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忘れられない贈り物

 私は大学生の時に京都に住んでいました。女性関係はテンでダメでしたが、その他は典型的な堕落した学生生活を送り、五年かかって大学を卒業。地元で就職を果たしました。

 就職してからしばらく経って現実に打ちのめされ始めた時のこと。

 京都で下宿していたアパートの大家さんから荷物が届きました。なんだろう、と思い開けてみると、中には清水寺の絵が描いてある湯飲みと一筆、メッセージが入っていました。おそらくアパートに下宿した学生達に好意で記念に贈っていたものだと思います。

 そこまで大家さんと親しいわけでもなかったので、最初は「ふむふむ」という感じでしたが、湯呑みなので日常に溶け込んできます。ふとした瞬間にその湯呑みが目に入り「ああ俺は京都に住んでいたんだな」と思い出すのです。その湯呑みを使うたびに、学生時代の楽しかったことを色々と思い出すのです。

 湯呑みを頂いてから日が経つにつれて私はその湯呑みの価値に気づきました。この湯呑みのように、その人の思い出を封じ込めたような贈り物。現実と思い出を結ぶカスガイのような役目を果たす贈り物。これはそういう贈り物だと思いました。時間が経てば立つほど、思い出が美化されればされるほど、この湯呑みはとっても素敵な贈り物だと感じるようになりました。

 それ以来、私は誰かの送別品などには湯飲みを贈るようにしています。県外に出る人には、その土地の有名な風景が描いてある湯飲みなどを贈ったりもしました。沼津にいる時は、なかなかその土地ならではの絵が描いた湯呑みがないので探すのに苦労したりもしたこともあります。

 そんな中、会社で私が一番お世話になった方が定年されることになりました。何か喜んでもらえる贈り物をしたいと思い、やっぱりそれには湯呑みだろうと思いました。

 しかし、定年のお祝いなので、何か風景が描いてある湯飲みというわけにはいきません。試行錯誤した結果、焼き物がいいのではないかと思いました。色々調べた結果、投げても壊れないように作られているというところがその人っぽいなと思い、備前焼がいいなと思いました。

 あちこち探し回りました。三嶋大社ではたまに骨董市などをやっているので、そこにも出向いてみたりもしました。いい備前焼が売っていましたが、それを創った人が販売しており、どうもその創った人が少し気が合わなそうな感じの人で、そうなってくると、この備前焼もなんだか嫌な焼き物に見えてきました。作品に罪はありませんが、誰が創ったかにも作品って左右されるんだなと、このとき学びました。

 そんな話はさておき、色々探し回った結果、無名な作家ではありましたが、1個だけ妙にかっこいい備前焼を見つけました。それをお世話にになったその方に贈りました。日常でご使用にになられてるかはわかりませんが、もし、その方の日常にその備前焼が溶け込んでいて、たまに私のことを思い出して「あんなやついたな」と思い出してくれていたら嬉しいなと思うのです。

#忘れられない贈り物

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