夢かもしれない
最近、noteのメンバーシップについて考えている。考えれば考えるほど掴み所がなくてよくわからない。
読み放題や定期購読の様でもあるし、オンラインサロンの様でもある。自治体の様でもあるし、サークルや学校の様でもある。免許を持っていなくても、それに近いことができるし、やり方次第で形はいかようにもなりそう。
このサービスが始まったのが2022年。どこまでのことをこのメンバーシップで出来るかが、まだわかっていない段階なのだろう。
その未知の面白さがここにはあって、実はかなりの可能性を秘めているのかもしれない。
というのもnoteのメンバーシップはプラットフォームの中の仕組みとしては世界的に見ても前例がないのではないかと思うのだ。
やり方次第では、純国産のnoteが、X、Instagram、YouTube、それらの世界的巨大コンテンツを飲み込む可能性を秘めていると思う。
さらにnoteのグロースモデルは世界各国どこの国でも適用できるシステムでもある。
この2つを踏まえて、もしnoteが世界規模のプラットフォームになるとしたらテキストベースであるがゆえの強みが、かなり活きてくると思うのだ。
今はAIの翻訳がかなり進み、テキストで書かれた文章はすぐ翻訳が可能だ。例えばケニアで坂本龍馬について知りたい青年がいたとして、noteで検索すれば、すぐ勉強することができる。記事さえあればそれが可能なのだ。
例えばガザやウクライナの市民が書いたnoteを支援したりもできる。日本では知ることができない現状を知れて、なおかつ直接支援もできるという循環が生まれるかもしれない。そしてそれを世界中で巻き起こせるのではないかと思う。
例えば北朝鮮やロシアの市民だって書きたいことを書けばいい。
人類が言語や国境を超えて、ただただ書きたいことを書く。知りたいことを知る。そういうノーボーダーなプラットフォームが出来上がる気がするのだ。
知の巨人ドラッカーは言う。20世紀に失われてしまったものは思いやりのあるコミュニティだと。その失われた大切なものをnoteがこの21世紀に取り戻すきっかけになるかもしれない。
なんて、これは夢物語だ。でも忌野清志郎さんが言ってくれる。
「夢かもしれない。でも、その夢を見ているのは、君ひとりじゃない。仲間がいるのさ。」
「ほら、ここにいるぜ!」
※ヘッダーは分析ママさん作。

