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「150%の自分」は本当の自分か?【後編:格差と強制編】

 前編では、スマートドラッグが個人のアイデンティティをいかに侵食し、「本当の自分」という土台を揺さぶるかについて考えた。

 だが、この問題の根は個人の葛藤だけに留まらない。もし、この技術が「持てる者」と「持たざる者」の差を決定的にし、社会全体に「使わなければ負け」という無言の圧力を生むとしたら——。

後編となる今回は、技術がもたらす社会構造の歪みと、その過酷な競争の中で私たちが守るべき「人間としての尊厳」について切り込んでいきたい。

ショートストーリー💫透明な防護服

 月曜日の朝。オフィスに向かう満員電車の中で、佐藤は周囲の視線に「色」がついているような錯覚に陥っていた。
 隣でタブレットを叩く若手社員の、異常に速い指の動き。向かいに座る競合他社のバッジをつけた男の、一切の無駄がない眼球の動き。彼らも「使っている」のではないか。そう考えた瞬間、喉の奥がカラカラに乾くのを感じた。

 「使わなければ、置いていかれる」

 それはかつて感じた「有能になりたい」というポジティブな欲望ではなく、戦場で自分だけが防護服を脱いでいるような、剥き出しの恐怖だった。

 出社してすぐ、佐藤はかつての恩師であり、今は研究を退いた老教授の言葉を思い出していた。学生時代、物理の難問にぶつかり、自分の無力さに泣きそうになっていた佐藤に、教授は穏やかにこう言ったのだ。

「佐藤君、理解できないという苦しみこそが、君を次のステージへ運ぶ。効率でその苦しみをスキップしてしまえば、君は『答え』には辿り着けても、本当の意味での『知性』には辿り着けないよ」

 その時、教授の傍らには、佐藤を励まそうと集まった友人たちの笑い声があった。

 今の佐藤の手元には、完璧な効率と、それを維持するための圧倒的な孤独しかない。彼は震える手で、引き出しの奥にある「白い錠剤」を、今一度見つめ直した。

💫佐藤が感じた恐怖は、個人の問題を超え、今や社会全体のOSを書き換えようとしている。私たちはいつから、効率という名のベルトコンベアから降りることができなくなったのか。

「能力クジ」を薬で書き換えられるか

 私たちは皆、生まれ持った資質という「能力クジ」を引いて生まれてくる。数学のセンス、集中力の持続時間、ストレス耐性。こうした運に左右される不平等を薬で是正できるなら、それは一見、公平な社会への「福音」のように思える。だが、現実はより冷酷な格差を生み出す可能性が高い。

 すでに教育現場では、親の年収と子どもの学力との強い相関が指摘されて久しい。高額な塾やカリスマ家庭教師を利用できる家庭の子どもが有利になるように、最新のエンハンスメント技術もまた、潤沢な資金を持つ層から順に普及していくだろう。もし「知能」や「集中力」までもが富によって買える商品になれば、経済格差は「生物学的な格差」へと固定化され、社会の階層移動は今よりもさらに困難なものになる。それは格差の是正ではなく、格差の「不可逆的な固定」を意味するのではないか。

「自由」を奪う同調圧力の正体

 さらに深刻なのは、薬を使う自由が、いつの間にか「使わない自由」を奪っていくプロセスである。
 私の講義の受講生は、切実な不安をこう吐露している。

「自分は、同調圧力に負けて使ってしまいそうです。自分だけが使わないことで、不利になってしまうことは受け入れがたいです」

 この言葉こそ、現代のビジネスパーソンが抱える恐怖そのものである。もし周囲のライバルが皆、スマートドラッグで150%の出力を出し続けていたら、素のままの自分で挑むことは「怠慢」や「努力不足」とみなされないだろうか。

 かつては個人の情熱や工夫の範疇だったものが、技術によって「当然の前提(ベースライン)」へと引き上げられる。こうして過熱した競争の中では、安全な用法さえも無視され、心身を削ってでも成果を出すことが「暗黙の強制」となっていく。誰もがドーピングを前提とした土俵で戦うとき、そこにあるのは自由な選択ではなく、止まれば振り落とされる高速のベルトコンベアに乗るための、必死のしがみつきでしかない。

効率の先に何を残すのか

 では、私たちはこの加速し続ける効率化の波に、どう抗えばよいのか。別の学生は、物理と数学に苦しんだ自身の経験を振り返りながら、一筋の光を投げかけてくれた。

「私は実際、高校の時、思うように成績が上がらず苦労した時期がありました。それでも先生や友人に支えられ、苦手を武器に変えられた。その時の喜びは、何物にも代えがたいものです」

 この「喜び」こそが、効率化によって最も削ぎ落とされやすい、人生の本質である。スマートドラッグは目的地へ瞬時に運んでくれる魔法の杖かもしれないが、その過程で出会うはずだった他者とのつながりや、失敗から学び直すことで育まれる強靭な自尊心を、根こそぎ奪い去ってしまう。

 学びや仕事の本質は、単なるアウトプットの量ではない。「できない」という欠落感を抱え、もがき、他者の助けを借りながら、一歩ずつ自分の足で歩みを進める。その不器用で遠回りなプロセスこそが、その人をその人たらしめる。

 技術はこれからも進化し続け、私たちに「もっと有能になれ」と囁き続けるだろう。だが、私たちが本当に守るべきは、効率的なスペアパーツとしての自分ではなく、不完全ながらも自らの経験を血肉にしていく「人間」としての尊厳であるはずだ。

 あなたは明日、どちらの道を選ぶだろうか。薬による「150%の成果」か、それとも不格好でも「自分の足で歩む100%」か。その選択の一つひとつが、私たちの未来の姿を決定づけていくのである。

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