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昨夜、私は自分を抱きしめた。朝活に考える、身体と世界の境界線

朝活

8月9日、日曜日の朝。
世間はお盆休み。 

部屋のブラインドを押し上げると、湿気を帯びた夏の風が、かすかに土と緑の匂いを運んできます。
遠くにそびえる稜線から差し込む光が、静まり返った部屋をゆっくりと満たしていく。この街が本格的に目覚める直前の、どこか研ぎ澄まされた沈黙が好きです。

昨夜、私は自慰行為をしました。


世間ではどこか暗がりの中に押し込められ、恥じらうべきものとして語られるこの行為。
けれど、私たちはその「手ざわり」について、どれほど真摯に向き合ったことがあるでしょうか。単なる生理的欲求の処理? それとも、誰にも言えない後ろめたい習慣?

私は少し違うと思うのです。
私にとって昨夜のそれは、もっと静かで、ひどく鮮烈な「自己との対話」でした。

指先が自分の肌をなぞる瞬間、そこに立ち現れるのは、誰の介入も許さない私だけの密やかな宇宙です。

他者とのセックスが「境界線を溶かし、他者とひとつになろうとする果てしない試み」なのだとしたら。
自慰とは、「自分と世界との境界線を、よりいっそう鮮明に引き直す行為」なのではないでしょうか。

誰かの欲望に応えるための身体でもなく、他者の視線に晒される客体でもない。ただ「私」という存在が、ここに確かにあるという生々しい事実。

そのあまりに圧倒的な「個」の質感に、私は少しだけめまいを覚えるのです。

今、窓の向こうに広がる日常の風景を見つめています。

昨夜の閉ざされた濃密な部屋と、今、目の前に開かれている果てしない世界。この二つは決して断絶しているわけではなく、私というひとつの身体の中で、確かに地続きになっています。

自分の輪郭すら深く知らない私たちが、どうして他者の輪郭に触れ、その身体を心から理解し、愛することなどできるのでしょうか。

ねえ。あなたにとって「自分の身体に触れる」とは、どんな意味を持ちますか?

完成された答えなんて、どこにもありません。
ただ、この問いを胸の奥に潜ませたまま、今日の扉を開けてみてください。

言葉という橋を渡って、またここで会いましょう。


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