第9話 キーマンとの面談
クラブを変えるのは、監督じゃない。
最後に変えるのは、ピッチの中の“基準”だ。
黒川玲司がアトレティコに来る。
その事実がどれだけ新しい風を起こしても、ロッカーの空気を決めるのは、結局、選手たちの中心にいる人間だった。
キャプテン。
副キャプテン。
久我隼人は、それを誰よりも分かっていた。
だからこそ、黒川と二人で“最初に会う相手”を決めた。
チームのキーマン——
渡部洋和と、熊谷亮だ。
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面談は、クラブハウスの小さな会議室で行われた。
テーブルの上には、三つのものが置かれている。
一つ目。
チーム理念を書き込むための白紙。
二つ目。
目標管理シートのひな形。
三つ目。
今季のロードマップ。
隼人が先に二人を迎え入れた。
渡部洋和。
34歳。188センチ。CB。
長身で、静かで、目が鋭い。
神戸を退団し、最後は地元でプレーすると決めて、赤に来た男だ。
熊谷亮。
27歳。副キャプテン。ボランチ。
青森山田で全国制覇を経験し、大学を経て福島へ。
そこから赤に来た。
走って、奪って、支配する。
代えの利かない、中盤の心臓。
二人とも、隼人にとっては“信用できる選手”だった。
ただし、今日の面談は、信用の確認ではない。
黒川は椅子に座ったまま、最初から言った。
「今日は、お願いをするために呼んだんじゃない。
基準を伝えるために呼んだ」
渡部が短く答える。
「……聞きます」
熊谷も頷いた。
「はい」
その返事だけで、隼人は少し救われた。
この二人なら、話が通じる。
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黒川は白い紙を一枚、渡部の前に置いた。
「キャプテン。まず、これを決める。
チーム理念だ」
渡部が眉を動かす。
「理念、ですか」
黒川は淡々と言った。
「理念がないチームは、勝っても崩れる。
逆に、理念があるチームは、負けても戻れる」
隼人が言葉を足した。
「会長の条件でもある。
“地元を捨てない”こと。
勝つために地元を捨てたら、クラブを作った意味がないって」
渡部は一度だけ目を伏せ、頷いた。
「分かります。
地元でやると決めたのは、自分なんで」
黒川は続ける。
「ただし、“地元だから使う”はなしだ。
地元の選手でも、基準に届かなければ使わない。
例外は作らない」
熊谷が、ほんの少し笑った。
「それ、好きです」
黒川は間髪入れず、次の紙を差し出した。
「次。これが本題」
目標管理シートのひな形だった。
黒川は言う。
「全員に書かせる。
目標を持って、選手としてプレーするためだ」
隼人が補足する。
「数値も入れる。
出場時間。
走行距離。
スプリント回数。
デュエル勝率。
空中戦勝率。
パス成功率。
それだけじゃない。
生活面も対象にする。
睡眠、食事、勤務態度」
熊谷がシートを眺めながら頷いた。
「青学みたいですね」
黒川は一言だけ返した。
「青学は、“習慣”で勝ってる。
サッカーも同じだ」
渡部が静かに尋ねる。
「……全員が書いたあと、誰が管理するんですか」
隼人が答えた。
「笠原がデータで管理する。
黒川監督と俺が確認する。
そして、君たち二人が“文化”として現場に落とす」
渡部は少しだけ息を吐いた。
「責任、重いですね」
黒川が淡々と言った。
「キャプテンだからな」
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黒川はロードマップを指で叩いた。
「今年の目標は三つ。
曖昧にしない」
隼人が声に出して読み上げる。
「東北社会人1部リーグ優勝」
「地域チャンピオンズリーグを勝ち上がり、日本フットボールリーグへ昇格」
「天皇杯・山形県予選を勝ち抜く」
紙の上に並ぶ言葉は美しい。
だが、美しいだけでは達成できない。
黒川は言った。
「これを“夢”にしない。
タスクにする。
毎週、何を積み上げるのか。
毎試合、何を取り切るのか。
そこまで落とせない目標は、ただの看板だ」
熊谷が真っ直ぐに言った。
「やれます。
俺たちが、基準を作ればいい」
渡部も続いた。
「守備は任せてください。
基準を下げるやつは、俺が止めます」
その瞬間、隼人の胸の奥が熱くなった。
この二人がいる。
この二人が、黒川の基準を“チームの文化”に変えていく。
それだけで、来季は違う。
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黒川は最後に、二人にだけ伝えた。
「これから、嫌われる仕事が増える。
基準を守るっていうのは、全員に優しくすることじゃない。
できていないものを、できていないと言うことだ」
渡部が答える。
「分かってます。
でも……優しさで残留するより、
厳しさで優勝したい」
熊谷が笑った。
「それ、最高ですね」
黒川は頷いた。
「じゃあ、始める」
隼人は立ち上がり、二人に頭を下げた。
「頼む。
このクラブを、
“残るチーム”じゃなく、“勝つチーム”にしてほしい」
渡部は短く言った。
「やりましょう」
熊谷も続いた。
「優勝、取ります」
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面談が終わったあと、隼人は廊下に出た。
窓の外のグラウンドは、まだ暗い。
それでも暗闇の中で、ピッチの白線だけは、はっきりと浮かんでいた。
“基準”は、もう置かれた。
だが、基準は置くだけでは意味がない。
毎日守り、
外れた者を戻し、
時には、仲間に嫌われながら貫かなければならない。
その役目を、渡部と熊谷は引き受けた。
隼人は、暗いピッチを見つめながら、心の中で呟いた。
——今年は、残留で終わらせない。
赤いクラブの基準は、
監督の言葉から、選手たちの手へ渡った。
