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第10話 始動


「やる気のあるやつだけ、残れ」

新監督・黒川玲司が、選手全員に最初に突きつけた言葉だった。

まだ、一度もボールを蹴っていない。

それでもその瞬間から、
アトレティコ米沢シティFCの新シーズンは始まっていた。



オフシーズンが終わり、年末年始が過ぎると、空気が変わる。

雪の匂いの奥に、わずかに芝の匂いが混じり始める。

1月5日。

アトレティコ米沢シティFCは、新シーズンの始動日を迎えた。

クラブハウスの駐車場に、車が一台ずつ増えていく。

契約更新を終えた選手。
新たに契約した選手。
移籍してきた選手。
ユースから昇格し、まだ顔つきの固い若者。

「今年もよろしく」

「久しぶり」

「初めまして」

笑顔が交わされる。

だが、その奥には別の感情もある。

互いの値踏みだ。

——誰が試合に出る。

——誰がポジションを奪う。

——誰が、このチームで生き残る。

それがプロじゃないと言われるかもしれない。

だが、勝負の世界はどこでも同じだ。

この日は、全体ミーティングから始まる。

ピッチの前に——
まず、言葉の戦いがある。



会議室に選手が揃った。

椅子が並び、前方にはスクリーン。

壁には、赤いクラブエンブレム。
その周囲には、クラブを支えるスポンサー企業の名前が並んでいる。

久我隼人が前に立ち、出席を確認する。

その横には、会長の久我直人

そして——

少し遅れて、扉が開いた。

黒川玲司

隣には、もう一人。

セットプレーコーチの結城智紀

会議室の空気が、一段硬くなった。

「……来た」

誰かの小さな声が聞こえた。

YouTuber監督。

炎上監督。

全権監督。

まだ一度も指導を受けていないのに、噂だけが先にロッカールームへ入っていた。

黒川は気にした様子もなく、前方の席へ向かう。

その後ろを、結城が歩く。

派手さはない。

だが、視線だけはすでに選手たちを見ていた。

セットプレーを、偶然ではなく武器に変えるために呼ばれた男。

今年のアトレティコには、最初から“勝ち筋”を専門に設計する人間がいる。

それだけでも、去年までとは違った。



まず、会長の久我直人が立った。

年齢の重みがある。

だが、声は低く、迷いがない。

「新年、明けましておめでとう。

今季もアトレティコに集まってくれて、ありがとう」

一拍置く。

「去年も残った。

だが——残っただけだ」

室内の空気が締まる。

「今年は、残留で終わるな」

直人は選手たちを見渡した。

「このクラブは十三年前、
山形のサッカーを強くする”ために作った」

そして、静かに続けた。

「モンテカルロ山形一強の構造を変える。

山形に、もう一つの選択肢を作る。

そのために、このクラブはある」

直人は隼人の方を一度だけ見た。

「今年は、勝つ。

監督にも条件を出した。

選手にも、同じものを求める」

一拍。

「——守れ。

それだけだ」

短い。

だが、逃げ道のない挨拶だった。



次に、隼人が前へ出た。

「今季のスタッフを紹介します」

視線が集まる。

監督——黒川玲司

黒川が一歩前に出る。

拍手は、まばらだった。

期待。

警戒。

反発。

それらが混ざった拍手だ。

隼人は続けた。

セットプレーコーチ——結城智紀

結城が軽く会釈する。

「今年、セットプレーを偶然の得点にはしません。

クラブの武器にします」

それだけ言って、下がった。

会議室が少しざわつく。

隼人は次へ進む。

「そして、新加入選手を紹介します」

三上智也が立った。

モンテカルロ山形を契約満了になったCB。

短く自己紹介し、頭を下げる。

続いて、小野寺遼。

選手権ではスター。
だが、プロでは埋もれた男。

小野寺は前を向いて言った。

「小野寺遼です。

ここで、もう一度勝負します。

基準から逃げません」

空気が、少し変わった。

“やり直しに来た選手”ではない。

“勝負しに来た選手”だ。

そして最後に、一番若い男が立つ。

米沢陸。

ユースからトップへ昇格した、189センチのCB。

一瞬、声が詰まる。

それでも言った。

「……米沢陸です。

トップで通用する選手になります。

よろしくお願いします」

小さな拍手が起きた。

渡部洋和が、その背中をじっと見ている。

熊谷亮は、少しだけ笑った。

赤いクラブで育った選手が、トップチームの椅子に座っている。

それは小さな出来事だった。

だが、このクラブにとっては——
革命そのものだった。



全員の自己紹介が終わる。

会議室が静かになった。

ここからが、本番だった。

黒川玲司が立ち上がる。

スクリーンの電源を入れた。

一枚目。

黒い背景。

白い文字。

「ATLÉTICO YONEZAWA CITY FC 2024」

その下に、さらに大きく。

『基準で勝つ』

黒川はマイクを持たなかった。

普通の声で話し始めた。

「最初に言っときます」

全員が黒川を見る。

「俺は、好かれに来たんじゃない」

沈黙。

「勝ちに来た」

空気が、ざらつく。

黒川は気にしない。

「だから、全員に同じことを求める。

ベテランも。若手も。地元も。県外も。

例外は作らない」

次のスライド。

『TEAM PHILOSOPHY』

そこに三つの言葉が並ぶ。

地元で育て、地元で勝つ。

クラブ以上のスターを作らない。

基準で戦い、基準で残す。


黒川は言った。

「地元選手を使う。

これは会長との約束でもある」

一拍置く。

「でも——
“地元だから使う”は絶対にやらない」

