RE_PRAYオーディオコメンタリー感想②
8bitの12体のユヅルくんのシーン。
羽生くんは、ゲームは参加型、体験型の芸術と捉えることができるかもしれない、と話していた。
ICE STORYも、ただ見るものというより、
その中に入り込んで体験しているものに近いのかもしれないと、わたしは感じた。
続けて羽生くんは、
ゲームにはどんな選択をしてもハッピーエンドに辿り着く流れがあり、
必ずそこへ向かっていかなくてはならないルールがある、と説明していた。
――《Happy End》
今年のnotte stellataで、羽生くんが滑った
坂本龍一さんの楽曲。
わたしは初日に行っていたのだけれど、
正直、あのときはよくわからなかった。
この曲を聴いたのも初めてだったし…。
数日して、メンシプらじおで羽生くんの想いを聴いて、この曲にはいろんなアレンジがあるという事を知って聴いてみました。
いくつかの演奏を聴いてみると、
同じ《Happy End》でも、ずいぶん印象が違う。
電子音の頃の無機質な感じ、
ピアノで弾かれたときの静けさ、
そしてオーケストラで広がる音。
どれも同じ曲のはずなのに、
受ける印象が違って聴こえた。
羽生くんの解釈とこの曲たちを聴いて、
「Happy End」とは、これまで思っていたものとは違う意味にもなるんだな、と思いました。
羽生くんはRE_PRAYのコメンタリーの中で、
生きていたら必ず訪れる終わりを、
ゲームの完結のような“Happy End” だと
定義するなら…と話していた。
そして、ゲームのルールでは、
ある一定のシナリオに沿って進んでいく中で、
どれだけ選択を変えたとしても、
最終的にはHappy Endに辿り着かなければならない、とも言っていた。
そう捉えると、
Happy Endとは『どう終わるか』というより、
そこに至るまでにどんな選択をしてきたか、
その過程のことのようにも思えてきた。
そして、
Happy Endって、外から見ている人がつける
言葉なのかもしれない、とも思った。
物語として見れば、
そこで終わっているように見えるけれど、
その中にいる本人にとっては、
その先もただ続いていくだけ
Happy Endは
幸せな結末ってイメージだけど、
今回の羽生くんの演技や解釈と、
教授のいろんなHappy Endを聴いて、
そう考えていくと、わたしにとってのHappy Endは、評価のない静かな地点なのかな、
と感じた。
Endは結末というより、
今の地点の一区切りなのかな、と。
そしてまた続いていくもの。
そしてHappyって、良いとか悪いとかの評価がつかない状態のようにも感じられた。
「今は苦しい音が鳴っているな」
「今は楽しい音が鳴っているな」と、
ただその響きを、そのまま受け取っている状態のことなのかもしれない。
苦しい音を否定して、
別の音に変えようとするのではなくて、
それもひとつの響きとして、
そのままそこにある。
そうやって見たとき、
どんな音も消す必要がなくて、
全部がそのまま重なっている。
それって、なんだか
オーケストラみたいだな、と思った。
ひとつひとつ違う音があって、
それぞれが違うまま重なっている。
──そう思った時に
あの8bitの12体のユヅルくんも、
それぞれが違う声を持っていて、
違う想いを持っているんじゃないかと思った。
そして、その中のどれかひとつを選んだとき、
他の声が“邪魔なもの”になって、
そこに「壁」が生まれる。
あなたの世界に、
越えるべき壁は ありますか?
壊すべき壁は ありますか?
