心が疲れているのに、頑張ろうとしていた理由
どう考えても疲れているのに、なぜか『もう少しだけ頑張ろう』と思ってしまうことがあります。心が限界に近いのに、頑張らないと何かを失う気がして、止まれなくなってしまうのです。私は長いあいだ、そんな状態で毎日を生きていました。
変に頑張ってしまっていた頃
真っ先に思い浮かぶのは、前職の学校事務時代のことでしょうか。朝はどうにか起きれるのですが、とても朝食など食べる気にはなれません。かろうじて、買い貯めてある缶コーヒーを飲み、タバコを吸っていました。
一見すると味のある朝のひと時に見えるかもしれませんが、心の中はボロボロです。その日のやることや憂鬱なことで頭がいっぱいになり、職場に行きたくなくなります。このまま何かの発作で息絶えないものかと、何度思ったことでしょう。
あまりに行きたくないので、猶予を求めるかのごとく、何本もチェーンスモークします。ギリギリで職場に着けるくらいの時間まで、陰鬱な気分でタバコを吸い続けるのです。そのうち、心の疲れよりも吐き気が表立ってきます。トイレで飲んだばかりのコーヒーと胃酸を吐き出してから、青ざめた顔で着替えて出勤していました。不思議な話ですが、おう吐するとどうにか職場に行く踏ん切りがついたのです。
死んだ顔で職場に向かい、到着した瞬間に仮面を付け替えるように笑顔を浮かべるのが習慣になっていました。元気に挨拶し、心にもない雑談などを交わしながらデスクについて仕事に取りかかっていた記憶があります。
そうやって仮面を被って仕事をしていると、自然と周りからは『まじめ』だとか『責任感が云々』だとか、それなりの評価を頂けるようになりました。その評価に対してヘラヘラお礼を言いながら、内心ではまったく嬉しくなかったことを覚えています。
そもそも本心から頑張っているわけではないですし、何のために頑張っているのかもわからなくなっていたからです。
仕事を辞めてフリーになった現在は、そこまで心に鞭打って動くことはなくなりました。嫌なことに取り組むことはありますが…。
なんでそんなことをしたのか
今になって不思議に思うのは、どうして当時はそんなことをしていたのかです。心が疲れているのだから、無理せず休むなり、仕事をするにしても疲れた感じで取り組むなりすればよかったんじゃないかと思います。
たぶんですが、当時の自分は誰かに迷惑や心配をかけたくなかったのでしょう。今は多少、誰かに迷惑をかけたり心配されたりしても、そこまで動じることはなくなりました。たぶん、前職時代の自分は常に心が疲弊していて、何かに警戒していたのだと思います。
また、頑張らないと自分の存在価値を感じられなかったのも大きな要因と考えます。この悪癖は現在も治り切っていませんが、当時よりはだいぶマシになっています。
人には頑張らなくても存在に価値があるとか言えますが、いざ自分に向けてとなると、なかなかスムーズにそう思えないんですよね。これに関しては、これから矯正していきたいとも思っています。自分に価値はないと考えたり言ったりすることこそ、よほど価値がないと思うので。
そして、怠けていると思われることを恐れていたというのも大きいでしょう。前職では、職場にいる時の自分は常に緊張状態でした。誰かに何か言われやしないか、怠け者と思われないかを異常に気にしていたように思います。
今なら素直に白状できますが、私は生来の怠け者です。放っておくと、本当に何も動かないまま一日を過ごしてしまいます。これもある種の才能かもしれない、と開き直れるのは、少しは心がマシな状態になった証拠と言えるでしょうね。
最後に、頑張ることが普通になってしまっていたとも思います。いつもはそこそこのペースで何かに取り組み、正念場で頑張るのが普通だと思いますが、私はそうではなかったのです。
常に頑張らなければならないという強迫観念、不安、恐怖に襲われていて、いつも変に頑張っていました。無駄にエンジンを吹かすような行為で、つくづく愚かしいことをしていたと思います。
今はどうか
前職から離れてずいぶんと時間が経ちました。現在の自分は、当時ほどの空元気や無理を辞めて生きています。たぶん、私の人生の中でトップクラスに気楽な生活ができているんじゃないかと思います。
正直に言ってしまうと、まだまだ変に頑張ろうとする癖は抜けていません。やることをやらないと自己嫌悪に陥りますし、必要以上に自分にハードルを課してしまう悪癖も治り切っていません。ちなみに今も、徹夜で作業をした後にこの記事を書いています。こんな感じだから、なかなかうつ病も治らないんでしょうね。
ただ、前職時代やそれ以前のように『止まったら終わり』という極端な考えはなくなりました。ちょっと立ち止まったくらいで、すぐに生活に困ることはありません。どんなに生活に困ったところで、死にはしないでしょう。これは、盲信的に何かに怯えて頑張っていた頃と比較すると大きな変化だと思います。心の中で自分を追い回していた魔物がいなくなったような気分です。
結局、いくら立ち止まっても失敗しても、そのまま人生は続くのです。残酷にも思えますし、慈悲深いようにも思えます。そういう表裏のある世界を、自分なりに生きていければいいのかなと、今は気楽に考えるようにしています。
気楽に考えようと努めている…、というのが正確なところでしょうか。まだまだ自分は、考えを矯正する余地がありそうです。いつか、自然に気楽に構えられるようになりたいものですね。
とはいえ、立ち止まっても人生はちゃんと続くのだと思えただけ、これまでの経験も無駄ではなかったと考えています。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
同じように“止まれない”時期を過ごしている方に、少しでも届けば幸いです。記事を気に入ってくださった方は、サポートしていただけると励みになります。
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