「松井茂先生自伝刊行会」の使徒たち。高橋雄豺、桑原幹根、二荒芳徳、弘津恭輔など。
2007年4月30日のSo-netブログ『博士の愛した株式』に「マスコミは、日本警察の戦争責任は問わないのか?」という記事があった。
これは、陰謀論なのか?
もしも、本当なら、
怖すぎだよ~、オールドメディア・・・
ぜひ、わが国唯一の公共放送NHK様に松井茂の国民皆警察と松井茂の使徒たちの活躍について調査報道して欲しい!
※「戦争責任」はどうでもいいが、敗戦の責任はとって欲しい気がするのは、私だけだろうか?
以下は、2007年4月30日のSo-netブログ『博士の愛した株式』にあった「マスコミは、日本警察の戦争責任は問わないのか?」という記事。
マスコミで、戦争責任が問題となるとき、日本警察の戦争責任について論じないのはなぜだろうか?
そもそも、戦争に誰も反対できなかったのは、日本警察が優秀だったからである。
日本警察が優秀であったからこそ、戦争を継続できたのである。
日本警察は、本土決戦の際、憲兵となり、最後の一兵まで国民を兵として、戦わせようとしていたのである。
特高警察が、問題とされるが、戦時中は、警察官の皆特高警察化が図られており、国民皆警察運動によって、国民が全て警察化されていたのである。つまり、日本全体が特高警察化していたのだ(学校や職場、あらゆる人間と人間の関係の中で、極めて自然に存在する、あの熾烈を極めるモラル・ハラスメント〔精神的暴力〕の原因はこれであろう。モラル・ハラスメントについてはマリー=フランス・イルゴイエンヌ(高野優訳)『モラル・ハラスメント』紀伊国屋、1999年参照)。
それを支えたのは、大乗主義の警察精神であり、この警察の大乗主義には、ヘーゲル紹介者で著名な紀平正美博士(『萌え騰る日本』 〔明世堂書店、1944年〕という本も書いておられる)の行の哲学の影響が色濃く見られる。ただ、紀平博士以前に、戦前の代表的警察官僚であり、貴族院議員松井茂法学博士が、同様の思想を鼓吹していた。
松井は、東条英機首相を東條君と呼び、東條が作った戦陣訓を褒めながら、自分(松井)が作った「警察精神九則」を自慢している。
※松井の「日本警察綱領」「警察精神九則」は、以下のとおりである。
「余の五十年経験し来れる警察生活の結論は左の『日本警察綱領』八項目の中に統合せられる ものにして、次の『警察精神九則』は昭和十三年二月の作に係はり、翌年二月発行の警察講習 所学友会雑誌に発表、その後改訂を加へたるものなるが、玆に併せ掲げて余の所志を明かにし、 以て自叙伝の稿を終ることとする。」 (松井茂『松井茂自傳』松井茂先生自傳刊行會、1952年、511頁参照)
日本警察綱領
第一 日本警察官は、陛下の警察官として治安確保の職責を通じ、皇運を扶翼すること。
第二 日本警察官は、天壌無窮の神勅に基き、憲法及び教育勅語の趣旨に則り、政治と道徳との一体たることを自覚すること。
第三 日本警察官は、尊皇、愛人、尚武、廉恥の精神の修養に努め、常識、法令、科學等廣く警察知識の涵養を怠らざること。
第四 日本警察官は、国民心理の何物たることに注意し、常に社会の活事情に通ずること。
第五 日本警察官は、経済及び社会事業の何物たることに通じ、警察運用の完成を期すること。
第六 日本警察官は、国防国家と大東亜新秩序の達成の為めに猛進し、東洋警察の完成に努むること。
第七 日本警察官は、警察的臣道を実践し、自ら範を中外に示すと共に、国民に対しては之が警察的自覚を促し(皇民警察)、且つ世界に対しては広く皇道警察の何物たること(八紘一宇の警察)を諒解せしむること。
