静けさと共に居る
この10日間くらい、静けさとともに居る。
それは静かにやってきた。
朝起きたら、静かだった。
ノイズが減った静けさ。
あ、静けさの中に入ったんだな、と理解して
このまま静けさの中で過ごしたいと思った。
その静けさの中に居ても、普通に日常は送れた。
買い物にも行くし、人に会えば普通に会話もできる。
次に思ったのは、
静けさとともに居たい。
1人になりたい。
自分と一緒に居たい。
以前の1人になりたい、というときは
人と居るのが疲れた、
なんか重たい、
なんかしんどい、
分かってもらえない、
どうせわたしなんて、
と、いうようなネガティブ要素が強く、
自ら孤独に逃げるような感じだったと思う。
今回は違う。
自分と居たいから、1人になりたい。
自分から世界に背を向ける、とは違う。
自分を完全に閉じることなく、
世界に背を向けるわけではなく、
自分を開いたまま、1人で居ることを、自分で選んだ。
不思議と、自分以外の
人、もの、ことについて考えることが減った。
自分から人に連絡することも、必要最低限しかしなかった。
誰かからきた連絡には、返事をする。
反射的に即座に返すことはせず。
返そうかな、と自分が感じたタイミングで。
返信が遅いことをどう思われるか。
そんな考えが出てきたけど、出てきただけ。
1ヶ所だけ、断わりを入れた。
毎日のように動いてるグループLINEがある。
『今、静けさとともに居るから
しばらく幽霊部員になるけど
ときどき覗きにくるね。』
それだけ伝えた。
静けさを楽しんで~と快諾され、
その言葉に既読スタンプだけ押して離れた。
LINEのトークが200を超えたとき、
笑った。
なにやら盛り上がってるのか
壁打ちが始まったのか。
でも、そこに入りたいとか
急いで追いつかなきゃとか
置いていかれる、とかもなく、そのままに。
今は居るとき、と感じた30分くらい、参加しただけ。
自分がどうするのが今心地よいか、を
基準に自分で選んでいった。
頭ではなく身体感覚で。
こうやって書いてみると、選び続けてるな、と、改めて思った。
本当に静けさの中に居たのは、最初の3日間。
それ以降は、静けさとともに居るという感じになり、ノイズもじわじわと増えていった。
ノイズというのは頭の声。
息するように頭は外に向かう。
自分以外の人、もの、こと、に。
そして、不安や恐れを誘発するような言葉も。
わたしがこれまでしない選択をしてるから、
当然だとも思う。
わたしを守る為のエゴの声だもんね。
エゴは存在が危うくなると、エゴの声は大きくなる。
大きくなった。
呑まれそうにはならないけど、一体化しそうにはなった。
あ、、、、って気づくたび
スーーーーっとに静かな場所に戻る。
それを繰り返しながら
本丸に近づくとエゴの声が最大限になる。
はっきり言って、ものすごく体感は悪い。
これを感じたくなくて、自分から逃げていたんだと、今なら分かる。
今は、ただ、感じて、見る。
感じても大丈夫。
それを神経が学習してると思うし、
なにより癒しが進むとも思ってるから。
でも、その時間は体感が凄い。
前は、感じながら、なぜそう感じるのかを追っていたこともある。
今は、追うこともなく、感じる。
感じた後は、外に出て自然を感じる。
心地よさを感じさせてあげたいから。
自然と顔が緩む^^
子供の大会会場でも、静けさとともに。
保護者との会話も必要最低限。
ただそこに居て、静かに見守る。
負けて泣く我が子に、揺れることもなく、
意味づけすることもなく、
仲間に囲まれ、笑顔になっていく様子を見守る。
1人になりたくなったら、離れる。
そして、戻ってそこに居る。
最後は笑いながら、保護者達と普通に会話していた。
疲れ方が違うな、と、感じた。
消耗しない在り方なんだなと分かった。
いかに今まで外に向けてきたのかも。
自分以外の人、もの、ことに。
不足を埋めるために、
なにかを得るために。
外に向けなくなった分、
自分に向かってる。
不足感ではなく、充足感を感じるようになった。
先日、お風呂に入ってるとき
急に静けさの中に入った。
目をつむって感じていると、
自分の内側に黒い暗闇のような、
ブラックホールのようなものがあるように感じた。
不思議と、怖さはなかった。
あるな~と思いながら見ていたら、
もともとあったのに
今までは色んなものが乗っていて
見えなくなっていたのかもしれない、とも思った。
見て、感じていたら、
ぜんぶ無駄じゃなかった。
外に向かって生きてきたことも、
そうなる理由があった。
悪くなかった。
そんな言葉が湧いてきて、
そのまま湯船に浸かりながら、
自分の身体を優しく撫でつつ、
静けさを感じていた。
この静けさとともに居続けたら
人を求めなくなるんじゃなかろうかと思ったけど。
やっぱり、人と話すのは楽しい。
好きな人とは、特に。
そう感じる時間を過ごせることも嬉しい。
常にじゃなくて、
やっぱり戻れるかどうかなんだな、と思った。
ベースが静けさ、になっていくのかな。
わたしは、1人の時間が苦手だった。
居心地が悪かった。
なにもしない、というのも苦手だった。
1年前のわたしだったら、
そんな時間になんの意味があるの?って言うかもしれない。
意味なんてない。
心地よさや安心があるだけ。
切れていた自分との繋がりが、戻ってきた。
それがなにより、嬉しいし、充ちてくる。
選ぶ基準も変わってきた。
安心、穏やか、心地よさ、澄明さ。
不安定さ、曖昧さ、激しさは、もう惹かれないかも。
否定はしない。
選ばないだけ。
