あの魔法使いが世界を染めたなら__前__ひねもす
「最近、おじいちゃんがぼけてきたんだ」
休日の混み合ったファミリーレストランにて。実は、と1年ぶりに会う父が切り出したのは隣の市で暮らす祖父のことだった。
僕はそれまで何も聞かされていなかったが、実家には頻繁に電話がかかってくるようで、どれほど話してもすぐに忘れてしまうという。母方の祖父で、元々の性格も相まって基本的には大人しい、が、電話に執着しており、その点は祖母の手に負えない、と。
ドリンクバーのジュースみたいにボタンを押したら慰めの言葉がスルスル出てくる脳みそではなく、すっかり面食らい、和風ハンバーグが喉に引っ掛かる。
今日の大根おろしはやけに目に染みるな、とか、おじいちゃんの記憶に僕は残っているだろうか、とかを咀嚼した。
「父さん、家に居なくていいの?」
よくよく噛んで飲み込み、ようやく口から溢れた期待外れの仕様もない台詞を、父はしっかり受け取って、
「ああ。固定電話が引っ切り無しに鳴るんで、お母さんもお父さんも少し外に出た方が気は紛れる。おばあちゃんなんか『いよいよ介護かしら』って、ショックでしばらく寝込んでたよ」
昼下がりに衝撃を与える。
僕はデザートのガトーショコラを頬張った後、恐る恐る、
「何かできることはないか」
と尋ねてみた。
こうやって気分転換に食事をとるだけでなく、家族として、力になりたくて。
知識こそなくとも自分には純粋かつ真っ直ぐな気持ちがある。
「うーん。じゃ、話し相手というか。まだ景都(けいと)を覚えてるうちに、おじいちゃんと会っておいてくれ」
チーズケーキに手を付ける父の願いに従い、単独で祖父母のもとに向かった。
「あらあら、けーくん。また一段と立派になったわねぇ」
祖母はぼけていなくても毎回、同じ挨拶をする。社会人の孫など、フレッシュな学生のいとこたちに比べれば可愛くない筈なのに、ごく普通な身長の僕を見上げ、
「そんな、まさかぁ。初孫は特別よぉ」
までがワンセットだ。
見慣れた漫才みたいな安定感があり、あまりにも日が当たって黄ばんできたキッチンに立つ祖母の姿は昔のまま、ちっとも疲れをこちらに悟らせず。
だが、縁側に座った祖父の妙に姿勢の正しい背中を眺めると、異変の文字が頭を掠める。

とにかく怖かった。祖父の認知症疑惑、即ち現実と向き合うことが。しかしながら、僕の気配を感じたらしい彼は後ろを振り返ると、にーっと笑う。
本数が保たれた綺麗な歯を見せ、
「景都。久しぶりだな」
と孫の前では(一応)普段通りに振る舞い、僕のためにスペースをあけてくれる。
どんな時でも祖父の隣は落ち着く。そして、この縁側も、和室に置かれて周囲の家具から浮いた黄色いタンスも、彼が作った。
僕が子供の頃からひとつだけ変わらないところを挙げる。
ーー好きな色!
両親は青や黒を使わせたがった。〈男の子の色〉が限られているとはなんと窮屈だろう。
戦隊モノ、魔法少女、どちらもイエローに強く惹かれた。ひょうきん者やムードメーカー等の陽気なキャラクターが僕を待っており、胸が躍る。
出来ればフィクションの世界で生きていたかった。
今でこそカラフルな商品はあれど、四半世紀も前の家具屋に欲しい学習机と椅子のセットがなく、
「アニメのやつはなんで売ってないの」
泣き喚いて大人を困らせる。
すると翌週、日曜大工を嗜む祖父が尚も駄々を捏ねる子供と宥めたり叱る両親を家に招き、
「景都が小学生になる時期に合わせて作った」
と語り、自作のあれを恭しく見せた。
