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2009年"スローライフの眼"作文コンクール入賞の思い出「あらためてカメ」

前回に続き、「ワタシの足跡👣」「軌跡(きせき)」第2弾をご紹介します☝🏻

前回の記事はこちら👇




本日は、2009年「第一回筑紫哲也賞“スローライフの眼”作文コンクール」で入賞した私の作品をご紹介いたします~👏👏👏


少々長いので、ご興味のある方は気長にお読みくださいませ♪


タイトル「あらためてカメ」

若い頃、私はウサギのように生きていて、カメのような人を馬鹿にしていた。でも、結婚、子育て、離婚、仕事など、様々なことを経験し、あらためて「カメのような生き方」に優るものはないと、実感するようになった。

ウサギのように後悔しないように、まっすぐに前を見つめ、遅くとも自分のペースでしっかりと歩んでいくことが大切だ。全てのものが超高速で進む現代社会では、カメのような生き方があらためて大切なのだと思える。

「スローライフ」と聞いて、どんなストーリーが一番初めに思い浮かぶだろうか?

小さい頃からよく読んだ昔話や、子供たちが小さい頃に読んであげた昔話を、あれこれ思いだしてみた。

真っ先に私の頭に浮かんだのは、誰もが知っている昔話「うさぎとカメ」だった。

 めまぐるしい変化、超スピードで流れる時間、いつの間にか変わってしまう街並、ありとあらゆるものが目がまわるくらいの速さで消えていき、また新しく生まれる社会。誰もが最短距離を追い求め、オリンピックの短距離走の記録はどんどん縮まっていく。

電気製品や自動車、日用雑貨にいたる様々なものが、どんどん便利なもの、必要以上に便利な機能をもつものに進化し、その進化はとどまることを知らない。とりつかれたように開発を進める。何もかもが溢れかえり、生活が飽和状態になっている。

そんな時代の中で、私たち現代人は何かを見失っているような気がする。

目に見える「モノ」は満ち溢れているけれど、それと反比例するように目には見えない「精神」や「ココロ」というものがカラカラに干乾びて、カラッポになっているような気がするのは、私だけだろうか。

私たち現代人が生きている今のこの世の中で、見失われている大切なものが、「うさぎとカメ」という昔話にはある。誰もが知っていて、聞き古され、当たり前すぎるほど当たり前で、月並みな昔話の中に、あらためて大切なもの、忘れられてしまったけれど、とても大切な何かを見つけることができる。

 日本が高度経済成長を迎えた時代、世の中は揺るぎないたった一つの価値観で動いていた。誰もが同じ価値観をもって、同じ方向に走っていた。猛スピードで、まっしぐらに山の頂上に向かって走っていた。

 滅私奉公で必死に働き、お金を貯めて、一戸建ての家を買う。新しくて便利な電気製品を一つ一つ買い揃えていく。子供はひたすら勉強し、いい大学に入り、一流企業に就職する。山の頂上にあるものは、そういったものだった。

誰もが同じ価値観で、一つの頂上だけを目指していた。誰もがただひたすらに、そこに向かうウサギだった。他の人よりも「速い」ことが、何よりもよいこと、そして優れていることと見なされた。

私が育った家も例外ではなく、そのウサギの群れの中にいた。

誰よりも早く走り、どんなことでも誰よりも一歩早く学ばなければならなかった。「競争」は当たり前のことだった。私自身も疑問をもったことなどなかった。何故なら誰もがそうしていたからだ。

当たり前のこととして、走り続け、頂上に辿り着いた。猛スピードで頂上に辿り着いた頃には、バブルというお祭りが始まっていた。どんちゃん騒ぎで、世の中全体が浮かれていた。そのお祭りがずっと続くかのように、みんなが錯覚していたのだ。