第八 日本警察官は、日本警察の長短を自覚し、常に世界の大勢に通じ、以て世界に冠たる警察を大成すること。
警察精神九則
第一 警察教育淵源在国体精華発揚
第二 国体精華発揚在皇道警察自覚
第三 皇道警察自覚在国体擁護振興
第四 国体擁護振興在警察使命体得
第五 警察使命体得在警察理想窮行
第六 警察理想窮行在智仁勇之修得
第七 智仁勇之修得在治安確保実践
第八 治安確保実践在八紘為宇達成
第九 一刻寸時不可忘警察
丸山鶴吉 は、『松井茂自伝』の序で「我国警察消防の権威者であり、社会教化事業の指導者であった松井先生が逝かれてから、早くも7ヶ年の歳月が過ぎました。明治二十六年大学の業を卒え直ちに警察界に入られ、昭和二十年九月逝去されるまでの、五十余年間の偉大なる業績を顧み、先生の崇高なる御人格を想起して、今更らに敬仰措く能はざるものがあります。」 と、松井茂の業績を極めて高く評価した。
1942年(昭和十七)、松井茂は七十七歳の喜寿を迎えた。内務省警保局を中心に松井のために、警察消防奉仕五十年に併せて喜寿を記念する会が企画された。
この企画は1940年(昭和十五)5月11日の夜の警察協会の会合で警保局長山崎巖 が、「この場合に内務省、警察講習所、警察協会、大日本警防協会の総意を以て特に申し上げたいことは、御多忙ではありませうが、来々年は警察社会に見を投ぜられて以来五十年にもなりますので、是非ともそれまでに、これまでの御著述及びパンフレット等の大要を印刷に附すると共に、五十年の警察生活の御来歴をも発刊したいといふのが関係者一同の熱心なる希望である故御承諾を得たい」 と述べたことに始る。
そして、たとえ将来警保局長ほかの当局者の人が変わっても警保局長を会長として事業の達成を図るという規約を設けた。
1942年(昭和十七)夏ごろから、警保局長三宅重夫をはじめ内務省警保局を中心に、警察講習所、警察協会、大日本警防協会が松井茂の警察消防奉仕五十年と喜寿を祝う会の準備がすすめられた。
そして、朝野の名士80氏が発起人となって、同年11月24日午後5時から帝国ホテルで松井の喜寿を祝う盛大な紀念の晩餐会が催された。出席者は日本全国から参集し170余名を数えた。一木喜徳郎の祝辞のあと、内務次官となっていた山崎巖が松井のために紀念文庫を警察講習所、大日本警防協会に設立し、記念出版として松井の全集3巻を刊行する計画を発表した。ついで警察関係者及び同郷の有志を代表し丸山鶴吉、消防関係を代表して警防協会石田常務理事が祝辞を述べた。
しかし、満州事変の勃発、第二次世界大戦の戦況の悪化により、記念事業の計画は一時中止された。
戦後になって1951年(昭和二十六)9月 、警察大学校内で開催された松井の7周忌追悼会の席上で、記念事業のうち松井の自伝だけでも速やかに刊行したいという義が出され、参会者の多数がこれに賛同し「多年直接先生のご指導を受けた者達で『松井茂先生自伝刊行会』を結成して、事業を促進することになった」 。
松井茂先生自伝刊行会は、丸山鶴吉を委員長として、井筒調策、戸澤盛男 、岡本愛祐 、高橋雄豺 、瀧野好暁 、向井昌治、松本学 、古谷敬二、齋藤壽夫 、鹽谷隆雄 、篠田信男、伊藤謹二 、東谷傳次郎 、河合壽人、田中榮一 、中川望、桑原幹根 、二荒芳徳 、新井茂司 、木村行藏 、島津忠承 、弘津恭輔 、石井榮三 、大園清二 、亀岡幸知、谷口寛 、村田俊彦、山崎巖、藤野至人、齋藤昇 、宮野省三 、白根竹介 、鈴木啄二、が委員を務め、石田馨 が会計委員を務めた 。松井茂は、これらの社会教化事業(社会教化運動)の指導者たちを指導したのであった。
