湯気の向こう側の笑顔に
わたしのいまの肩書きは、ほぼ専業主婦。
ほぼ、と言うのは、一応夫の手伝いもしているからだ。
次男の送り迎えで会う保護者、スーパーの店員さんに配達業者さん。
わたしの小さな日常で会う人はとても、限られている。
小5の長男は不登校になり、2年が経つ。
夫は独立し自分の店を構えて8年、朝から晩まで働きづめだ。
どうしても生活の比重が家事育児に偏ってしまい、「わたし」という容器の中身は、いつも「母」が大部分を占めている。
不登校のせいにするのは情けないけれど、実際のところ長男が不登校になってからというもの、昔のような気力や体力がわたしからなくなっていった。
元気で前向きにいられるときもある。
でも、自分の機嫌を保つ、ただそれだけのことにとてつもなく工夫やエネルギーがいる。
どうしたらこの日々を心穏やかに過ごせるのか。「母」と「わたし」のバランスは、単純なようでいて、難しい。
地元のお祭りなど、顔見知りにたくさん会うかもしれない場所にはあまり行きたくないと思うようになってしまった。
行けば行ったでそれなりには楽しめても、昔のそれとは明らかに違う。
昔は、そういうイベントで誰かに会えることこそが楽しみだった。休みになればママ友と子ども同士遊ばせたり、家族ぐるみの付き合いをしたりした。
あの頃の自分は、もっと自然に笑えていた気がする。
わたしは変わってしまったのかな。
いつも朗らかで楽しい、わたしでいたかった。
そんな毎日の中、どうしても子どもたちをかわいいと思う余裕がなくなってくることもある。
できないところが目について、小言が増えて。だんだんそれが八つ当たりに変わり、大声で怒っては、積もっていた感情が涙になって一気に溢れ出す。何もかもが嫌になり、ソファに沈んだきり動けなくなる。
そんな負のループに入ると、うまく抜け出せなくなる。他でもない自分のことなのに、抜け出し方がわからなくなってしまう。
我が家は夫の帰りが遅い。
週1の休み以外は寝るまでワンオペの日々。
夫は仕事、わたしは家庭。
お互いを尊重しながらそれぞれの持ち場で、ずっと踏ん張ってきた。
不登校の長男は、毎日お風呂に入らなくなって1年以上が経つ。
“お風呂に入るエネルギーすらない”という状況はもう、過ぎてきているのに。
きっと長男としては、ひとりで入るのは怖いけど、わたしと入るのもちょっと…みたいなところじゃないかな、と思っている。
こんなとき、夫が19時には帰ってこられたらな、と思う。
わたしはわたしで、次男とお風呂に入っていても、近頃はついため息をついてばかり。
5歳の子どもにまで気をつかわせてしまい、
静まりかえったお風呂場に「チャプン…」という音だけが響く、シュールな風呂タイムを過ごしていた。
今日もいつものように、わたしが先にお風呂に入り、次男が来るのを待っていた。
すると「おにいちゃんもはいるってー!」という声とともに長男がひょっこり登場。
久しぶりに3人で入ることになった。
ガラガラッ! と勢いよく扉が開く。
裸ん坊のふたりの姿が目に飛び込んでくる。
なんか、裸ん坊の子どもってかわいいよね。
ニコニコしてて、ツルツルでプリプリで。
それが2人並んでいるのを見ていると、なんだか癒されて、自分の頬がゆるんでいくのがわかった。
久しぶりに賑やかな声が響くお風呂場。
「おかあさんが出ると広ーい!」と笑う2人の顔を見て、自然と血が騒ぎつい笑かしたくなった。
とっておきの表情で「残念だったなあ!フハハハハ!!」と浴槽に戻りながら2人をすみっこに追いやると、男子2人はキャーキャー言って大笑いしてくれた。
ホカホカの湯気の向こうで、同じような髪型に同じような輪郭がふたつ並んで笑っている。
(かわいいなぁ)
久しぶりにそんな風に思えたことに、すごくほっとした。
いまはそんな日々の欠片を、ひとつひとつゆっくりと、集めていくしかないのかな。
