諫早大水害から69年。忘れてはいけない未曾有の出来事
今日7月25日は、今から69年前、昭和32年に発生した諫早大水害の日です。
死者・行方不明者630名。
これは国土交通省で残っている記録ですが、本当はそれ以上の犠牲者がおられたのではないかと言われています。
69年前の7月。
22日頃から、数日降り続いた雨が24日から酷くなり、25日の夕方、上流にある多良岳の山々で土砂崩れが発生。
その土石流が諫早の町まで勢いよく流れ込んできました。
土石流の中には、大きい流木がいくつもあり、四面橋や眼鏡橋に引っ掛かりました。
それが水をせきとめ、逃げ場をなくした大量の水が夜遅く暗くなった諫早の町をのみこんでいきました。
諫早市は実は早めに危機を察知し、3回ほど避難警報のサイレンを流していたと当時の諫早市長の手記に記録が残っていました。
しかし、その音は勢いよく降り続く雨音でかき消され、3回目のサイレン発令と同時に諫早市は停電。
その数秒後間もなく、市役所には大量の水が押し寄せてきたそうです。
私が今まで、諫早大水害を経験された皆さまから取材をさせていただき、必ず共通したことを言われます。
「水は『あ!』という間もなく、押し寄せてきた。何かをもって逃げる瞬間さえも、くれなかった」と。
数時間後に水が引き、町は見るも無惨な姿になりました。
そこからの被害に遭われた方々の捜索は、かなり難航したといいます。
ご遺体が見つかっても、直視できるご遺体は多くはなかったと皆さま仰っていました。お顔の判別さえつかず、途方にくれたと。
その中で、ある方はご友人を見つけることができました。
それはなぜわかったのか、お聞きしたら「夏休み前に、学校でベルトのつけるアクセサリーを自慢されたんだよ。それがとても綺麗でね。印象に残ってた。だからすぐにわかったんだよ」と仰っていました。
また他の方は「たぶん、20代の若い女性で、お尻が綺麗に丸見えで、頭は瓦礫の中に突っ込んだまま亡くなってたんだよ。たぶん、水の勢いで服が身体から抜けたんだろうね。若い女性のだから、綺麗でね。こどもながら、やけに印象に残ってた。」
とも。
その時の話をされる時の表情は、悲しいとか怯えとかそんなことはなく、無表情で淡々と話されてたお顔が強く印象に残りました。
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毎年、諫早市では7月25日は川まつりが開催されています。
日本一、短くて悲しいまつりとも言われ、たった30分しか開催されません。
その理由は私は定かではありませんが、いつか書けたらと思っています。
別の取材の時に、ある市役所職員の方から、7月25日はいつも一本の電話対応に追われていたお話をお聞きしました。
「わたしはね!7月25日は大嫌いだよ!」
から始まる方。
「この日は私の家族の命日なんだよ!悲しいのに。なのになんでまつりをして、楽しんでいるんだ!?なぜ花火をあげるんだ!?」
と同じ方から電話が毎年かかってきたそうです。
その方が黙って話をきいて、一通り話が落ち着いた時に、ご自身も水害経験者であることを伝えると、気持ちを落ち着かれ「話を聞いてくれて、ありがとう」と言って電話を切られていたそうです。
「もう毎年、かかってくるんだよ。『またか』ってすぐ分かるんだけど、電話は仕事上でないといけない。無視するわけにもいかないんだよ。だけど、その人の思いは無視できないじゃない。気持ちは分かるから」
ともその取材した方は言われていました。
私たちは今だからこそ、昔の経験を活かし、行動しなければならない時期にきていると強く感じています。
これからも、本明川ダムの話と一緒に諫早大水害の記憶を伝えていく義務もあると思っています。
今日は諫早市は賑やかに、だけど追悼の一日につつまれます。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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