「指先を失った」ことより、「お菓子を作れない」ことの方が、ずっと怖かった。
【止まってしまった時間】
2022年7月、手術。
無事に終わった安堵感とともに私を待っていたのは、包帯でぐるぐる巻きになった自分の左手でした。
18歳からずっと、休むことなく動かし続けてきた私の手。それが突然、何もできなくなってしまった。あの時の、何とも言えない焦燥感は今でも忘れられません。
【プロとしてのライン】
正直に言えば、無理をすれば作れたのかもしれません。
でも、パティシエにとって何より大切なのは、お客様の「安全」です。
術後の傷口を抱え、包帯を巻いたままでは、衛生管理を徹底することはできません。愛用のゴム手袋さえ、包帯でぐるぐる巻になった指には入りませんでした。
「もし、私の不注意で食中毒を出してしまったら?」
「せっかくのオーダーケーキを、万全の状態で届けられなかったら?」
プロとして、それは絶対に許されないことでした。だから私は、泣く泣く営業をお休みするという決断をしました。
【空白の時間:見つめ直した「手」】
お休みしている間、私は自分の手をずっと見つめていました。
「もう前と同じようには作れないかもしれない」
そんな不安に押しつぶされそうな夜を救ってくれたのは、愛猫たちの柔らかな毛並みと、再び厨房に立つ日を待っていてくれるお客様の声でした。
【再開への誓い】
包帯が取れ、ようやく新しいサイズのゴム手袋をはめた日。
指先が少し不自由になった代わりに、私の中の「安全への責任感」と「お菓子への情熱」は、以前よりもずっと強く、深いものになっていました。
お休みした時間は、決して無駄ではありませんでした。
最高に安全で、最高に美味しいお菓子を届けるために、必要な「助走」だったのだと、今は胸を張って言えます。