バカらしいくらいに土地や建物の値段は上がった。ニュースではそれを煽るように、銀座や赤坂、六本木といった都内の中心地で毎日女性アナウンサーが甲高い声をあげていた。

祭りの間中、みんな踊り狂い、遊び狂っていた。

しかし、どんなことにも終わりはやってくる。永遠に続くものなどない。バブルという祭りも終わりを迎えた。

みんな山を降りなければならなくなった。けれども登ることしか学んでこなかったウサギたちは、祭りが終わった後も山の頂上で昼寝をし続けた。頂上にはもう何もないのに。誰もいないのに。

ゆっくりと安全に降りることを学ばなかったウサギは、空っぽになった頂上にいつづけるしかなかった。ただぼんやりと、そこにいつづけるしかなかった。風が吹いても、雨が降っても、凍りつくような寒さの中でも、焦げるような熱さの中でも。

あっという間に人生の半分が過ぎ、ミドルエイジとなった今、「私も随分変わったなぁ」と自分で思うことが増えた。二十代の若い頃には思いもしなかったことや想像もしなかったことを考えるようになった。「いやだなぁ」と思っていたことを、いいことだと思うようになったり、嫌いだったものが好きになったりしている。

独身の頃は健康なんて気にもしなかったけれど、自分が親になってみたら、子供たちが成人するまではなんとしてでも健康でいなければ、という思いから健康オタクになってしまった。そうなると、まず食べ物には気をつけるようになるので、昔は大嫌いだった豆類を今では毎日のように食べている。苦手だった料理も楽しくなった。

子供たちの将来を考えると、環境問題に興味を持つようになった。親子で富士山清掃に参加したり、ボランティアで駅前の早朝清掃をしてみたりするようになった。

そんな風に暮らしているうちに、自分の考え方の根本が大きく変わっていった。コツコツと地道に歩むこと、これ以外に進むべき道はない、そう思うようになったのだ。その大切さに今さらながら心打たれるようになった。健康も環境活動もすぐに結果が出るものではない。子育ても同じだ。遥か遠くにあるものを見つめながら、毎日毎日少しずつ積み重ねていくしかない。ほんの少しずつ、コツコツと続けていく。周りに流されず、自分に言い訳をせず、どんなに遅くとも自分のペースで、一歩一歩歩みを続けていくこと。それ以外に優る方法はないのだということに、子育てをしながら、ようやく気が付いた。

その歩みは、まさしく「カメ」の歩みなのだ。

若い頃はカメを完全にバカにしていた。「単にノロノロしているだけで、愚図でのろまな自分、能力のない自分を正当化しているだけだ。なんだかいかにも至極ごもっともな言い分が、妙に鼻につく。テレビドラマの水戸黄門のようで、全く面白味や刺激が欠けている。そんな月並みで平凡な生き方はいやだ」そんな風に思っていた。

カメだけでなく、「そもそもこんな昔話なんて、作り話のキレイごとよ」と昔話そのものをバカにしていたのだ。

バブル世代の私は「地道にコツコツ努力する」ということはカッコ悪くて、みっともなくて、たてまえだけのきれいごと、と思っていた。だから、なんでもできて当たり前と思っていた。結婚し、子供を持つこと、働くこと、全て誰でもできる当たり前のことだと思っていた。が、人生には当たり前のことなど何一つないのだ。

トラブル続きの妊娠十ヶ月、生まれてからは小児科病棟で検査入院をすることになった。一カ月後に再検査でやっと子供の心臓に何も問題ないことが分かり、手術はしないですんだ。その時のことがずっと後を引き、神経質な子育てになり疲れ果てた。といったように当たり前のことなど何一つなかったのだ。人生は何が起きるから分からないものなのだった。

山を昇っている時、頂上にたどり着いた時は、そんなことに気が付かなかった。

夫は出張ばかりでほとんど一人での子育て、その他諸々の問題続出で結局離婚、二人の子供を育てながらの仕事探し、しかもバブルははじけ、世の中はリストラ・倒産・就職浪人という言葉が溢れかえっている状況だった。当然のごとく、なかなか仕事は見つからない。不採用の通知ばかりがポストに届き、貯金は減る一方だった。なんとか仕事が決まっても、職場では陰険ないじめに合う日々だった。