選手たちの表情が変わる。

「山形出身でも、米沢出身でも、ユース出身でも。

基準に届かなければ使わない」

黒川の視線が、米沢陸を一瞬だけ通る。

「逆に、基準に届けば年齢も経歴も関係ない。

17歳でも使う。

34歳でも外す」

渡部は黙って聞いていた。

「例外は、作らない」

その言葉だけが、会議室に残った。



スライドが変わった。

『4 RULES』

1. チームにコミットできない選手はいらない
2. 基準を下げる選手はいらない
3. 走れない選手はいらない
4. 例外を作らない


黒川は、一つずつ読むことはしなかった。

代わりに言った。

「全部、繋がってます」

選手たちを見る。

「練習で逃げるやつは、試合でも逃げる。

試合で戻らないやつは、生活でもどこかで逃げてる。

生活が崩れてるやつは、年間通して戦えない」

少し間を置く。

「練習の強度。

試合の強度。

生活の強度。

全部、同じ選手がやることです」

隼人は横で聞いていた。

黒川の言葉は、誰かを安心させるための言葉ではない。

むしろ逆だ。

逃げ道を消すための言葉だ。

でも——

だからこそ、基準になる。



黒川は、机に置いてあった紙の束を持ち上げた。

「これ。目標管理シート」

ざわつきが起きる。

黒川は構わず続ける。

「全員に書いてもらう。

今季、何を達成するのか。

数字で書く。

言葉で書く。

そして、毎月確認する」

隼人が前に出て補足した。

「出場時間。

走行距離。

スプリント回数。

デュエル勝率。

空中戦勝率。

パス成功率。

ポジションごとに項目は変える」

さらに続ける。

「生活面も見る。

睡眠。

食事。

勤務態度。

コンディション。

サッカーだけ良ければいい、にはしない」

何人かの選手が目標管理シートを見る。

黒川が言った。

「目標は、願い事じゃない。

毎日の行動に落とせない目標は、ただの妄想です」

空気が静まった。

そこへ、結城が一言だけ足した。

「数字は嘘をつきません」

選手たちが結城を見る。

「自分に嘘をつく方が、ずっと簡単です」

その言葉が、妙に刺さった。



黒川は、さらに続ける。

「それと——全員、毎日サッカーノートを書いてください」

今度は、はっきりとざわついた。

「毎日?」

誰かが小さく言った。

黒川は答える。

「毎日です」

「練習の振り返り。

できたこと。

できなかったこと。

明日、何を変えるか。

全部書く」

会議室の奥で、誰かが小さく笑った。

——学生かよ。

そんな空気だった。

黒川は、そちらを見る。

「学生みたいに伸びたいなら、書けばいい」

笑いが止まる。

「もう完成した選手だと思ってるなら、書かなくていい。

ただ——そういう選手は、俺は使わない

完全に静かになった。

黒川は淡々と続けた。

「半月に一回。

全選手と個人面談をします」

今度は誰も笑わなかった。

「俺がやる。

必要なら笠原も入る。

良かった時も。

悪かった時も。

ずっと見る」

隼人は、小さく息を吸った。

つまり——逃げられない。

練習でも。

試合でも。

数字でも。

言葉でも。



最後のスライドが映る。

『2024 SEASON TARGET』

東北社会人1部リーグ 優勝

地域チャンピオンズリーグ 優勝

日本フットボールリーグ(JFL)昇格

天皇杯・山形県予選 優勝


黒川はしばらく、その文字を見せたまま黙っていた。

そして、選手たちへ向き直る。

「高いと思いますか」

誰も答えない。

「高いです」

黒川自身が答えた。

「でも、高い目標が問題なんじゃない」

スクリーンを指す。

その高さに見合わない毎日を送ることが、問題なんです

選手たちの顔が変わる。

「優勝したい。

JFLに上がりたい。

天皇杯に出たい」

黒川は少しだけ声を強くした。

「だったら、今日の練習から優勝するチームの強度でやれ」

沈黙。

そして——

黒川は、この日一番強い言葉を落とした。

「聞きます」

全員を見る。

「この目標、本気でやる気があるやつだけ残れ」

空気が凍った。

誰も立たない。

誰も出ていかない。

出ていけるはずがなかった。

渡部は黒川を見ている。

熊谷も。

三上も。

小野寺も。

そして、米沢陸も。

黒川は数秒待った。

「……分かりました」

スクリーンを消す。

「じゃあ、始める」

一拍。

「今日からです」



ミーティングが終わった。

選手たちが、静かに椅子から立ち上がっていく。

入ってきた時とは、顔が違った。

怖い。

面倒だ。

厳しい。

でも——

どこか、燃えている。

渡部が熊谷を見る。

言葉はない。

熊谷が小さく頷く。

——基準を守る。

——俺たちが。

隼人は最後に、会長の直人を見た。

直人は何も言わない。

ただ、一度だけ頷いた。

それだけだった。



クラブハウスの扉を開ける。

冷たい風が、隼人の頬を叩いた。

グラウンドには、まだ雪が残っている。

白い。

寒い。

シーズンは、まだ遠く見える。

それでも——

隼人には、芝の匂いがした。

選手たちが次々に外へ出ていく。

渡部。

熊谷。

三上。

小野寺。

米沢陸。

その一番後ろから、黒川玲司が歩いてくる。

隼人は、その光景を見ながら心の中で呟いた。

——始まった。

監督が変わったんじゃない。

クラブの“当たり前”が、今日から変わる。

アトレティコ米沢シティFC。

革命の一年が、始まった。

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