わたしは12体のユヅルくんは、
内側の声だと思っていて、
わたしたちの内側にはいろんな声がある
生きたい
楽したい
認められたい
自由でいたい
やりたくない😅
全部同時にある
例えば羽生くんが言っていた
「最近外食多かったからご飯作る」を選ぶと
内側の声は
やるべきだ(YES)
めんどくさい(NO)
と、【YES/NO】どちらの声も出てくる。
ここで「やる」と決めた瞬間、
「めんどくさい」という声は
邪魔なものとして扱われる。
でも本当は、
その声もただそこにあるだけで、
消えるわけではない。
ただ、選ばれなかっただけで、
内側にはずっと鳴り続けている。
その“選ばれなかった声”を
押さえ込もうとしたとき、
それが抵抗になって、
「壁」として立ち上がるのかもしれない。
もちろんそれだけじゃなくて、
羽生くんみたいに限界に挑んだりする時は、
やりたいという気持ちと、
怖いとか無理かもしれないという気持ち。
そして、
身体的に足りない部分や、
鍛えなければできない現実もある。
そういったものが重なったときに、
それが「壁」として立ち上がるのかな、と感じた。
ふと、Echoes of Life の
Novaくんにとっての「扉」も、
ときには壁のように見えていたのかもしれないと思った。
扉は本来、通るためのものだけど、
開けることを選べば「扉」になり、
開けられない/開けたくない状態のときには「壁」になる。
つまり、
同じものでも、
自分の状態によって意味が変わるということなのだと思う。
RE_PRAY前半は、
YESで突き進んでいく世界。
やる、進む、乗り越える。
その強さがあるからこそ、
限界に挑むことができる。
でも同時に、
NOの声――怖さや迷い、
止まりたいという感覚は置いていかれていく。
その結果、
バランスが崩れ、
エラーや揺らぎとして現れてくる。
そしてその先で、
YESもNOもどちらもあっていい、
ということを知っていく。
YESだけでも、NOだけでもなく、
両方があることで、
はじめてバランスが生まれる。
そしてここでも、
いろんな音が重なって響いている、
オーケストラのようだなと思った。
見ているものは違うのに、
どこか同じ構造をしている。
それは、
Happy Endのときに感じたものと、
重なっているようにも思えた。
前半のラスト、
「誰ですか?これ書いたの😏」
と、ご自身で言っている
ノーミスなのにセーブデータ壊れています
謎のシーン😅
一見すると、
ノーミス=成功なのに、
なぜ“壊れている”のかが分からない。
でもここまで見てきた流れで考えると、
これはすごく象徴的な状態なのかもしれない。
やると決めたことをやり切る。
限界まで挑む。
怖くても、一歩踏み出す。
そのすべては、
確かに「YES」で進んだ結果で、
だからこそ“ノーミス”として成立している。
でもその裏側で、
「怖い」「やめたい」「無理かもしれない」といった、もうひとつの声(NO)を、
どこかに置いたまま進んでいたとしたら。
外側では完璧に見えていても、
内側ではバランスが崩れている。
それが、
「セーブデータが壊れる」
という形で現れているのかもしれない。
それは失敗ではなくて、
見えなかったものが表に出てきただけ。
そう思うと、
このシーンは“エラー”というより、
むしろ次に進むためのサインのようにも感じられた。
つづく……
おまけ
私が羽生くんを好きな理由が、遂に言語化された話
昨日、原孟俊さんのオンライン講演会
「羽生結弦を語る─デザイナーの視点で見る絶対王者の魅力」を視聴しました。
原さんが、
羽生くんが内包しているものを
言い表すひとつに「透明感」と言っていたのが私に刺さり過ぎて。。。
羽生くんは外側の透明感も持ち合わせているから紛れてしまうけど、
人って内側の透明感を見せるの、
本当に怖いことだと思うんだよね。
だからこそ、
その話の締めくくりに原さんが、
あれだけすごいこと(実績・努力・重圧)をやっているのに、それでもなお、その「透明さ」を保っているのが、どんなことよりも尊敬しているって言っていて、
わたしは首がもげました😭
全てのお話が原さんの講演会感想も書きたいくらい感銘を受けました。
RE_PRAYの感想とも繋がっている気がするので、これから書く感想に原さんのお話も出てくると思います。