越えねばならない山は数限りなくあったのだ。

今までのようにぴょんぴょんと軽やかに要領よく走り、飛び越えたかった。昔のように頂上に簡単に辿り着きたかった。それが当り前で普通のことだと思っていたから。

昔からずっとずっとカメのような生き方を馬鹿にしていたのに、結局は何一つスムーズに進まなかった。その都度立ち止まり、ひっかかり、疲れ果て、焦り、イライラしたり、絶望したり、時には一人で泣いたり、みじめでたまらなくなったり、悲しくなったりした。焦るばかりで、歩みは思うように進まなかった。

そんな中で私は一歩一歩ゆっくりと少しずつ、歩くしかなかった。他に方法はなかった。重い足をズルズルと引き摺りながら、カメのように遅く進むしかなかった。子供の手を引きながら。

子供たちの成長とともに、焦らず、じっくりと、時には休みながら、じっくりじっくり進んでいくしかなかった。カメのように。

少しでもお給料のいいところで働くために、子供たちが寝た後や電車の中などわずかな時間をやりくりし、コツコツと勉強をしてあれこれと検定試験を受けたり、週に四日は地道に副業をしながら、少しずつお金を貯めた。

そうだ、私はまさしくカメのように生きていた。

そんな風に数年間歩み続けた結果、今では様々なことが落ち着いた。自分で生活ができるようになった。

今の私は「カメのような自分の生き方」に揺るぎない自信を持てるようになった。数年前の自分を「よくやったね」と大きな声で褒めてあげることができる。

まわりに流されず、コツコツと地道に、地味な努力をし続けること、それ以上のことはないのだ。子供たちが成長した今、実感している。

考えてみたら、子供が幼稚園に入った頃から小学校を卒業するまで、ずっとカメを飼っていた。あのカメの顔を近頃よく思い出す。

カメはいつも同じ表情で、遠くを見ている。地面に四本の足をしっかりと降ろし、重い甲羅を背中にしょって、短い脚でゆっくりゆっくりと歩みを進めながら、遠くを見つめている。

目を閉じていても、カメはあの薄い瞼の向こうからも、遠くをじっと見つめている。

口をへの字にして、瞼を少し下げて眠そうに見えるけれど、無駄な動きはせずに、自分が決めた道をひたすら進む。その道の先をじっとじっと見つめる。ただ真っ直ぐに、前だけを見つめ、進む。

歩み続けるその先には、一体何があるのだろう。

頂上はまだまだ見えない。

いつ到り着くのか、どこへ到り着くのか、分からない。

この道はまわり道なのかもしれない。

でも間違えではないはずだ。道は人の数と同じくらいあるはずだから、正解・不正解などない。どれも正解なのだ。

着実に、一歩一歩進んでいるのは確かなのだから。

ウサギのように後悔はしたくないから、悔しい思いはもうしたくないから、ゆっくりでも確実に歩んでいこう。

前だけを見て進もう。

カメのように。

「あらためてカメ」


2009年ということは、16年前!OMG😱
自分が描いた文章を客観的に見るのは、なかなか難しいですが、
さすがに16年もの長い歳月を経ると・・・・
いやはや、なんともお恥ずかしいですなー💦

過去の自分自身も客観的に振り返りつつ、
黒歴史を思い出し、一人笑いつつ(笑)
今現在の自由な生活が、心からうれしいと思う次第です☺️

最近繰り返し起きている現象があります。
それは、閉じ込めていた過去の想いがムクムク出てきて、
今の自分に吸い込まれていくこと。

うーむ、言語化するのが少々難しい💦
なんとかシンプルに言ってみると👇
「あぁ、そういえばワタシは、これをやりたかったんだ」
「ワタシは、本当はこういうヤツなのよ」

そんな風にスッと思えて、とてもクリアな気持ちになれる。
といった感じです。
本来の自分に戻りつつある、のでしょう!💪🏻

楽しいと思えること、
やりたいこと、
とりあえずやってみましょう♪


 

~最後まで読んでくださった方へ~
心よりありがとうございました😊



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