これらの「多年直接先生のご指導を受けた者達」 で結成された松井茂先生自伝刊行会の委員たちは、戦後の警察・消防界、政財界、マスコミ経営(新聞社・テレビ等)で活躍した人物たちであった。
さらにこの松井茂先生自伝刊行の事業には、警視庁、東京消防庁、愛知県、静岡県、警察協会、日本消防協会、警察大学校学友会、警察大学校勧助会、自治体警察長連合会及び全国都市消防長連合会等が協力した。そして、1952年(昭和二十七) 、『松井茂自伝』は刊行された。
この年4月28日、対日平和条約の発効により、特高追放者の公職への就職制限が完全に解除された。
ちなみに、特高追放は、分限免職として扱われたそうである。現行憲法が厳格に適用されれば(特殊な法テクニックが駆使されなければ)、それが当然であろう。ところが現在は、2004年の北海道警裏金問題で存在が明らかになった「新任副署長・次長研修資料」の「会計職員として不適格と認められるものは英断をもって排除する」と同様、会計書類改ざんに非協力的な職員の排除の手法として、分限免職が使われているようである。
もうお分かりかと思うが、
靖国神社参拝に対する中国、韓国、アメリカの意見が問題なのではない。
靖国神社参拝や天皇制云々が問題なのではない。
今この時にも、
戦前の警察が生きており、その警察がCR戦略、CI活動、危機管理論等々によって、地域住民を警察の利益団体化(つまり戦前の国民皆警察化)し、自由と民主主義をだいなしにしていることが、問題なのである。
※「地域警察」は、「市民全体を、警察を支援する特別な利益団体にする」といわれている。ジェロ ーム・H・スコルニク、ディヴィッド・H・ベイリー(田中俊江訳)「地域警察の目標及び形体」『講座日 本の警察 第一巻 警察総論』立花書房、1993年、427-57頁参照。)
※現在、日本警察では、パンフレット、ポスター、懸垂幕、ダイレクトメール等既存の広報媒体の利 用に加えて、テレビやプロモーションビデオ等の広報媒体の利用、警察官志望者の特性を分析し た上での積極的な勧誘、新庁舎の建設、独身寮の建設、婦人警察官の積極的採用、一流スポーツ選手の採用、警察学校の教養内容の改善等々、警察組織のイメージアップのためのCI活動を 積極的に展開している(河上和夫ほか『講座日本の警察 第1巻 警察総論』立花書房、1993年、 93-100頁参照)。すでに警察の「サービス的活動は、戦前の行政法学に言う『警察(作用)』の枠をはみ出している」といわれており、「広報啓発活動」「スポーツ指導」「社会奉仕活動の指導」「警察音楽隊の活動」「相談業務」等多種多様な「警察のサービス的活動」が存在し(小野次郎「市民とともにある警察活動」『講座日本の警察 第一巻警察総論』立花書房、1993年、414-21 頁参照)、これらがCR戦略やCI活動として展開されている。
靖国神社は、当時のプロパガンダの道具立ての一つでしかなかったのではないだろうか。
当時の総合的なプロパガンダ機関は、日本警察だったのである。
出征した兵士は、将官であれ、留守家族は警察の援護を受けなければならないのが、当時の現実だった。警察に非国民といわれるような言動は、軍部高官であっても不可能であった。政治家は、特高警察官の「赤がいる」との発言で、疑心暗鬼となり、政治どころではなかった。当時は、戦争に反対することなど、誰にもできない仕組みになっていたのである。
そこに、国民皆警察運動を展開した日本警察の優秀さが見て取れる。
そして、中国、韓国、北朝鮮が、戦争責任について語るとき、日本警察に関して言及を避けているかのように見えるのは、自国の警察制度が、戦前の日本警察の模倣であるからではないだろうか?
