表現しきれない大人たち
表現することに飢えてたんだと思う。
3か月前にポッドキャストを始めた。
毎週1回の配信。
これまでで14回分を配信した。
これが、
楽しくて、楽しくて、楽しくて仕方がない。
今のところ。
ジャンルは一応『映画レビュー』。
大学の映画学科監督養成コースに通う息子との対話形式。
毎週一本映画を選んで、その作品について親子で語り合う。
「リバー・ランズ・スルー・イット」
「フォレスト・ガンプ」
「エディントンへようこそ」
「セッション」
「ターミネーター2」
新旧の気になる映画たち。
珠玉のストーリー。
卓越した演出。
思い出の物語。
息子は、
大学で学んだ専門的な切り口でその作品を解説してくれる。
Z世代の一人として、氾濫する情報の中で育った一人として、自分の目に映るものを聞かせてくれる。
そして、父親の偏った”癖”にピリリとした指摘をしてきてくれる。
父は、
公開当時の思い出や世相を語り、
メタファー、社会風刺なんかを頑張って言葉にし、
息子と同じものを見つめながら、違うものが見えている。
映画論が社会論になり、
社会論が世代論になる。
上手く行くこともあれば、行かないことも。
でも、
楽しくて、楽しくて、楽しくて仕方がない。
今のところ。
大人は、
それぞれの会社で、職場で、毎日自分を表現しているのではないのか?
うーん、
答えは Yes だ。
でも、その『表現』とは正解を追い求める『表現』。
キャッチャーが構えたコースに、指示された球種を投げ込むという『表現』。
経験を積めば積むほど、より的確なボールを投げることができる。
何度も投げれば投げるほど、正解の確率は上がる。
でも、自分を『表現』しているという手応えは薄れて行く。
それは、本当に”俺”の表現なのだろうか。
いつの間にか、
表現しきれない大人になっていたのかも知れない。
表現することに飢えてたんだと思う。
