ちゃん付けで呼ばれたい私と呼べなかった夫
わたしは、自分のことを名前で呼んでくれる人が好きだ。そして、名前で呼んでもらうことに強い憧れを持ちつづけてきた。
……というのも実は、自分の旧姓をあまり気に入っていない。
そんなことを言うと実家の家族の顔が申し訳なさげにチラつくけど、お父さんお母さんごめんよ。子どもの頃からずっとそうだったの。
わたしの旧姓は、当時、ある界隈で活躍されていた某さんと同じ苗字。
この某さんのイメージはあまりにも強かった。
それでクラスの男子にからかわれたこともよくあったなぁ。
それから「○○ ○○です」とフルネームを名乗るときに発音しづらいのも地味にずっと嫌だった。
一方、下の名前はクラスに必ず1人か2人、同じ名前の子が存在してきた。
下の名前で呼ぶと誰のことかわからなくなるし、もはや名前よりも苗字のイメージが強かったんだろう。
昔から、どうしてもわたしは苗字で呼ばれがちだった。
苗字にさん付け、苗字にちゃん付け、苗字を呼び捨て。
レパートリーこそいろいろあったものの、だいたい苗字絡みの呼ばれ方をしていた。
中でも、苗字にさん付けで呼ばれることが本当はずっと苦手だった。
今でも同級生に会うとその呼ばれ方をすることになり、やっぱりどこかでショボンとする。
旧姓が好きではないという前提はもちろん大きいとして、私が苗字にさん付けで呼ばれるのが苦手な理由は他にもあって……
それはズバリ、相手との距離を感じるような気がするからだ。
自分がどれだけオープンでいようとも、これ以上縮まらないなにかが存在しているような、仲良くなりたいのになれないような、そんな気持ちになってしまうのが悲しいのだ。
そんな経緯もあって、わたしは名前にちゃん付けで呼んでもらうことが人一倍うれしかった。
ところがである。
出会った当初から結婚するまでずっと、我が夫はわたしのことをなかなか名前で呼べなかった。
「恥ずかしい」というのが理由だったらしいのだが、いちばん名前で呼んでほしい相手に「なぁなぁ」と呼ばれる悲しさったら……
きっとこれを読んでくださっている方も想像しやすいジャンルの切なさではないだろうか。
なぁなぁって。嘘でしょ。彼女だぞ???
それが他の人に対しても同じならまだ100歩譲って許せる。
だが、この男。
あろうことかスイートスイートハニーであるはずのわたしのことだけを「なぁなぁ」と呼び、共通の知人のことは平然と「○○ちゃん」と呼ぶのである。
おいおい!おーーい!!
これを許せる恋する乙女が世の中にいるとでもいうのか。
いるはずがないだろ!
彼女たちがちゃん付けで呼ばれるたびに、わたしの地雷はドッカンドッカン爆発した。
「わたしのことも名前で呼んでほしい」といくら膨れてみても、メールで呼んでくれるのがやっとだった。
「ayamoちゃん」と文面に入っていようもんならもう、そのメールを速攻で保護して寝る前にニヤニヤ見返すくらい、それすらもレアだった。
会話の中であきらかにわたしの名前を出した方が伝わりやすい場面ですら、雰囲気で察してもらおうとする夫に「えっ、誰が?」とわざと質問したりなどもした。
そこまでしてもなんとなくのらりくらりされたり、アイコンタクトで押し通されたり。
なんじゃ、こいつ!
こっちは日々こんなにも愛情表現をしているっていうのに、名前のひとつも呼んでくれないのか!!
名前で呼ばれたいわたしとなかなか呼べない夫の攻防戦は、付き合っていた7年の間ずっと続いた。
今振り返ると若干イタかったかもしれないくらい、夫にゾッコンだったあの頃のわたしでも、そこだけは散々ムキーっ!とさせられてきたものだ。
あれから時は流れ、わたしたちは結婚して10年が経った。
今、夫はわたしのことを呼び捨てで呼ぶようになった。
あんなに恥ずかしがって頑なに名前を呼ぼうとしなかったアレはなんだったんだというくらい、息を吐くように私のことを名前で呼べるようになった。
最近では、混雑している場所で「ayamoー!」と大声を張れるようになったし、わたしの扱い方も攻略しつつある。
甘やかして持ち上げれば簡単に機嫌がとれることに気付いた夫は「○○だね、ayamoちゃん♪」と、ちゃん付けとヨシヨシをセットで繰り出せるまでになった。
わたしは夫に対して、昔みたいに甘えてもいいんだと思えることで、素直になれる日がまんまと増えてきた。
そして結婚して夫の姓になったことで、あまり好きではない旧姓で呼ばれることも、某さんを思い起こすこともずいぶんと減った。
今はママ友だったりSNSだったりの人付き合いが多いけれど、やっぱりちゃん付けやあだ名で呼んでもらえると、もうそれだけでキュンとしてしまう。
名前で呼んでもらえたときの安心感。
わたし個人のことをちゃんと見てもらえているような安心感。
それは心地良い居場所をつくってもらえたような、関係性にマルをもらったような、そんな気持ちになる。
できることなら気さくでフレンドリーな人間だと思われていたいわたしにとって、
呼ばれ方ひとつで、なんだかその願いがちょっぴり叶うような気がしているのだ。
