ひとりぼっちの年越しの思い出と人生のテーマ
20代の頃は帰る実家がないこと、頼れる親類がいないことが不安で寂しかった。
毎年一緒に年越しをしていた友達にはそれぞれ家族ができ、わたしは自分の実家に帰省出来るわけでもなく、恋人も一緒に過ごしてくれない、本当にひとりぼっちの年末年始が何度もあった。
その度に本当に惨めで侘しかった。
まあいいか、一人でも楽しめる、とホームベーカリーで餅をついてみて、めちゃくちゃドロドロに仕上がったりした。
元旦もやっているという近所の本屋に行って、おとなの科学の万華鏡の号を買った。結局組み立てなかった。
SNSを見ればみんな帰省して実家で正月料理を食べている。
わたしは自分一人のために作ったお煮しめに鶴の飾り切りのかまぼこを添えて食べる。
ちょっと煮込みすぎて柔らかい。
え!?改めて文字にしたらやっぱりこんなお正月可哀想すぎない!?
まあでもこんなに悲壮感漂っていた頃に比べれば、今ではもう本当に、全く寂しくなくなってしまった。
怖いほどに一人でいいのだ。
ChatGPTにきいてみたら、
「もう悲しい思いをしたくないという防御本能です。『また誰かと過ごしてもいいな』という気持ちになるまでゆっくりして大丈夫。」
みたいなことを言われた。
そうかもしれないし、やっと自分の足で立つことが出来たのかもしれないとも思う。
幼少期から家庭が終わっていて、恵まれていない、みんなに当たり前にある環境がわたしにはないとずっと悲観し、羨み、憎んでいた。
でももう30代も後半戦になればそんなことは関係なくなってくる。
自分自身がどう進むか、自分が何を選ぶか。
やっとそれを真っ直ぐ見られる時が来たという感じがする。
満たされなかった10代、家族という後ろ盾がないことが心底辛かった20代、段々と一人が楽しくなった30代。
こんな背景を背負いながらなんとか一人で暮らすことが、もうわたしの人生のテーマなのだろう。
結局こんなに誰かと縁がなかったのも、いまそれをわざわざ探しに行こうという気にならないのも、わたしの人生に定められたテーマが"一人"なんだということで納得した。
孤独であるけど寂しくはない。
パートナーがいたら家賃が半分になるなあと思うくらい。
でもこんな風に求めず飾らず過ごしていく中でもしも何かご縁があれば、それはそれだねと思っています。
誰かを羨んだり、自分の境遇を呪ったりすることはもうほとんどない。
自分に集中するだけ。
今興味のあることは節約だよ。
どんなに稼いでいる人がいようと、どんなに幸せそうな家族がいようと、羨んでも仕方のないこと。
もし羨んだとして、自分がそれを本気で掴みに行こうと思わないのであれば自分に必要なものでないのだと思う。
こう思えたのは多分、どこにも属さず個人事業主になったから。
会社に勤めていた時は、誰が結婚した、彼氏ができた、子供を望むならあと何年でいい人見つけなきゃ、そんな話題ばかりで実際に焦らされたし、自分が何を選びたいか全くわからなくなっていた。
自営はマジで楽じゃないが、わたしはこれでしか生きられなかったと思う。
人生のテーマがわかったので、このnoteを動かし始めた。
寂しくなくても孤独を分け合うのは本当に大切なことだと思う。
本当なら70歳とかになってもみんなでたまに集まってお茶したいけど、一旦ここで「おっ、孤独な人がいるな」と思って安心してくれたらうれしいです。
今日もいい睡眠のために湯に浸かってえらかった。
また明日も各々頑張りましょう。
おわり
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