第8話 面談
面談室の空気は、いつも少し乾いている。
テーブルの上には、水のペットボトルが三本。
契約書の下書き。
そして、白い紙に黒い文字で印刷された一枚の「条件」。
隼人はその紙を伏せたまま、時計を見た。
——時間だ。
ノックが二回。
扉が開き、最初に入ってきたのは三上智也だった。
背が高い。185センチ。
姿勢が硬い。表情も硬い。
“どこで間違えたのか”を、まだ自分の中で整理しきれていない目をしている。
続いて、小野寺遼。
174センチ。細身。
目は真っ直ぐだが、どこか慎重だ。
選手権のスターだった人間が、プロの世界で埋もれた時に身につける“距離”がある。
三上が軽く頭を下げる。
「……お世話になります」
小野寺も続く。
「本日は、よろしくお願いします」
隼人は立ち上がって迎えた。
「こちらこそ。来てくれてありがとう。
今日は、うちの監督も同席する」
二人の視線が、部屋の奥へ向いた。
黒川玲司が椅子に座っていた。
無表情で、二人を見ている。
握手はしない。
歓迎の言葉もない。
黒川は、最初から“面接官”だった。
⸻
隼人が口を開く。
「結論から言う。
二人とも、うちは獲りたい。
ただし——条件がある」
黒川が、伏せていた紙を裏返した。
三上と小野寺の前に、ゆっくりと滑らせる。
紙の一行目。
『基準に従えるか』
黒川の声は淡々としていた。
「ここは“再起”の場所じゃない。
勝つための場所だ。
勝ちたいなら、まず基準に従ってもらう」
小野寺が瞬きをする。
三上は、黙っている。
黒川が続けた。
「走れない選手は使わない。
守備に戻れない選手は使わない。
基準を下げる選手は切る。
例外は作らない」
隼人は、二人の表情を見た。
“怖い”が浮かんでいる。
当然だ。
アトレティコは優しいクラブだ、と噂されている。
去り際が丁寧だ、と。
だから甘いと思われている。
黒川は、その甘さを最初に潰しに来た。
⸻
最初に黒川が指名したのは、三上だった。
「三上。モンテで何が足りなかった」
三上の喉が動く。
言葉を探してから、絞り出す。
「……自分の判断が遅かったと思います。
あと、試合の入りで、迷いがありました」
黒川は、頷きもしない。否定もしない。
「判断の遅さは直せる。
問題は、迷いだ。
迷いがある選手は、最後の局面で逃げる。
逃げた瞬間、失点する」
三上の目が揺れる。
黒川は容赦なく続けた。
「聞く。
モンテに“戻りたい”気持ちはあるか」
三上の顔が硬直した。
隼人は息を止める。
この質問は残酷だ。
だが、必要だった。
三上は少し黙ってから、首を横に振った。
「……ないです」
黒川が一言、返す。
「じゃあ、理由を言え」
三上は拳を握った。
「切られたからじゃないです。
……向こうは、勝つためのチームです。
でも、俺はそこで、“部品”になれなかった。
ここで、もう一回、自分の価値を証明したい」
黒川は初めて、ほんの少しだけ口角を動かした。
「いい。証明しろ」
隼人は、その一言で三上が救われたのを見た。
“拾われた”顔じゃない。
“挑戦できる”と言われた顔だった。
⸻
次は、小野寺だった。
黒川はペンで紙を叩く。
「小野寺。お前は才能がある。
でも才能は、足りない時に言い訳になる」
小野寺の目が鋭くなる。
黒川は続けた。
「選手権のスターだった。
モンテでは埋もれた。
その理由を、自分はどう説明する」
小野寺は、すぐには答えなかった。
その沈黙が“真面目”だった。
「……怖かったです」
ようやく言った。
「自分がミスしたら終わるって。
スターの中で、余計なことをしたら、評価が落ちるって。
だから、安全なプレーを選びました」
黒川は即答する。
「最悪だな」
隼人の心臓が跳ねた。
言い方が強い。強すぎる。
でも黒川は、嘘をつかない。
「安全なプレーは、負けないためだ。
勝つためのプレーじゃない。
ここで必要なのは、“勝ちに行く怖さ”だ」
小野寺は目を逸らさない。
「……やれます」
黒川が聞く。
「根拠は」
小野寺は、少しだけ口元を引き締めた。
「モンテでは、怖くて前を向けなかった。
でも、切られて分かりました。
怖がって守ったのは、クラブじゃなくて自分でした。
今度は、前を向いて失敗します。
失敗しても戻る。走る。守る。
それなら、ここに居ていいですか」
黒川は、短く言った。
「いい。ただし条件がある」
小野寺の背筋が伸びる。
「10番は渡さない。
奪え。
試合で見せろ。
それができないなら、ここでも埋もれる」
小野寺は小さく頷いた。
「はい」
⸻
隼人は、この面談が“契約交渉”じゃないことを理解していた。
これは、覚悟の確認だ。
赤いクラブに入る資格があるかどうか。
黒川は二人に、最後の質問をした。
「お前らにとって、“地元”って何だ」
三上が言う。
「……戻れる場所です。
でも、戻っただけじゃ足りない。
ここで結果を出して、地元に恩返ししたい」
小野寺が言う。
「俺は千葉です。
でも、ここに来るなら、米沢を地元にします。
そう決めないと、また逃げるから」
黒川はそれを聞いて、初めて椅子から立ち上がった。
「じゃあ、契約の話をする」
隼人が書類を開く。
年俸。勤務先。勤務時間の調整。
住居。車。遠征。
細かい現実が、二人の未来を形にしていく。
三上は静かにペンを握った。
小野寺も、深く息を吸ってサインをした。
赤に、名前が刻まれる。
⸻
面談が終わり、二人が部屋を出た後。
隼人は椅子に背を預けた。
「……厳しいですね」
黒川は淡々と答える。
「厳しくしないと、勝てない。
優しさで集めた選手は、優しさで崩れる」
隼人は頷いた。
それでも言う。
「でも、今日の二人は、いけます」
黒川は短く言った。
「いけるかどうかは、こっちが決める」
そして、窓の外のグラウンドを見た。
「まず基準を叩き込む。
最初にやるのは——守備だ」
隼人は、喉の奥が熱くなるのを感じた。
アトレティコは、いま“編成”から“始動”へ移る。
勝つためのクラブになっていく。
そしてこの二人は、青に切られたからこそ、赤で燃える。
革命の火種は、確かに増えた。
