観音様のお話
観音様は、古来より日本人が心のよりどころとしてきた仏像です。慈悲に満ちたそのお顔は、優しい静かな微笑みをたたえ、見る人の心を穏やかにします。 そっと寄り添うようなその姿は、悩み苦しむ人々に安らぎを与え、古今東西、多くの人々から愛されてきました。
仏像と言っても そのお姿の中には 実はとっても大事なお釈迦様のお悟りが秘めらているのです。
それは見る人によってそれぞれ違うのですが 私の場合は空の思想ですね。
すべては過ぎ去り 固執すべきものは一つもない。という 般若心経から述べられた教えです。
仏教では 人間が持つ感覚と認識を18通りに分析していますから歓心してしまいます。
まず、眼、耳、鼻、舌、皮膚・身体の五感と
心が持つ第六感。
これを六根と言い、これらの感覚器官が認識する対象を 六境(ろっきょう)と言い、それらの情報から得て思うところの領域を六識(認識)と言います。 合わせて 18通りです。
これを18界と言います。
ここで面白いのは 心が思う認識を法と呼ぶことです。
しかし これには実体がない。永遠不滅ではなく 次々に変化してゆくものなので 固執するべきことではない。
という 教えがあり 全ては空の思想に繋がってゆきます
ところが 観音さまは じっくり人のお話を聞いてくれます。 それに音を観るという意味の
文字が並んでいます。。しかも 観察するくらい深読みしてしまうという意味なんです
いったい、それはどういうことなのでしょう
このお名前は不思議な呼び方のような気もします。
実は この不思議な名前にまつわる面白いお話があったので ご紹介します。
観音様は仏像のことではなかった❗️
千 利休の孫に当たる 千 宗旦(せんのそうたん)は江戸時代前期の茶人。自分の子供たちを分家させて 表千家、裏千家、武者小路千家
の基礎を固めた人です。
この宗旦と仲良しだったのが 京都の安居院
(あぐいん)というお寺の住職でした。このお寺の椿は。めったに花を咲かせないことで有名でした。
あるとき、この椿がいくつか花を咲かせます。
安居院の住職はその一枝を折って 小僧に渡しお使いを頼みました。
「ご苦労だが咲かないと言われている椿が珍しく花をつけたから、宗旦さんのところまで持っていって 茶花にしてもらいなさい」
小僧さんも初めて見る安居院の椿。両手で大切に持って出かけました
ところが 運悪く石につまずいて転んだ拍子に 花が折れてしまったのです。
「あ。。しまった!」
慌てて 花を拾うも、下には戻りません
小僧さんは 悩みましたが さすが仏道修行の小僧さんは ごまかすことなくお言いつけ通りお届けしよう。と 歩き出します。
小僧さんは宗旦さんのいえにつくと、事の次第を正直に話をしました。
宗旦さんは 椿の枝と花を受け取ると、優しく言いました。
「 小僧さん、あなたに怪我はなくて何よりでした。椿は残念ですがね。ご苦労さまでした。」小僧さんにそう言うと、
宗旦さんは 何かを思いついたらしく 目をきらりと光らせて まだ緊張した面持ちの小僧さんに向かって 伝言を頼みました
「お寺に帰ったら、今日は日がいいから御前様におちゃをいっぷくさしあへたいので お越しいただく様に 伝えてください」
「えっ!」
小僧さんはびっくりしてしまいました。
せっかく正直に話したのに よりによって住職をここに呼ぶとは。。
でも仕方ありません。宗旦さんの言いつけです 。お寺に戻ると、渋々住職に「宗旦さんがお茶をいかがでしょうとおっしゃっておいででした」と伝えしました。
もちろん椿の事を話す勇気はありません
何も知らない住職はニコニコして
「そうか。。せっかくのお誘いだ。呼ばれることにいたしましょう」
そう言って 宗旦の家へ向かいました。さあさあどうぞ 茶室へおいでください」
到着した住職を 何やら意味ありげな笑顔で迎える宗旦さん
「ようこそ、おいでくださいました。さあ どうぞ茶室へ」と 招かれ、中には入った住職が
まず 目に入ったのは小僧に持たせた椿の花
「お。。⁇」思わず声を上げてしまいましたことも無理もありません。
椿は見事に生けていましたが 肝心の花は床に落ちてしまっているではありませんか!
動揺を抑えつつ 心を無にせんと端然と座す住職。。黙念をすることをしばしの時間。
やがて静かに目を開けて 一言おっしゃる
「実に見事ですな」
それを聞いて宗旦さん
「そうですか。ありがとうございます」
このお話は これで終わります。
なんとも不思議な会話です。しかし 深い意味が隠されているのです
観音様とは人が持っている心のことだったんです。。ね😊
実はこのお話、その茶室には 見事に
“ポトリ”という音が生けてあったというお話です。椿の花が落ちる音です
バラバラになった枝と花を受け取った宗旦さんは わざと花を落として生けた。それを見て、住職は ポトリという音を聞いたというのです。
この禅問答のような お二人の静かな茶室でポトリを生けた宗旦さんと その音を聞いた住職さん。音を観る観音様が そこに静かにたたずんでおりました。
観音とは 単に石でつくられたものではなく 周囲の人々の心や生活の中で見出されるものなのです
生きている人のことでしたね
自然と人に手を合わせることができる日本人は このような日本の文化が 日本人の心に根付いているからなんです。
今日 も観音様が直ぐ側にいらっしゃるのです。心のお掃除をすれば 今日からあなたも観音様です
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今 大変な社会ですが 自由な心で幸せを掴みましょう
心が混沌におちいったときは 是非仏教のお話を聞いてください。
心は、軽くなり重荷は砕かれてゆきます
そして 今 生きている意味を知ることでしょう
参考資料
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