見るだけでわかる、とは何か
自分でもわかってるんです。
説明しないと価値が伝わらないものを作って並べて売ってるって
非効率極まりないってこと。
・なぜそう見られるのか
・なぜ伝わらないのか
・なぜ価値が自動的に理解されないのか
そんなことを最近よく考えています。
見るだけで判断できるって、
そもそもなんだろう。
"コーヒー豆の麻袋でしょ"
それは見ただけでわかる。
そう思いますよね。
でも実はそうでもない。
・これ…なに?麻袋に似てる
・麻袋に絵を描いてるの?
・コーヒーの匂いするの?
・麻袋は丈夫よね
・どこのコーヒーの麻袋屋さん?(国を限定したがる)
これはPOPUPの定番質問。
コーヒー豆の麻袋という存在を知っていたとしても
それがどういうものなのか?
どうやってバッグになっているのか?
知る人、知ろうとする人も少ない現実を私は体験から知っています。
興味が湧かないものづくりをしているからだろ、と言われるかもしれません。
そうかもしれないし、違う理由もある気がしています。
布を麻袋に変えただけで、
布バッグと同じミシンワークだと
世の中に勝手に思われていることに、
私はむしろ「なぜ?」と思ってしまうんです。
革のものづくりは道具も構造も違うと理解されるのに、
麻袋は布と同じ扱いで考えられる。
古布のものづくりには、
手工芸としての価値や敬意が自然と向けられることが多い。
でも麻袋はそこに入らない。
同じ「素材の背景」があるはずなのに、扱われ方が違う。
POPUPでよくある「コーヒーの匂いするの?」という質問を
コーヒー屋さんに話すと驚かれます。
麻袋がコーヒーの匂いをするわけがない、と。
でも一般の感覚では
「コーヒー=香り=麻袋」
というイメージが自然に結びついている。
これは誰が間違っているという話ではなくて、
当たり前が違うというだけのこと。
勘違いや勝手な解釈が
表面化しないまま人の中に定着していく。
クリエイターの感覚だって、
勝手な解釈のひとつです。
コーヒー屋 さんにとっては麻袋は流通資材でしかなく
世の中では麻袋はなんとなく分かってるような分かってないような存在で
私、作り手にとって麻袋は素材であり表現の手段である
みんな麻袋を見てるはずなのに
違う世界に立ってる。
面白いと思う反面
共通言語がないことに
ハッとする。
「見るだけでわかる」という言葉も、
本当に理解しているという意味ではなくて、
知っているものに分類して安心しているだけのこと。
麻袋 → 布
ハンドメイド → 手作り
コーヒー → 匂い
これで脳が安心する。
見てわかることと、理解していることは同じではない。
正しいか正しくないかだけでは測れない世界がある。
長い時間をかけて水面下で定着してきた認識を
一人で覆すことは簡単ではないけれど、
そういう状況を理解した上で
「見るだけでわかる」という問題に向き合う準備は
少しできた気がしています。
私が面白いと思っている麻袋と、
世の中が決めてかかっている麻袋。
その差を埋めるというより、
固定概念を刺しにいきたいと思いました。
それはもちろん、物理的なことではなく、「認識を揺らす」ということ。
ものづくりは手を動かすことばかりにフォーカスされるけれど
クリエイターとは
むしろ哲学的な存在なんだと感じています。
つくることと考えることは表裏一体。
私は説明したいんじゃない。
感情を揺さぶりたい。
だから
手を動かすことと同じくらい
考えることを止めない。
考えないことは
丸腰で挑むことと同じだと思っています。
次の10年へ向けて、
まさに武装中。