日本人は、国内問題として、日本警察の戦争責任を総括しなければならない。
そして、プロパガンダ機関としての警察の機能を民主的にコントロール可能にした後に、日本国憲法改正の必要性の有無を考えなければならない。でなければ、警察の警察による警察のための政治が実現されることとなるであろう。
戦争できる国=戦争継続のために何でもできる警察ということなのである。
松井茂の使徒たち
山崎巖(やまざきいわお):1894-1968、福岡県に生まれる。1919年(大正八)東京帝国大学独法科卒業。内務省に入り、厚生省社会局長、静岡県知事、内務省土木局長、警保局長、1940年(昭和十五)警視総監。1941年(昭和十六)の企画院事件の検挙を指揮。東条内閣の内務事務次官。終戦直後の東久邇内閣の内務大臣。1952年(昭和二十七)衆議院議員、1955年(昭和三十五)第一次池田内閣の自治大臣兼国家公安委員長。山崎は、松井茂の「警察消防貢献五十年記念及喜寿祝賀会」発起人の一人である。
戸澤盛男:全国自治体警察長連合協議会事務局長。
高橋雄豺(たかはしゆうさい): 1889-1979、1909年(明治四十二)警視庁巡査、1915年(大正四)高等文官試験に合格。1931-2年(昭和六-七)香川県知事をつとめる。1933年(昭和八)警察時代の上司正力松太郎が経営する読売新聞社に入社(外報部長)、正力社長の腹心として主筆、副社長をつとめた。敗戦後の読売争議により退社したが、1955年(昭和三十)副社長に復帰、大阪読売新聞社会長なども兼任。1965年(昭和四十)最高顧問。1958年(昭和三十三)法学博士(中央大学)。読売新聞副社長、選挙制度審議会会長など政府関係各種審議会の役職をつとめた。高橋は、松井茂の「警察消防貢献五十年記念及喜寿祝賀会」発起人の一人である。
岡本愛祐(おかもとあいすけ):1894-1988、京都に生まれる。1920年(大正九)東京帝国大学法学部を卒業。1923年(大正十二)-1927年(昭和二)まで昭和天皇の侍従をつとめ、帝室林野局長官を経て退官と同時に1947年(昭和二十二)に参議院議員1953年(昭和二十八)までつとめた。軟式テニスの普及に尽力した。財団法人日本消防協会第二代会長。
瀧野好暁(たきのよしあき):1980年没、国家消防本部長。
松本学(まつもとがく):1886-1974、岡山県に生まれる。東京帝国大学法学部卒業。内務省に入り、神社局長、明治神宮局長、静岡、鹿児島、福岡の知事、社会局長官、1932年(昭和七)警保局長。1934年(昭和九)から1947年(昭和二十二)貴族院議員。新官僚グループ国維会有力メンバー。日本港湾協会会長。世界貿易センター会長。松本は、松井茂の「警察消防貢献五十年記念及喜寿祝賀会」発起人の一人である。
齋藤壽夫(さいとうとしお):1908-1999、静岡県に生まれる。1933年(昭和八)京都帝国大学法学部卒業。大阪府司法事務官、内務省警保局、静岡県民生部長、総務部長を経て、1951年(昭和二十六)から静岡県県知事を4期務めた。1967年(昭和四十二)から衆院議員1期、1971年(昭和四十六)年参院議員に転じ1期務めた。
鹽谷隆雄(しおやたかお):1988年没、神奈川県に生まれる。1948年(昭和二十三)から6年間、警察機構から分離し、自治体消防として発足した東京消防庁の初代消防総監。戦後の地方財政ひっ迫の中で消防界の体制の充実、強化につとめた。東京消防庁消防総監、警視庁消防部長。
伊藤謹二(いとうきんじ):広島に生まれる。厚生次官。日本児童福祉給食会理事長。<br class="auto"/>
東谷傳次郎(ひがしたにでんじろう):1894-1987、1921年(大正十)東京帝国大学法学部政治学科卒業。日本コンクリート工業相談役、飯能ゴルフ倶楽部会長。会計検査院院長。
田中榮一(たなかえいいち):1901-1980、東京に生まれる。1927年(昭和二)東京帝国大学法学部政治学科卒業、内務省に入る。1948-51年(昭和二十三-六)まで警視総監をつとめる。退官後1948年(昭和三十三)衆議院議員となり、連続で6期勤めた。内閣長官官房副長官、通産政務次官、外務政務次官等をつとめた。警視総監。日本武道館理事長。
桑原幹根(くわはらみきね):1895-1991、山梨県に生まれる。東京帝国大学法学部卒業後内務省に入り、内閣東北局長、東京商工会議所を経て1946年(昭和二十一)愛知県知事(官選)東海北陸地方行政事務局長を兼務。1951年(昭和二十六)以降愛知県知事に6回当選、1975年(昭和五十)引退。中京工業圏をつくり上げた。
