『プロジェクト・ヘイル・メアリー』とカナダには、どんな共通点があるのか。
私が思い出したのはロッキー・マウンテニア号だった。ガラス張りの展望車両でブリティッシュコロンビアからカナダ横断へと続く景色を眺めながら、静かな時間とグルメの食事を楽しむ長距離列車。いまは国土の多くが悲しいほどに燃えているけれど、それでもこの旅は価値がある。長く、穏やかで、どこか内省的な時間。身を任せ、旅の長さを受け入れ、流れていく風景に心を預ける。
日本の読者にも馴染み深い「ゆっくりと景色を味わう旅」の感覚が、この映画にも通じている。
この映画は、まさにそんな旅のようだった。
長い。途中で二つに分けて観る必要があるほど長い。そして列車と同じように、常に滑らかというわけではない。映像は揺れや身体の動きに合わせたカメラワーク、突然の閃光など「動き」を強調している。激しい場面では、跳ねる映像とストロボの光が視覚的な負荷を生む。圧倒されるほどではないが、旅に固有の「身体感覚」が確かにある。
別の観点では、「信じる力を働かせる」という表現がある。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にはそれが必要だ。『スター・ウォーズ』のように非現実が前提になっているわけではない。しかし、完全なハードSFでもない。機構、生命科学、航行技術など、いくつかの要素は受け入れる姿勢を求めてくる。そして、ジュニアハイスクールの理科教師がほぼすべてをこなし、宇宙船の操縦まで担うという設定にも同じ姿勢が必要だ。不可能性を一つひとつ数え始めれば、旅は脱線し、楽しめなくなる。物語に空間を与えたほうがいい。
もっとも驚いたのは、作品の「語り口」だった。地球を救う物語には、緊張や重圧、切迫感がつきものだ。しかしこの作品は違う。もっと静かに動く。『パッセンジャー』に近いのは、物語ではなく空気感だ。信頼、孤独、寄り添い、人間の心の在り方を静かに描く。重すぎず、しかし軽くもない。
映画にはいくつかの驚きがある。私は意図的に触れない。ネタバレは体験を損なうし、知らずに観たほうが確実に響く。私自身、何も知らずに観て、思いがけない瞬間に出会えた。

旅は長い。ペースも長く、時に揺れ、時に光が瞬く。しかし温かく、思索的で、演技も確かで、適度に信じられる世界がある。そしてロッキー・マウンテニア号と同じように、ただ景色を眺めるような静かな時間がある。宇宙という「車窓」がゆっくりと流れていく。
最後には、穏やかな気持ちになった。結末がどうこうではなく、この作品が大切なことを思い出させてくれたからだ。旅は完璧である必要はない。どこかへ連れて行ってくれて、窓の外を眺める時間を与えてくれるだけで、十分に価値がある。
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