体育会ラグビー部だった僕が令和生まれの息子に伝えたい「男らしさ」
この夏、君が生まれた。
第二子なので、抱っこもミルクもおむつ替えもなんでもござれ。パパは何も不安などない。
そう思っていたけれど、生まれて間もなくコッソリと前言を撤回した。
なぜなら、君が力強く反りながらパパの抱っこを蹴破ろうとした時、長女にはなかった「男」の子を感じたから。
そんなことは当たり前かもしれない。だが、その当たり前への向き合い方をどう伝えるかにパパは不安を覚えたのだ。
パパがこれまでの世代や環境から受け継いだ男らしさに違和感を覚えてきたように、ともすると、パパがこれから伝えたいことが君の時代においては違和感になるかもしれない。ただ、そうなったとしたらその時は「パパは古いね」と笑い飛ばして欲しい。
君よ、男は弱くてもいい。
パパは大学までずっと体育会系だった。ラグビーと柔道をやっていた。世代で言えば昭和の価値観がまだまだ色濃い平成初期だから、弱みを見せずに勝ちにこだわることを良しとするマッチョイズムの渦中にいたと思う。
その中では男同士でつるんで、ゲスな話や行いをすることで絆を深めるといういわゆるホモソーシャルな場面もたくさんあった。当時はあまり深く考えることもなく、そういうものとしてその場を楽しんでいたように思う。
一方で常に居心地の悪さがまとわりついていた。それがなんだったのかは今となってはわかる。
それは自分も他者も大切にしていなかったということだ。
男同士での見えない序列と強さの誇示のために他者も自分もないがしろにしてしまっていた。全ての人はフラットで、全ての人にリスペクトがあるべきだった。けれど、序列の中にある「男らしさ」はたいてい筋骨隆々で、暴力的で、無意識的に誰かを萎縮させて平伏させる。
もしかしたら組織の和を乱すことを恐れて意図せずその男らしさに同調してしまうこともあるかもしれない。もしもそんなことが君にもあったとしたら、表に出せなかった自分の感覚をずっと抱きしめ続けて欲しい。いつかその感覚が言葉で整理できる時が来るはずだから。
社会や誰かが決めつけた男らしさを横に置いてフラットになると、いかに自分が見えない何かにとらわれていたかが見えてくる。人それぞれが大切にする土俵と正義があることに気づいてくる。そして、そこへの分かり合えなさにもがき、悩むこともあるだろう。
その時は、もしよければパパに話して欲しい。そして「パパは古いね」と言いながら君の生きる時代を教えて欲しい。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでいただきありがとうございます!
執筆の励みになりますのでもしよろしければサポーターになってくださると幸いです!!😊