」だけが次々と流れてくる非常に快適な世界です。
見たくないものはスワイプ一つで消すことができます。
つまり、すべてが「思い通りになる」ように作られた、消費者のための世界です。
しかし、テニスコートに一歩足を踏み入れれば、スワイプで消せる理不尽など一つもありません。
言い訳やごまかしの効かない世界で、思い通りにならない現実と真正面から向き合い、解決策を探り、乗り越えていくしかないのです。
この「思い通りにならない理不尽」に身一つで立ち向かう経験こそが、彼らがこれからの長い人生を戦う上で、とてつもなく価値のある財産になります。
快適なデジタル社会の中で、あえて不快で理不尽なスポーツに身を投じること。
それは、与えられたコンテンツをただ消費するだけの「消費者」から抜け出し、どんな環境下でもたくましく自分の人生を切り拓いていく「創造者」になるための、最高の訓練なのだと私は思っています。
皆さんの普段見ているSNSなどの「思い通りの世界」は、「世界は思い通りにならない」と知っている人々が見せていることを肝に銘じてください。