二荒芳徳(ふたらよしのり):1886-1967、愛媛県に生まれる。1927年(大正二)東京帝国大法科大学政治学科卒業。内務省に入る。静岡県理事官、東宮御所御用掛。1925年(大正十四)から貴族院議員。戦後厚生省顧問。1922年(大正十一)少年団日本連盟初代理事長。1941年(昭和十六)大日本少年団連盟副団長、戦後1949年(昭和二十四)ボーイスカウト日本連盟として再建、顧問、総コミッショナー。伯爵。二荒は、松井茂の「警察消防貢献五十年記念及喜寿祝賀会」発起人の一人である。
新井茂司(あらいしげじ):1980没、初代国家消防庁長官。
木村行藏(きむらこうぞう):1993没、1936年(昭和十一)東京帝国大法科大学法律学科卒業。警察庁近畿管区警察局長。日本善行会副会長。
島津忠承(しまずただつぐ):1903-1990、1930年(昭和五)京都帝国大学法学部卒業。戦前、欧米を視察しわが国に救急車を導入。戦時中は捕虜の世話、戦後は外地からの引き揚げに尽力。1946年(昭和二十一)から19年間、日本赤十字社社長。この間、1933-47年(昭和八-二十二)、貴院議員。結核予防会会長もつとめた。結核予防会会長、日本赤十字社名誉社長、貴院議員。
弘津恭輔(ひろつきょうすけ):1943年(昭和九)東京帝大法学部政治学科卒業。内務省に入り、内閣参事などを経て、戦後群馬県警察部長、警察大学校教頭・校長、東北・九州各管区警察局長、公安調査庁調査第一部長、総理府総務副長官を歴任、1969年(昭和四十四)退官。綜合研究所研究員、国際勝共連合=世界平和教授アカデミー理事、教科書正常化国民会議理事、政治評論家。『共産主義運動の研究』『新しき警察のために』『政治思想史概論』『マルクス・レーニン主義とその批判』『共産主義批判入門』。弘津は、『新しき警察のために』の著者である。その「序」で「新しい警察制度が確立されて以来、警察法や警察制度に付いては多くの有益な著作が公にされたが、警察の本質、理念の問題や警察精神等の問題に付いては、未だ公刊された書物が見当たらない様である」(弘津恭輔『新しき警察のために―國家と警察―』立花書房、1949、3頁)と述べているように『新しき警察のために』は、敗戦後、始めて警察精神に関する問題について書かれた書物であった。いわば戦後警察カルトの新約聖書である。
石井榮三(いしいえいぞう):1907-1994、岡山県に生まれる。1932年(昭和七)東京帝国大学法学部独法科卒業。内務省に入り、東京警察管区本部長、警察庁次長などを経て、1955-58年(昭和三十-三)第2代警察庁長官。全日本指定自動車教習所協会連合会会長。
大園清二:警視庁警務部長。
谷口寛(たにぐちゆたか):1907-1994、三重県に生まれる。東京帝国大学法学部卒業。静岡県警務課長、神奈川県商工課長を経て、内務事務官、警保局、岐阜県経済部長、厚生省軍事保護院職業課長、内閣参事官、奈良県知事、大阪警察管区本部長、国家地方警察本部次長、警察庁次長等を歴任。1954年(昭和二十九)第五次吉田内閣の内閣官房副長官。1958年(昭和三十三)理化学研究所幹事、1963年(昭和三十八)土地調整委員、1969-72年(昭和四十四-七)まで土地調整委員長。1973年(昭和四十八)日本自動車ターミナル監査役。
齋藤昇(さいとうのぼる):1903-1972、三重県に生まれる。1925年(大正十四)東京帝国大学農学部卒業、1928年(昭和三)東京帝国大学法学部卒業。1927年(昭和二)内務省入省、戦後官選山梨県知事、1947年(昭和二十二)ない内務次官から警視総監。1948年(昭和二十三)から初代国家地方警察本部長官。現行の警察法を作り、戦後警察の基礎を築き、自ら初代警察庁長官となった。1955年(昭和三十)に退官と同時に参議院議員となる。以降4回当選。運輸大臣。厚生大臣。警察庁長官。
宮野省三:日本消防協会理事長。
白根竹介(しらねたけすけ):1883-1957、山口県に生まれる。1908年(明治四十一)東京帝国大法科大学政治学科卒業。埼玉、広島、兵庫の知事をつとめ、ゴーストップ事件の調停を行った。1935年(昭和十)岡田内閣の書記官長。1936年(昭和十一)貴族院議員。白根は、松井茂の「警察消防貢献五十年記念及喜寿祝賀会」発起人の一人である。
石田馨(いしだかおる):1885-1959、山口県に生まれる。内務省に入り、警視庁保安部長、京都府内務部長、宮崎、千葉、神奈川の知事、1931年(昭和六)内務省神社局長兼造宮官副使、1936年(昭和十一)警視総監。戦後は弁護士を開業した。石田は、松井茂の「警察消防貢献五十年記念及喜寿祝賀会」発起人の一人である。
