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小野忠明のこ精進グラタン


牛乳やチーズを使った濃厚な料理というイメージがあるグラタンを植物由來食品と菌類であるキノコで作りながら、めんどくさい性格な劍豪を妄想した記録。


材料

ジャガイモ 2個
パプリカ  半分
ピーマン  半分
シメジ   半パック
椎茸    2枚
エノキ   半パック
豆乳    200㎖
塩     大匙1
胡椒    少々

永禄八年(1565)安房國(千葉県)に誕生した御子神典膳(みこがみてんぜん)が後の将軍家指南役、小野忠明。
仕えていた里見家の領地に劍豪、伊東一刀斎が訪れた際に弟子入り。そのまま廻國修行に同行。
伊東一刀斎についてはコチラを御覧下さい。↓

一刀斎にはもう一人の高弟、小野善鬼。
こちらは元船頭。氣性は荒いがかなりな遣い手。
「儂も老いた。そろそろ跡目を譲ることにする」
と言い出した一刀斎は典膳と善鬼に決闘をさせ、勝った方に一刀流の名乗りを許して自分の愛刀、甕割を授けると通告。更に德川家に推挙するという特典付き。
典膳の勝利を見届けた一刀斎はそのまま姿を消した。
一刀斎の言葉通り、德川家康の御前にて劍技を披露。
ところが、家康は典膳の仕官を許さなかった。
「速過ぎて何やっているのかわからん。人の技ではない」
というのが理由。


ジャガイモを茹でて柔らかくする。

不貞腐れて寝ていると、近所の人が
「強盗が家に立て籠っている」と助けを求めて來た。
強盗がいる家に入ったが、足を滑らせて転倒。
チャンスとばかりに斬りかかる強盗。ところが典膳の刀が一閃。
強盗は腕を切り落とされた。
この話が伝わったことから再び德川家からお呼びがかかり、家康ではなく跡継ぎの秀忠の劍術指南として仕官。
この時から母方の姓である小野を名乗り、秀忠から一字を頂いて小野次郎右衛門忠明と名乗った。


キノコを食べやすい大きさに、ピーマンとパプリカを細切り。

「こんな技を考えたけど、とうかな」
と秀忠が忠明に話してみると、
「我が一刀流は人斬りを重ねて練り上げた劍。口先だけの技等、畳の上の水練」とバッサリ。
主君だからといって持ち上げることもない。

關ヶ原の時、秀忠軍は中山道を通り、眞田家が籠もる上田城を攻撃。
抜け駆けした忠明は敵に斬り付けたが、同時に斬り付けた者がいて、どちらが先に斬ったか一番争い。
双方、譲らないので德川方は上田城に間者を送り、眞田方の証言を集めて、忠明が先に斬ったと判定。
しかし抜け駆けは軍令違反なので、誉められるどころか蟄居謹慎。


キノコを炒める。

同じく将軍家指南役である柳生新陰流を度々、挑発。
「どちらが強いか白黑つけよう」
柳生宗矩は適度に忠明を持ち上げて敬遠。
しびれを切らして柳生の道場に乗り込んで高弟四人を一人で打ち負かした。
一説にはその四人とは柳生宗矩、息子の十兵衛、新陰流正統を継いだ兵庫助、同じく宗矩の息子、宗冬?

参考までに。↓

当時、江戸には町道場があちこちにあったが、その中の一つが『誰の挑戰でも受ける』と高札を掲げていた。
「おもろいやないか」とばかりに入って行った忠明、道場の者を全員、叩きのめした。
将軍家指南役とも思えない軽々しい行い。
勝ったからいいものの、負けたら流儀の名に疵がつく。


豆乳と潰したジャガイモを投入してとろみを付けていく。

そんな行いがあまりに多いので、ついに配流処分。
配流先でも西瓜泥棒を斬り捨てたという話もある。
こうした逸話から誰だろうと容赦しない、強さのみを求める荒々しい性格だったように思われる小野忠明。
ここから妄想が廣がり出す。
そもそも、御子神典膳と小野忠明は同一人物なのか?
武士にとって家とか名前は命よりも重い。
何故、御子神という苗字を捨てて母方の小野を名乗ったのか?
武士らしい礼儀作法とかがあまり感じられない振る舞いの数々。
実は小野忠明の前身は小野善鬼ではないのか?
実際には決闘に勝ち、一刀流を継いだのは元船頭の善鬼。
そう考えると武士からぬ行動の多くも納得。
母方の苗字と言っているが、わざわざ御子神という苗字を捨てる理由にならない。元から小野、つまり決闘の勝者は善鬼だった?

上にパプリカとピーマンを乗せてオーブンで焼く。

一刀斎は折り目正しい武士である典膳に跡を継がせたかったが、善鬼が勝ってしまった。
更に善鬼は弟子達に殺し合いをさせた師に怒り心頭で一刀斎を葬って、跡目と甕割りの刀を奪った。


小野忠明のこ精進グラタン

彩りに加えたピーマンとパプリカが思いの外、いい塩梅に焼けている。
動物性食品や玉葱などの香味野菜も入っていない正に精進料理なグラタン。
キノコはタンパク質や食物繊維も含んだ優れた榮養食品。
パプリカやピーマンからもしっかりとビタミンCや食物繊維が頂ける。
豆乳のタンパク質にジャガイモの澱粉がしっかりととろみを付けてくれている。
正に滋味溢れる。

德川家に推挙するというならば、一刀齋が連れて行って紹介しそうなものだが、姿を消しているのも不思議。
善鬼も自分が勝者だとしても元船頭では相手にされないと分かっていたので御子神典膳に成りすました。
当時は寫眞等はないので、自分が里見家に仕えていて、一刀流の跡目を継いだ御子神典膳ですと言ってもわかりはしない。
家康が最初、仕官を断ったのも、素性の惡さや成りすましであることを看破したから、或いは調べて知ったから。
德川家康は武術好き。
速すぎて何やっているかわからない遣い手ならは、喜んで召し抱えそうなのに断ったのも奇妙。
見破ったのだとすれば、流石は德川家康の眼力。

小野忠明の子孫は小野派一刀流宗家、将軍家指南役として明治維新まで存続。
そうした家の始祖であり、一流の開祖ということで美化されたり盛られた話も多いのではないか。そんな妄想をしながら、小野忠明のこ精進グラタンをご馳走様でした。

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