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小説「オオタニ投票に行くらしいで」というポストから風は吹き始めた

「オオタニ投票に行くらしいで」というポストから風は吹き始めた

最初にそれを見たのは、朝の通勤電車の中だった
七時二十三分
吊り革を握りながら、誰かが何気なく流したポストだった

「オオタニ投票に行くらしいで」

SNS

それだけだった
画像もリンクもない
真偽不明
関西弁なのか、ただのノリなのかもわからない
いいねはまだ三桁にも届いていなかった

だが、記録をたどると、ここが起点だった

昼にはまとめサイトが拾い
夕方にはテレビ局のワイドショーが「ネットで話題に」と字幕をつけ
夜には識者が「影響力のある人物の政治参加」と言い換え始めた

当人は何も言っていない
どのオオタニかも、誰も明言しない
それでも人々は、勝手に一人の顔を思い浮かべた

「行くらしいで」という、断定を避けた言い回しがよかった
信じたい人だけが信じられる
否定したい人は「らしい」で逃げられる
責任の所在が霧の中に消える、日本的な余白だった

総務省の若手職員は後にこう証言している

「公式な動きは何もなかったです
でも、投票所の問い合わせが増えました
本人確認はどうなるのかとか
ああいう人はどこで投票するんですかとか」

彼は言葉を選びながら、苦笑いを浮かべた

「誰も名前を言わないんですよ
でも、全員が同じ人を想定してる
それが一番、怖かったですね」

街頭インタビューの映像が残っている

投票、行きますか

「行きますよ
だって、あの人も行くらしいって言うやん」

誰のことですか

「いや、だから、オオタニさんやろ
みんなわかってるやん」

カメラは深追いしない
わかっていることになっている
それで十分だった

SNS上では、微妙な変化が起きていた

「オオタニが行くなら俺も」
「オオタニも国民やしな」
「政治の話してええ空気になった気がする」

誰も政策を語らない
誰も政党名を出さない
ただ「行く」という行為だけが、コピーされていった

専門家はこれを
「象徴の自律的増殖」と呼んだ

象徴は、本人の意思から切り離され
社会の都合で動き始める

選挙前日
例のポストの投稿者は、アカウントを非公開にした
理由は不明
削除もされていない

スクリーンショットだけが、拡散し続けた

「最初は冗談でした」と
彼が後に語ったかどうかは、確認できていない

確認できないことが、この物語では重要だった

投票日
各地の投票所で、例年より若い層の姿が目立った

投票所の出口で、ある女性が言った

「誰に入れたかは言えません
でも、行ったことは言えます
それだけで、ちょっと誇らしい」

なぜ誇らしいのか
彼女自身も、うまく説明できなかった


開票速報が流れる中
当のオオタニ本人は、いつも通りの生活を送っていたとされる

投票に行ったかどうか
公式な発言は、最後までなかった

それでも、投票率は上がった
わずか数パーセント
だが、確実に

後日、ある新聞はこう書いた

「誰かが行ったらしい
その曖昧さが、人々を動かした
これは情報操作ではない
空気の自己発火だった」

風は、確かに吹いた
だが、誰が起こした風なのか
最後まで、特定されることはなかった

いまでも、あのポストは残っている

「オオタニ投票に行くらしいで」

SNS

それは事実ではないかもしれない
だが、結果だけは、記録として残った

人は、確かな言葉より
信じやすい曖昧さに動かされる

そして民主主義は
そうした小さな、いい加減な一言から
ときどき、更新されてしまう

誰にも頼まれていないのに
誰の責任でもないまま

風は
もう一度、吹くかもしれない

そのときも
きっと、誰かが言う

「らしいで」

それだけで、十分だからだ

これは小説です。
でも、このオオタニはあなたかもしれない!💞



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